N600から750RSへ
1960年代後半、日本国内市場での大きな飛躍は望めないと考えていたカワサキにとって、アメリカこそ最大の目標であった。
だが、カワサキの4ストロークマシンの看板であった旧メグロ製作所の流れを汲むWシリーズは、ギヤボックスとクランクケースがセパレートであったり、高速走行時には振動でナンバープレートが落ちたりなど、設計の古さを隠しようがなく、アメリカ人を満足させられるものではなかった。
もう1つのカワサキの看板だったマッハシリーズも、2サイクルゆえの排気ガスや騒音・燃費などの問題が世界的にクローズアップされてきており、その未来は明るくなかった。
そこで1966年にW1を世に送りだした稲村暁一係長を中心とする小グループは、1967年4月、新しいエンジンの設計に着手する。
「稲村係長は1人、考え、調べ、計算し、“どうもこの辺に一山あるらしい”と主要諸元を決定した。それがDOHC4気筒750ccである」(種子島経『カワサキZ1開発物語』)。
並列4気筒が選ばれたのは、エンジンの震動を徹底的に押さえ込むためであり、また「並列4気筒エンジンは、排気量を750cc以上とした場合、その横幅がバイクの運動性を決定的にスポイルしてしまう」という考えから、排気量は750ccとされた。
これについては、90年代後半にMVアグスタF4(750cc)を設計したマッシモ・タンブリーニも同様の主張をしている。
こうして「N600」は、まず「排気量750ccの4ストローク並列4気筒マシン」として設計されたのである。
ボア×ストロークおよび排気量が64×58mmの746ccであったと思われるN600の開発は順調に進み、1968年3月には試作エンジンが完成、
目標馬力である70〜75ps/9,000rpmを達成してしまう。
1968年8月には試作車が矢田部を走行し、1968年の10月〜12月にかけて「サンタバーバラ・ベイビー」と呼ばれたモックアップの製作が進められた。そして、早ければ1971年には製品として発売される予定であった。
ところが、1968年10月、東京モーターショーでホンダがCB750Fourを発表したことにより、N600計画は一時棚上げになってしまう。
1969年11月23日、約1年ぶりに「T103」として開発が再開されたモデル(愛称ニューヨークステーキ)は、排気量が900cc(ボア×ストローク:66×66mm)、目標馬力は85馬力に拡大されていた。
これはひとえにCB750を超えるためであり、この結果、目標重量も当初想定されていた193キロより22キロも増えて215キロとされ、さらに完成車は225キロ/82馬力となり、重量を補うだけの馬力は備えていたが、軽快なザッパーのイメージからは少し離れたものとなった。
このT103は、1972年10月、全世界に向けて「カワサキ900 スーパーフォア(Z1)」として発表された。
当初の計画では1972年11月からの国内販売が予定されていたが、開発途中の1970年前後から「国内では750ccを超えるオートバイは売らない」という自主規制がしかれたため、国内向けモデルとして、750ccのZ2が計画されることになった。
Z2は、1971年夏には最終試作車が完成し、1973年、750RSとして発売された。
このZ2は、ボア×ストロークこそ、N600と同じ64×58mmに設定されたというが、あくまで900ccZ1のボア・ストロークダウンモデルであり、Z1と同じ225キロの車体に69馬力と、かつてのN600が目指した軽快なザッパーの要件を満たしたものではなかった。
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