りんくLINKリンク

今月から“Link, リンク”の形式が変わります。GIA は人材バンク?いろいろな顔を持った方がいます。「あの人、この人、どんな人?といった角度から人物紹介をしていきます。さらにGIA の活動内容やお薦めの本の紹介コーナーなども設けます。会員の皆様、紹介したい方やアピールしたいことなどありましたら、是非投稿してください。





2012年2月


琴に関わり、?十年 

   
 「グローバル年忘れポットラックパーティー2011」で琴の演奏を披露

 昨年、千福が丘富岳クラブより2年ぶりに、「また邦楽コンサートを・・・」とリクエストがあり、第3回目のコンサートを行いました。
 琴、三弦の道に入って40年以上。埼玉におりました頃は、三曲連盟の定期演奏会(毎年)生田流宮城会としての大がかりな(国立劇場、NHKホール等)演奏会には、お弟子さん共々出演して、それこそ体力、気力も使ってやってくることができました。
 裾野に転居してからは、うちうちのお勉強会、お弾き初め会等させて頂き、入間、御殿場、裾野のお弟子さんと和やかに交流してきました。
 現在、千福が丘に居住して今年で10年。地域の方々とも親しくして交流も深まり(夫共々)町内会館でのコンサートも1回、2回目と楽しみにしてくださった方々が「今年は無いのかしら・・・」等と心待ちにしていてくださったとお聞きして、何とも嬉しくありがたい気持ちで、夏前から準備を進めてきました。
 猛暑で7、8、9月頃は体調不良で下合わせもなかなか思うようにならなかったこともありましたが、涼しくなって回復しつつある時に10月28日を迎えることとなりました。100名近くのお客様にお越し頂き、何とも嬉しく光栄なことで、またグローバル文化交流協会(GIA)会員の方々においで頂き、お引き立て頂いたことに感謝です。GIA会員になり10年以上が経ちます。イベントに参加させて頂くことで、会員の皆様のお人柄、すばらしい能力を持った方々とお知り合いになれたことで、喜びいっぱいです。
 どうぞ皆様本年もよろしくお願い致します。
 今月は、お正月に中1の孫のバイオリンに合わせて「春の海」を弾き、有料老人ホームではボランティアの演奏を予定しております。       裾野市 Y.T
 


 インドのコルカタで、
「日本とインドの文化交流」を実現


 

   

 長年、私が温めていたことは、日本とインドとの文化交流。企画するなら、日本とインドの文化交流に深い関わりを持ったタゴールの生誕150年の2011年に、是非実現させたいと願ってきました。そしてついに、私と生徒たちの合計15名は、その願い実現のため、2011年11月にインドへ行って来ました。
 開催場所は、私の出身地コルカタ市内にある「タゴール・岡倉天心記念会館」です。インドに着いた翌日の午後4時から5時30分頃までの1時間半、ワークショップを開きました。そこでは、折り紙、書道、紋切り、ラッピング、お箸の使い方など、日本文化の紹介と体験をしてもらいました。
 そのあと8時30分までの3時間は、舞台で日本の紹介をしました。さくら、花笠音頭、おてもやん、よさこいソーラン節、次々と衣装を着替えて踊りました。着替えの早さに、インドの皆がビックリしていました。
 そしてインドの家族(ポリバル)が、タゴールの歌、詩の朗読をした後、それに続いて、タゴールダンスを踊りました。
 いよいよ舞台での交流のクライマックスは、出演者全員と会場の皆と一緒にタゴールの歌をベンガル語で歌いました。 心と心が繋がって、1人ひとりの思いが交流したなという実感と感動をいただきました。
 思い返すと、インドに着いてからワークショップ開始までの短時間に、皆が実に手際よく素敵にセッティングしてくれました。体験コーナーでも、インドの人たちとの交流がたくさんあったようです。また出発前の忙しい中、プレゼント用にと日本の可愛いお菓子をたくさんの小袋に分け、その1つ1つに小さな桜の花びらをかたどった千代紙などを入れた心遣いにも、感謝と感動の連続でした。
 この素晴らしい体験と感動は、心に深く刻まれていつまでも残ることでしょう。この交流に関わったインドと日本の皆様に、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

                                       沼津市 S.I





2012年1月


     函南町の姉妹都市カーマン市を訪問して

 私たちはスティーブとその家族に会いたくて、函南町の姉妹都市カルフォルニア州カーマン市を10月18日から21日まで姉妹都市交流25周年の訪問団の一員として訪れました。
 スティーブは大学生の時カーマン市からの訪問団として来日し、我が家にホームステイし、その後中学のALTとして再度来日し3年間滞在しました。3年の間に彼の両親や妹も来日しました。私たちはカーマン市に行くたびに彼の家にホームステイしています。もう20年以上の付き合いになります。
 今回は日程が短く、スティーブの家族との交流がゆっくりできませんでしたが、彼の家族、カーマン市のみなさんはいつもと変わらず私たちを温かく迎えてくれました。ウエルカムパーティーでは団員の詩吟の披露、そして妻、自子の日本舞踊の披露はカーマン市のみなさんに喜んでいただきました。団員一同の合唱は練習不足でうまくいきませんでした。今年の8月には、カーマン市のみなさんから東日本大震災の義援金を被災地に役立ててほしいと送金してもらいました。
 カーマン市のみなさんの温かいお気持ちにとても感謝しています。これからも末永くカーマン市のみなさんと交流を続けていきたいと思います。            
                                函南町 (M.K、Y.K)
   
 金井さん夫妻とスティーブ・ワムホフさんのファミリー(奥さんが撮影)

 沢地グローバルガーデンの作業にも、よく参加してくれたスティーブさんに因んだ「ワムホフの丘」の看板が、ガーデンにあります。
歓迎会で、日本舞踊を披露して喜ばれた金井自子さんの舞姿


 

 15回目のネパール訪問記 (2011年11月17日~12月2日)

 今年3月末に予定していたネパール訪問を東日本大震災のため中止し、今回の訪問は1年ぶり15回目だ。
 私の訪問に際し11月25日に元ネパール首相のカマル・タパ氏(現在は、RPP-Nepalと称する政党の党首)を主賓としたセレモニーを開催してくれた。この政党は、数あるネパールの政党の中でも唯一の元ネパール国王を支持するという特異性を有す政党である。ダマンはこの政党の幹部として活動している。
 11月27日には、バネパ市(カトマンズ市東方25km)にあるベイラー・インターナショナル・アカデミーのスポーツ週間オープニングセレモニーに出席した。この学校で私たちが支援する生徒たち12人が寄宿制で教育を受けている。式典のイベントの1つとして、高学年の生徒による市内パレードが行われ、9年間私が支援してきたカマル君先頭でトーチを右手に揚げて走った。
 11月29日には、GIAサロンの講師として母国について話をしてくれたネパール青
年で、日本の大手企業で働いているウッツァブ君の兄さんの結婚式に招かれて出席した。結婚式の場所が偶然にも私がネパールに滞在中利用しているジムの真裏であった。結婚式は以前にも見ているので私にとって珍しくはなかったが、知人の関係する結婚式のため感もひとしおであった。ウッツァブ君が、あれこれと話をやき、走り回っていたのが印象的であった。
 29日の夜は「クラブ50」と称するロータリークラブのようなネパールのお金持ちのグループの月例会と、パーティーに招待された。このクラブには旧知の友人も多く所属しており、再会を喜んだ。
 ダマンを通じてネパールに多くの友人を得た。彼らと来年の再会を約束し帰国した。ネパールは、文化、宗教、習慣など、驚きが一杯の国だ。詳しくは、私のホームページ『ネパールの貧困児童を救う会-トピックス』で、ご覧ください。                  三島市 (Y.F)
URL http://web.thn.jp/nepalkoji/topix.html
 
元ネパール首相で現政党党首のカマル・タパ氏(中央)、ダマン(右)と筆者 ウッツァブ君の兄の結婚式風景。中央で座っている男女が、新郎新婦。





2011年12月


          
            真の幸せとは?
 
 三島ゆうすい会創立20周年記念研修旅行は、11月21~23日。3月11日の東日本大震災の被災地を支援したいという思いを込め、研修先を東北地方にした。以前から被災地を支援し続けている人々のお陰で、仮設住宅に住む被害者たちと直接連絡が取れ、要望の物品を2カ所に届けることが出来た。訪れたのは宮城県の南三陸町で、手づくりや寄付された防寒用品、台所用品、文房具等。(GIA会員からこのために寄せられた義援金も手渡せた。この場を借りて、心より感謝!)
 南三陸町の骨組みだけが残った防災対策庁舎の前での語り部ボランティアによる震災時の具体的な話、町民を助けようと最後まで避難を呼びかけ犠牲となった女性やその上司の話等、生々しい実情を聞き、参加者の多くは涙した。60%もの住民の命を奪った津波の犠牲者の多くは、高台に避難できない病人や老人たちであったという。その庁舎で献花、焼香をし、犠牲者の冥福を祈った。震災を経験して「真の幸せとは?」と問うた時、答えは被災者たちが皆で分かち合った「ペットボトルのキャップ一口の水や一口のおにぎり」であったという。こうした人間同士の真心の中に真の幸せがあるのではなかろうか。南三陸町では今「津波を忘れるな」と「人の真心を忘れるな」の2つが町の教訓になっているという。ともすれば物質優先になる私たちへの良い教訓でもあろう。
 また、ボランティアセンターの社会福祉協議会代表者は「まだまだ復興の見通しも立たず、現在様々な問題点を抱えている。災害から半年以上も経つとマスコミも以前ほど取り上げなくなり、人々の関心も薄れていくようで、今までのようなボランティアや支援物資が減り、心もとない」と語っていた。これほどの被害の解決には、息の長い多くの支援が必要だと思った。
 気仙沼では11月12日に被災者たちがやっとオープンさせたというプレハブの「復興屋台村・気仙沼横町」で、美味しい昼食をとった。現地での買い物も支援の1つと、参加者は、果物、野菜、土産物等たくさん買った。マスコミの映像を通して現地の様子は分かってはいたが、実際の光景の凄さに心打たれた。いつか復興の時が訪れるまで、支援を続けていかれればと思った。
 研修中は天気に恵まれ、紅葉と雪景色を同時に見ることも出来た。水に関係した視察地も意義あるもので、茨城、福島、宮城、岩手、山形と5県を回る、実に内容の濃い研修旅行であった。                   三島市 (I.M)
      
           南三陸町の仮設住宅と骨組みだけの庁舎



 
     富士山そっくりのタラナキ山にも再会

 こちらも姉妹都市提携20周年記念公式訪問団で、ニュージーランドの姉妹都市・ニュープリマス市を訪れた。同室者は、GIA会員でもある庄司峯子さん。準備万端整えて明日に備える庄司さんの姿勢は、大いに参考になった。訪問地は、クライストチャーチ経由で、ニュープリマス、ウェリントン、オークランドの3都市。たっぷり充実した旅だった。
さて、姉妹都市提携に至ったいきさつはこうである。30年ほど前、私は、近所の友人から中学生の娘さんの英語をみてと頼まれた。開いた教科書のカラーページに富士山そっくりの山があり、私は感激し興味を抱いた。その山(当時の呼称:エグモント山)や、そこに住む人々について調べ、ついに、エグモント山の麓のニュープリマス市長宛にペンパルを紹介してほしいと手紙で頼むことにした。1983年、私を含む4人の主婦がニュープリマスにそれぞれペンパルを持ち、文通が始まった。私のペンパルは、エドナ・ウッズさん。(ホームステイをさせていただいたことがあるが、とても心優しい女性。このウッズ家は、4年の歳月をかけてご主人と建てたという広い自宅で、余暇たっぷりのニュージーランドの豊かな暮らしぶりを垣間見たものだった。)
 市民の交流は続き、市制50周年の1991年に姉妹都市提携をし、今年は提携20周年を迎えた。今回の公式訪問団は、豊岡武士三島市長を団長とする温かくて愉快な人たち揃いだった。私は、NZパパのラッセル・クリアウォーターさんほか多くの友人と再会し、時間が足りないほどだった。しかも最終日の朝、くっきりとタラナキ山が現れ、一同大感激だった。ニュープリマスからは、来年20周年記念公式訪問団が来訪とのこと。こうして、世代を超えて交流が続くことは、何より嬉しい。
ニュープリマス出身でクリアウォーターさんの親戚のNZ息子デイビッドは、今年2月に離日し、オークランド大学の大学院で心理学を学んでいる。今回オークランドで再会し、庄司さんにも大変お世話になった。改めて庄司さんに御礼申し上げたい。
 ありがとうございました。
                              三島市 (Y.K)
   
 日本政府からの勲章を胸に参加したNZパパと私  デイビッドと庄司峯子さん





2011年11月


GIA事務局の時枝しのぶさんが「2011ながいずみ美術展」で大賞を受賞されました。
 
 
■大賞受賞おめでとうございます。3年前にGIAの研修旅行で訪れたインドですね。先ず目を引き、しげしげと見入ってしまったのが絵の左側の落書きのある古い土壁です。そして右側は、下方にサリーを纏った女性が薪を乗せて、涼しげに立ち並ぶ木々の前を歩いていますね。ところで1枚の絵なのに2枚の絵をつなげているかのように、真ん中を木枠で区切っているのはなぜですか?
❤初め10号で左の落書き部分のみを描く予定でしたが、面白味がないので右側の城壁外の風景を別の10号に描きました。単純に2枚で1枚の絵にするつもりでしたが、これも面白味がなく、真ん中に5 mmの木枠(額縁)を入れてみました。このようなことは経験がなく、ヒヤヒヤものでしたが、功を奏して大賞の評価の1つになりました。木枠(額縁)は搬入前日に手作りしたものですが、この質素さも良かったそうです。棚ぼたのような賞をいただき驚いています。
■私は、左の壁の落書きのリアルな描写に、「すごいな~!迫力あるな~!」と感心しました。
❤左側は、比較的大きい粒子の岩絵の具を使いザラ ザラ感を出しました。問題は右のインドのぼやっとした風景で、細かい粒子を使用しました。
風景画はほとんど経験がなく今まで描く気持ちもなかったのですが、今回の絵には右の部分が必要でした。数年前だったらたぶん左だけを50号くらいで描いたと思います。少し成長したのかな? 右の重要性に気付いたことが・・・。インドの絵を描くとは思わなかったけど、取りかかって5カ月、旅のあれこれを思い出しながら楽しい時間でしたよ。楽しい旅の思い出を作ってくださったGIAの皆様に本当に感謝ですね。 (聞き手:■乙部 美麻子)
❤は時枝 しのぶさん

 
            静岡新聞・東部版(2011年9月28日付)

世界なかよしフェアを企画して・・

 来る11月20日の日曜日に清水町地域交流センターで第1回「世界なかよしフェア」が開催されます。資金ゼロ、あるのは会場だけ、ということでスタートしました。第1回はセンターの休館日を利用させてもらい開催します。清水町で子供たちの英語活動に携わる私と友人(会員の藤原さん)で、自分たちの夢はありましたが、まずは協力してくれる人材集めでした。広報誌のボランティア募集で集まったのはたった1人。結局英語仲間の友人たちに声をかけ協力を得ましたが、なんといっても一番頑張ってくれたのが、定年退職後にグラウンドワーク三島の起業支援を受けて今年3月に一般社団法人「しずおかを元気に」を立ち上げたばかりの夫でした。事業立ち上げの勉強会で知り合ったグループや昔の会社の仲間など20人ほどの実行委員会を6月に立ち上げました。そして会社で慣れていた夫がいろいろ細かい指示を出し、皆さんにお願いしてくれるので助かります。しかし家で一緒にいるとフェアの話ばかりで、おおざっぱな私が出すアイデアに細心の注意を払って進めようとする夫とは衝突ばかりでした。お互いに言いたい事を言えば、後はすっきりです。
 イベントは全館を使って4か所のメインパートに分けて行います。今回も折り込みチラシを同封しますので、ご覧ください。画期的なのは高校生のディベート模擬試合、英会話カフェ、グローバル文化交流協会の「バイリンガル環境かるた」など、親子で楽しめる内容がたくさんあります。屋外のテントには世界中の料理が並ぶので食べ比べをお願いします。多くの人たちの協力でたくさんの出店者が集まり豪華なイベントとなりそうです。東日本大震災の募金箱も用意します。実行委員会には収益がほとんどなく資金難です!現在1口5,000円の協賛金を募りラリーシートの裏に広告を掲載しています。オリジナルTシャツも発注し、かわいいです。1,500円ですが、購入していただくと1枚につき500円が資金になります。皆さんのご協力をお願いします。それよりなにより、絶対にこの世紀のイベント(!)にご来場ください!来ないと損する企画です。10時~3時ですから、お忘れなく! 
                                   三島市 (T.U)





2011年10月


 朝日新聞「声」欄 =2011年8月22日付= に会員の深山幸子さんの投稿が掲載されました。
 
   
 「全英聴覚障害者サッカーチーム」の
選手の皆さんと
 アンデルセンとデート中の深山さん

 毎度息子のCM曲がお騒がせしています!?
 <GIA会長福井善徳さんにインタビュー>
 
 白壁に赤い屋根の美しいポルトガルの街並を背景に、「消臭リキ~!」と、天にも届かんばかりのボーイソプラノを響かせているかわいい男の子のコマーシャルをご存じかと思います。12歳のミゲル少年はこの歌で評判になり、日本での歌手デビューも決定したそうです。実はこの歌、グローバル文化交流協会会長の福井善徳さんのご長男、洋介さんが作りました。洋介さんはその明るい作風で今をときめく売れっ子マルチ音楽家です。主な作品には『東京スカイツリーオフィシャルソング』『Qooのうた』『クレラップのうた』『消臭力のうた』『そんぽ24のうた』『朝ブレンド十六茶』『でこぼこフレンズ』『ぼくときみ』『バンジョーのジョー』etc. さらに最近よく耳にする「雪印、さけるチーズ~♪」はお孫さんが歌っています。そんな有名人の父、福井さんに息子さんのことをうかがいました。
 :小さい時の洋介さんはどんなお子さんだったのですか?
 :小さいころから音楽好きで、3歳くらいに私の持っていたギターで遊び始め、小学生の時からは一人で弾いていたようです。その後大学でバンドを結成して本格的に音楽活動を始めたようです。作曲のほか、歌手も声優もしています。
 :現在はどのような音楽活動に取り組んでいらっしゃるのですか?
 :東日本大震災後に「希望のうた」という曲を制作し売り上げを復興支援に寄附していますが、これは洋介が作曲し、彼のバンドの後輩の歌手池田聡が作詞しています。この歌に洋介の長男(孫の多朗)も参加しています。
 :活動の本拠地はどちらなのでしょう。
 :今洋介家族は宮古島に住んでいます。東京の六本木のスタジオに月に数回でてきて仕事をこなしていますが宮古島に現在新しいスタジオを建設中です。実は三島の拙宅の隣に家を立てるべく準備をしていたのですが、家の解体直前に東日本大震災が起こり、福島第一原発の事故にともなう放射能の問題が発生したので、急遽工事を中止しました。その後家族で三島にしばらくいましたが、放射能から子供を守るのは親としての義務と、より安全な宮古島にあっさり移住を決め、さっさと引っ越してしまいました。
 福井善徳さんも長年ネパールの支援活動を続け、年に2度ほどは現地を訪れている行動派ですから、洋介さんの行動力も父親譲りなのだろうと感じました。なお、福井さんは近々宮古島訪問の予定だそうです。               (取材/魚谷)
   
ご長男の福井洋介さん   ポルトガルのミゲル少年





2011年9月


        南米大陸感動の3カ国周遊の旅

 5月24日から6月3日まで11日間で、南米の旅を楽しんできました。羽田空港からロサンゼルスを飛行時間9時間12分、ロスからリマを11時間、リマからブエノスアイレスを3時間50分、乗り継ぎを入れると30時間あまりで最初の目的地ブエノスアイレスに着きましたが、トランクが届かず着替えがなくて寒い夜を過ごしました。朝ブエノスアイレスの街は、ヨーロッパの街並みのようでした。そして片側6車線の広さにもびっくりし、国内線空港の近くを流れるラブラタ川の200㎞の川幅にも驚きでした。
 次に飛行機でイグアスに移動をして、イグアスからバスにてブラジル側イグアスの滝へ。イグアスの滝の上流から滝の下に降りて山道を進むとやがて大きな滝が見え、さらに白糸の滝がいくつも見えて、だんだんと滝の近くでは水しぶきが体にかかってきて、カッパを着ないと濡れてしまいそうでした。
 オプションで滝のボートツアーに参加して滝の水が落ちるところまでいった時、大きな虹が見えて最高の景色で感動していたら、ボートの運転手さんがスリル満点に波乗りをして全身ずぶぬれになり、マイナスイオンを楽しむどころではなっかったです。でもこの体験は二度と味わえない醍醐味でした。
 次の日はブラジル、アルゼンチン、パラグアイ3国の国境地点を見て、バスでアルゼンチン側からのイグアスの滝へ移動、途中トロッコ電車にも乗って、川の中にある歩道を3kmぐらい歩いて、有名な「悪魔ののど笛」と呼ばれる滝を上からのぞくと、その奥に吸い込まれそうになるくらい多くの水量でした。そして水の色が黄色だったのも不思議でした。
 2つ目の目的地「ナスカの地上絵」へピスコから軽飛行機に乗り、30分かけて砂漠の上を飛んでナスカ平原にあるいろいろな絵を旋回しながら見たのですが、それが大変な飛行で、飛行機の車輪が窓の外に見えていました。素晴らしく視界良好で、すべての絵を見ることが出来て良かったです。
 次の日はリマの市内観光、黄金博物館ではインカ帝国の財宝の展示を見て、子供のころ読んだ「インカ帝国の謎」を思いだして、黄金のすごさと、まだ分からない謎も多いことを知りました。
 そして最後の目的地「マチュピチュ」に行くため、クスコからウルバンバに移動して体を高山にならしてから「マチュピチュ」観光です。朝雲ひとつない晴天の日でとても幸運でした。世界遺産なのでいろんな国の言葉が聞こえてきて、さすがと思いました。そしてテレビ、写真に出てくるとおりの天空都市が眼下に広がり、ほんとうに息をのむほどの美しさでした。そして帰りの列車の中は通路でファションンショーを見せて楽しく賑やかでした。また、初めてみた「南十字星」もきらきらと輝き素晴らしい星空でした。またクスコの市内観光も標高3,399mでしたが 酸素の薄いのも気にならず観光できました。この旅行で11回飛行機に搭乗しましたが、搭乗券を買う時や税関を通るとき、英語で話すことができて良かったです。そして、なにより幸運だったのは、すべての目的地が晴天だったことです。
                                     裾野市   (S.T)


         ひょんなことから紫式部役に

 女優・藤田弓子さんと知り合って間もないが、GIAなどで培われたキャラがそうさせたのか、紫式部役で舞台に立つ・・・正確には、舞台を歩くことになった。演劇「天国のシャボン玉ホリデー」は、藤田弓子さんのご主人で脚本・演出家の河野 洋(こうの よう)さんによるもので、小松政夫、入山 学(いりやま あきら)、藤田弓子、犬塚 弘、そして、劇団「いず夢(む)」の出演。
 伊豆の国市で行われるお稽古にも通った。「こんばんは!」と入って行ったら、「おはようございます!」の挨拶。皆で創り上げる舞台なのだと感じた。小松政夫さんに「いいキャラしてるね」と何度か言われた私は、どぎまぎ。業界用語かな?入山 学さんが、NHKの金曜バラエティーに出演していた。人は知り合うと距離が縮む。皆、個性的で印象に残る人たちだった。舞台を見に来てくださった多くの友人知人の皆さま、ありがとうございました。6月25日(土)、26日(日)、笑っていただけましたでしょうか? 
                                     三島市  (Y.K)
   
 





2011年8月


このたび京都へ転居されたロバート・イエリンさんから届いた、グローバル文化交流協会のみなさまへのメッセージです。英文、写真とともに、お楽しみください。既に、京都のお店を訪ねた会員もいらっしゃいます。
みなさまも機会を得て、京都で再会というのは、いかがでしょうか?

   
To all Global Members, Greetings from Kyoto.

What a journey this thing called life has been for me and for more than half my life (26 years!) was in the special places on earth called Mishima and Numazu.

Where to begin on how magical, special, inspirational, educational, fun, and joyous Mishima, and all of you, have been in my life, and for that I deeply thank you.
In 1982 I first arrived in Mishima, returned in 1984, married at Mishima Shrine and all three of my children were born in Mishima, in Kotobuki-cho! As many know my passion for Japanese ceramic art led me from being an English teacher to becoming a writer and then a gallery owner; for ten years the gallery was in front of lovely Komoike Park and people from all over the world visited there especially to see the stunning art works. Many said, “what a wonderful area of Japan you’re in” and I certainly agreed! They loved walking along the streams and through the parks. Please keep Mishima Green! Many more visited online and I always replied to emails starting with ‘Greetings from Mishima.’ So many around the world now know that Mishima is not only a famous author yet also a very special city in Japan.

So why did I leave? Let me say it wasn’t an easy decision at all and I pondered it for a few years, often with sleepless nights; I love Mishima, and Numazu, always will. Yet for practical business reasons it was no longer feasible to remain. I needed to be in a place where there were more people, more domestic and international tourists, and a place closer to all the kilns I love, such as Bizen. Therefore Kyoto was the natural choice. Plus, I found a most amazing Sukiya house with a lovely garden just a few minutes walk from the Silver Pavilion (Ginkakuji). The house is full of spirit and is the perfect stage for all the artworks we show, it truly is as if I wake into a dream each day. Already I have visitors from around Japan visiting, and of course I hope international tourists will return to Japan soon. For all my Mishima friends and Global members please stop by for Tea anytime!

I’m attaching a few photos here so you can see the beauty of this home—now called Gin-Ro-An—and the surrounding area very near The Philosopher’s Path and many historical temples are awaiting your visit too.

Thanks so very much to all Global members, the memories I have of being part of your very important group—you’ve touched many lives and made many positive changes in the community—I shall cherish for the rest of my life, thank you so very much; Okini!

    GIAの皆様へ京都よりご挨拶
                  ロバート・イエリン
 人生の半分以上を、三島、沼津という素晴らしい場所で、皆様のような素晴らしい方々と過ごせたことを大変嬉しく感謝しております。1982年に初めて三島を訪れ、再訪時には結婚し3人の子供にも恵まれました。やがて日本の焼き物に魅了され、数年続けたGIAの英会話講師から焼き物評論家に、そして菰池公園の前のギャラリー・オーナーになりました。作品を見に訪れた多くの外国人は菰池公園にも魅力を感じ、私は羨ましがられました。インターネットで世界中に作品を紹介する私は、彼等からの返事にいつも「三島よりご挨拶・・・」で始めるので、三島は有名な焼き物作家がいるだけでなく、日本の素晴らしい街だと認識されてきました。
 こんな三島を去るにあたって、私は数年悩み眠れぬ夜もありました。しかし仕事上の理由で決断するに至りました。国内外からの来訪者をもっとお呼びしたかったし、好きな焼き物作家の住まいに近いことも必要でした。その意味で京都は自然の選択で、しかも銀閣寺から徒歩数分の素晴らしい庭付きの数寄屋造り日本家屋を見つけることが出来たのです。精神性に富むその家は私の展示する芸術作品にぴったりで、まるで夢を見ているかのようです。ここにはすでに国内の愛好家がいますし、諸外国からの愛好家たちもやがて戻って来ると信じています。GIAの皆様も、こちらにお出掛けの際は是非お立ち寄りください。 
〒606-8407京都市左京区銀閣寺前町39  ☎075-708-5581 FAX 075-708-5393

 
 
 





2011年7月


 今月は、Ⅱ期グラウンドワーク・インターンシップのOJT(実地研修)でGIAのプログラムに参加し、横浜在住なのにGIA会員になられた佐藤暢之さんと、長年三島市議会議員として活躍され、今年からは議員以外の活動に専念されるという志村肇さんの2人の男性GIA会員です。


    世界の中で、日本も我々もグローバルに変わっていかないと
 
 今後淋しくない人生を送るため、ボランティアやNPOというものをもう一度きちんとやってみようかと思ったのは、“アライソ”になってしまったなあと実感した昨年の8月でした。30代の頃、海辺のごみ拾い(今風だとビーチクリーン)とか今思えば先駆けのようなことを幾つかやってはいたのですが、10年以上もご無沙汰してしまっていたんですね。
早速土日になると横浜市にある区民活動センターや国際交流ラウンジなどを巡り、チラシを見たり、職員さんと仲良くなっていろんな話を聞いたり、または団体の人と話をさせてもらったりするようになりました。
 11月には横浜市のコーディネーター養成講座に参加、研修を受けたのですが、コーディネーターとは何だろうと自問自答しながら、何かやらなくてはとちょっとあせりだしたのがこの頃でした。
 年も明け2月にはグラウンドワーク三島の研修があることを知り、3月のコースに参加させてもらいましたが、その途中には東日本大震災があるなど大変なこともあった中、普段出会えないさまざまな人に出会い、話をする、という貴重な体験をすることが出来たのでした。コミュニティビジネスという考え方を知ったのも、この研修における大きな経験でした。
 また、自分の「土日祝日限定ですが・・・」という厚かましいリクエストにも関わらず受け入れていただいたグローバル文化交流協会でのOJT研修では、三島の良さ、三島に住む人たちの人柄に触れることが出来、とても楽しい5日間を過ごすことが出来ました。会長さん初め皆様には感謝しております。
今後しばらくは足元を見据え、「誰かのために人助けを実践する」、「NPOの活動に参加する」という目標のもと活動をしていきたいと思っています。現時点では、ユニセフ関連の募金活動などに参加したりしています。
 この密度の濃い9ヶ月間においては、「つながることの大切さ」、「仲間の大切さ」といったことを実感しましたが、一方で、大震災などを通じ日本が世界の中でグローバルに変わっていかないと生き残っていけない中、一緒に自分たちも変わっていかないといけないのだということも実感しています。GIAが果たす役割も、かなり大きいものですよね。
 横浜と三島は大変近いですし、また皆様にお会い出来る時を楽しみにしております。                                 横浜市 (N.S)


         ~・電 力 の 確 保 と 安 全 性・~        

 私は数年前から東海地震の震源域に建つ、浜岡原発の安全
性について疑念を抱くようになり「東海地震の発災後まで、原子炉の運転を停止すべきである」という趣旨の、国会宛て意見書案を平成19年9月の三島市議会に提出しました。しかし、全会一致の意見書のみ採択するというルールの中、連合3議員の反対で日の目を見ることはありませんでした。
 今年の2月議会中に起きた東日本大震災により原発災害が発生したので、同様の意見書案を提案しましたが、やはり組合出身の3議員の抵抗にあいました。そこで、(前文略)「原発震災を未然に防止するため、今回の大震災を踏まえて巨大地震が想定されている地域にある浜岡原子力発電所の安全性に対しては、徹底した地質及び原子炉の調査を実施するとともに、最悪の事態を想定した抜本対策を行うこと。」という文言に変え採択にこぎつけた経緯があります。
 ところで、原子力発電と聞けば最先端の発電機と思いがちですが、実は、水を熱して蒸気を作り、その力でタービンを回して発電を行いますので、仕組みは火力発電と同じ様なものです。ただ、熱エネルギーをどこから得るかという点で、火力発電の場合は石炭や石油を燃やして熱エネルギーを得、原子力発電の場合は化学反応によって生じる熱エネルギーを利用する点が違うのです。
 原発の発電コストは、太陽光発電などを含めた他の発電方法より安いといわれていますが、炉心の大きな崩壊熱は制御棒を差し込んで反応を止めた後でも、急には冷めませんし、発熱率が0.1%になるまでに1ヶ月もかかると言われています。使用済核燃料も10年以上にわたって冷却し続けなければなりません。そして、その間冷却に失敗すると福島原発のように放射性物質が環境中に放出されるなどの、大きな災害につながる恐れがあります。私達は費用対効果を含め、安心安全で効果的なエネルギーをどのように確保するか、真剣に考える必要があるのではないでしょうか。                                三島市 (H.S)





2011年6月


 今月も、まずは、GIAが支援している「あしたの会・インド」の主宰者、Armene Modi(アーミン・モディ)さんからGIAのみなさま宛の、インドの女性たちの近況メッセージをお伝えします。
 みなさま、いつも温かなご支援をありがとうございます。


     GIAからの支援金が、インドでしっかり生かされて・・・

 「あしたの会・インド」を代表して、インドの地方の女性たちの自立と少女たちの教育促進を目的とする私たちの活動に長い間ご支援し続けているGIAの皆様に心より感謝申し上げます。皆様のお蔭で、多くの少女たちは高校以上の教育が受けられるようになりました。また、今年の皆様からの支援金は、少女たちの来年の大学進学のための奨学金に使わせていただきます。少女たちへの教育は、家庭は勿論、広い意味では、国家の利益に繋がるのです。日本円で4万円という支援金に大変感謝しております。
 私たちの過去の活動が2つの村の家族の生計を向上させたことを知ったら、皆様はさぞ喜んでくださることと思います。ニンガオン・ボギー村の女性120人とソネ・サンビ村の女性90人は、今自分たちで酪農協同組合を経営し、1カ月に各々の女性が3,000ルピーから4,000ルピーを稼ぐ収入源としています。私たちの125の自助女性グループは、女性たちの個人的収入が約1万ルピーになるよう経営を続けていくつもりです。また今年から6村で着手した裏庭養鶏プロジェクトは、200の地方の家族の栄養レベルを改善し、女性たちの収入も今以上になっています。
 若い女性グループへの投資は、彼女たちに教育の重要性を認識させています。今年は57の奨学金を村の少女たちに与えています。これらの画期的な事業は、勿論皆様のような支援者たちがいなくては達成できるものではありません。この公的領収証は皆様の記録に残ることと思います。どうぞ私たちの心からなる感謝の気持ちをご推察ください。
 ありがとうございました。                  アーミン・モディより
   
 GIAから「あしたの会・インド」へ送金した4万円の領収証


 「国際女性の日」を祝って歌うインドの女性たち

       東日本大震災後の統一地方選挙に思うこと

 この度の統一地方選挙において、三島市議会議員として当選することができました。ご支援いただきました方々には感謝しています。この度の選挙は、東日本大震災の直後であったこともあり、いま一つ盛り上がりに欠ける選挙となり、投票率にも影響を与える結果になりました。
 東日本大震災を含め、今後どのように日本という国を運営していくかは予断をゆるさない状態であり、地方公共団体にとっても税収が期待できない状態の中でのかじ取りは、大変難しいものになっています。この選挙期間直前の震災の余波は、計画停電に翻弄されている中での、後援会活動、選挙準備では、市民の皆さんへの働きかけも十分なものとはいえず、その点については残念に思っています。
 しかし、初めての選挙活動を経験し、学んだことがたくさんありました。その中でも、選挙活動と後援会活動の区別、公職選挙法による法律的な規制(当選後のお礼挨拶の禁止など)など、戸惑いを感じることもありましたが、市民の皆さんに立候補した思いを伝えることは、私の当然の責務であり大事な活動であると思います。
 そのようなことから、できるだけ多くの皆さんと顔を合わせて対面していくことを心がけました。その中で、出会った多くの方々からのお話の中で、三島市の現状を知ることができ、訪問する地域によって生活環境の問題点も異なっていて、これからの市政に活かす課題、問題がたくさん見えてきたと感じています。
 今後は、これまでの経験を活かしながら、市民の皆さんの声を真摯に受け止めて、市民の皆さんの期待に応えることができるように活動していきます。よろしくお願いします。                               三島市 (R.N)
     
街頭演説中の野村さんと、事務所の看板に使用された写真
 街頭演説の様子





2011年5月


 GIAが支援している「あしたの会・インド」の主宰者、Armene Modi(アーミン・モディ)さんより、インドの女性たちの近況が、パワー溢れる写真と共に送られてきました。              

   国際女性の日“ International Women’s Day”を祝うインドの女性たち
   
 
  2011年3月7日、インド・マハラシュトラ州、プネー地方のNGO「あしたの会」で働く村の女性たち250人が集まり、「国際女性の日」を祝った。インドの女性たちは長い間、タバコと酒、男性の家庭内暴力に悩まされてきた。しかし、この問題を解決するためには女性自身が物事への決定権を持つことが必要で、それには女性への教育が必要であった。
 1998年、プネー地方の10の村を対象にアーミン・モディさん主宰でNGO「あしたの会」を立ち上げ、女性への教育と女性の自立を目的に活動を展開し、その目的をほぼ達成した。この日はこうした女性たちの喜びを祝った日であり、参加者のうち15名の女性が「女性のエンパワーメント」についてのスピーチコンテストに参加し、活発な意見が交わされた。


       これが、「ソーラーガーデンライト」です!

 我が家の庭先にあるソーラーライトは、2年以上もの間、どんな天候の下でも毎日、律義に日が落ちて辺りが暗くなると自動点灯し庭を明るく照らし、朝、明るくなると消灯する優れものだ。
 東日本大震災の翌々日、ホームセンターの駐車場でアタフタした様子の友人夫婦に出会った。聞けば、東京在住のご子息から電池を頼まれて探しているのだと言う。どの店でも電池は既に完売していた。その時も、友人にガーデンソーラーライトを勧めた。懐中電灯の電池には利用できる時間に制限がある。ソーラーライトなら、日中、外に出して太陽光で充電するだけで繰り返し使える利点がある。震災直後、我が家の懐中電灯全部をチェックした。やはり、災害は忘れるころにやって来るものだ。気の緩みと並行しているかのように電池量が自然減少していた。しかし、停電の時は庭のソーラーライトを使えば電池がなくても慌てることはない。たとえ薄暗い灯りであっても見えるということは安心感があるものだ。
 大震災から数日後、各地の友人たちと震災見舞いを電話で交わした。皆、口を揃えたかのように、”電池が手に入らない”と言ったので、私は再びガーデンソーラーライトのセールスウーマン風に変身してしまった。友人たちはそれぞれ、ホームセンターへ駈け込んでソーラーライトを手に入れたようだ。
                                  山梨県大月市 (H.S)
   写真のようにペットボトルに水を入れて、クッキングホイルやラップ、トイレットペーパーの芯などにハサミを入れて、ジャストサイズにカットしたらセロテープなどで芯を補強し、セットすると便利です。充電する際は、直接地面にさし立てても良いのですが、ブロックを立てて、穴にソーラーライトをさして置くとベランダでもどこでも手軽に充電できるのでお勧めします。(H.S)





2011年4月


               春の兆しを見つけに

右手に三島スプリングスの建物をみながら進んで行くと、遠くに陽があたって紅く光る駿河湾まで見渡せる高台へ出る。「ここも三島か」とあらためて見直した。仕事を通じて知り合いになった陶芸家がご自分で穴窯を作り、今日が窯出しとのお誘いを受けていた。車1台が通れる枯れた野原の先に、満開の白梅、その横に手作りの塀が廻った工房があった。地面にはブルーシートが敷かれ 花瓶、壺、茶碗、皿など、窯出しした作品が無造作に並べられている。お手伝いの人が見学に来た人に丁寧に説明していた。
窯主は陶芸家の三ッ石幸一さん。「ゆうび窯」と名付けられた窯は思ったより小ぶりだったが、とても手作りとは見えない頑固な作りだった。初窯はどうかすると火を入れると崩れ落ちることがある、と聞いていたが、成功したとの知らせを受けた時は、正直「よかった」と思った。ご本人の喜びはいかばかりかと想像がつく。
長い間お勤めをしながら陶芸の道も歩み、さらにこつこつと2年半をかけて積み上げた耐火レンガは、1200℃に熱せられ昼夜なく温度を維持してきたが、今はもう冷たく“しん”と鎮まり返っていた。作陶、乾燥、薪割り、窯入れ、作品になるまでの行程は陶芸家にとって「何」との闘いなのだろう。「今回は備前ばかりだから」と言いながら、普段は訥々としゃべる方なのに、大好きな備前の土の調合の話など爽やかに説明してくれるのは別の人かと思うほどだ。自分のためだけでなく他の人にも使えるように、これからいろいろな道が開けそう、と嬉しそうに話すお顔は自信に満ちていた。次の窯を焼くためにまた沢山の薪を割る準備が始まるとか。初めて窯場を見せていただいた私には、作品の説明や、出来、不出来のことなど伺いながら、続けていることが「道を極めること」。続けていれば何かが見えてきたり、思いがけないことが寄ってきたりするのだと思った。三島に窯ができて、寒さの中にも気持ちのよい野原の空気は、「もうすぐ春」の兆しと、いろいろなことが始まる予感が一緒になって、心が膨らんだ一日であった。                            清水町 (H.O) 


99歳・私の証
       あるがまゝ行く
             日野原重明
  私がこの欄に毎週エッセーを書くようになって早8年以上になります。読者の方から送られてくる多くのお便りが、私のよい刺激となっています。
  先日、文筆家の川名澄さんから「インドの詩人タゴールには俳句や短歌を連想させるような英語の短詩があり、それを和訳して出版したので、寄贈します」という便りが来ました。私がタゴールの詩がとても好きだということと、最近俳句を勉強し始めたことを、この欄でお知りになったからでしょう。川名さんが訳した本の題名は『蛍 ― タゴール詩集』(風媒社)、英語の原題は「Fire flies」です。
  タゴールといえば、私は彼の作品すべてのとりこになっています。タゴールが日本を訪れた時、私は中学生でした。10歳年上の先輩が、タゴールの講演会に出て心を打たれたと話していた時から、どんな詩人かと心を寄せていました。先輩はタゴールの詩集『ギタンジャリ』の中の詩を私に読んで聞かせてくれましたが、まだ少年だった私にはその意味が分かりませんでした。
  しかし還暦後、老年医学を研究し、更にホスピスでのがん患者のターミナルケアに関心を寄せてから読むと、タゴールの詩には、私に強く訴えかけるものがありました。人生の終末は誰にでもありますが、タゴールがその瞬間のためにどう備えていたかが心に響いてきたのです。
  さらに、今度送られてきた川名さんの本を読んで、別のことも分かりました。
  タゴールは日本を訪問中、日本の短詩に強い関心を持ち、松尾芭蕉の俳句を英訳したそうです。そして、世界でもっとも短い定形詩である俳句という形で、英詩を書いた、というのです。
  タゴールの英詩集『蛍』は、1928年に詩集『迷い鳥』と同じ版元から出版されました。日本を訪れた時、旅の宿屋や茶室に掛けられていた掛け軸に書かれた俳句や短歌に深い印象を持ったのでしょう。この2冊には、日本や中国への旅に対する思いがつまっていると思われます。
後略
        (聖路加国際病院理事長)
平成22年11月6日 朝日新聞より抜粋

99歳・私の証
    あるがまゝ行く
         日野原重明
 私は昨年、この欄に「詩人タゴールと俳句」について書きました。インドの詩人タゴール(1861~1941)が来日ごとに日本の俳句や短歌に興味をもったという内容でしたが、多くの反響がありました。
 記事を読んで、静岡県三島市の浄土宗蓮馨寺の住職婦人が、インドの女性を聖路加国際病院の理事長室に連れて来られました。日本でタゴールの詩や踊り、インドの絞り染めや料理を紹介したいという方でした。このお寺でもタゴールの詩や舞踊を教えているといい、私にも一度檀家の方々に講和をしてほしいと言われました。タゴールに代表されるインド文化を日本に伝えたいという熱意に私は感動しました。
 日本とタゴールは深い結びつきがあります。タゴールが最初の来日時に書いたのが「蛍」の短詩、いわば日本人や日本文化に接して書かれたものです。その後の詩集『迷い鳥』には、横浜市の三渓園内の山荘「松風閣」に大正5(1916)年に滞在したときの情景が書かれました。
中略
 アジアでの最初のノーベル文学賞を受賞したタゴールこそは、詩人であり、哲学者であり、音楽家であり、また小説家、劇作家でもあり、そのうえ晩年になってからは絵画も描き始めました。
こうしたタゴールの魅力は、今の日本でも着実に浸透しているようです。
後略
平成23年1月29日朝日新聞より抜粋
平成22.11.15 日野原重明先生と石井シュクリシュナさん



2011年3月

             英語で広がった仕事の幅 

 学生時代に特別得意ではなく、外資系ホテルに勤務し仕事を円滑に進める為に学び始めた『英語』。
 気が付けば、自分自身への少しの投資と自己啓発の気持ちで、大分自分自身の世界が広がり価値観も変わったような気がします。
 仕事の幅も広がり、1年間ではありますが海外で働くことも出来、趣味も増え、海外にも友人知人を作る事ができました。10年前は海外など想像もしておりませんでした。
今では趣味としての『英語』でGIAにも参加させて 頂きました。週に1時間の短い時間ではありますが、それが習慣になりますと生活に新たなリズムが出来、そこで仕事や日常以外の人達と会うと新鮮な気持ちになります。単なる1外国語の『英語』ですが、続けているだけでコミュニティーが広がり、そこで出会った人たちから様々なことをご教授頂きました。
 大切なのは、何事でも興味を持った事柄を継続し、それを通じて人の輪を広げる事ではないかと思います。
 そこで出会う人たちは、人生をより楽しく充実させてくれる事でしょう。
                                     伊豆の国市 (H.O)


               トルコ旅行の思い出 

 1月にハミエットさんからトルコのお話をきいて、12年前、トルコ旅行で一番印象的だった、ハンググライダーに乗って空を飛んだことを思い出しました。その日はよく晴れた日でした。私はハンググライダーに乗る予定は全然なかったのですが、いつの間にか狭い山道を軽トラックに揺られ、山頂に着いてしまいました。そこで、初めて「全員空を飛ぶのよ」といわれ、私の胸は急に鼓動が激しくなりました。逞しい男性が私の飛行ガイドでした。英語もトルコ語も全くできない私は、どう助けを求めたらと不安でいっぱいでした。仲間がどんどん空に舞い上がっていって取り残される
ハングライダーの先生と杉山美智子さん(右)

上空に舞い上がった杉山さんのグライダー
心細さに、ついに飛ぶ決心がつきました。スタートの瞬間思わず、「南無阿弥陀仏」と手を合わせてしまいました。ガイドの「GO!」とい うサインで下り坂の山を一気に走り、地面を勢いよく蹴り上げると急に身体がふわっと浮き上がりました。もうその時は宙に浮いた自分に驚くと同時に、すっかり開いたグライダーに身を任せていました。「右を、左をひっぱって」の声に従って操作し、空中を面白いほど高くまで上がっていきました。先に飛んだ仲間も飛行を楽しんでいる様子。時々ガイドは仲間のグライダーと接近しようといたずらをして私を怖がらせました。それでも遊泳をしながら、片言の会話もすることができました。どのくらい遊泳していたのでしょうか。ガイドの指示で、グライダーはゆっくり海辺の方に滑空し、無事砂浜に着陸しましたが、大きくふくらんだハンググライダーはふんわり着陸することは出来ず、かなりの砂地を走ってやっと止まりました。こうして空中遊泳は無事終わりました。
                                        三島市 (M.S)





2011年2月

   ホノルルマラソン10kmウォークに参加して

 昨年12月にGIA事務局の魚谷淑子さんに誘われ、ホノルルマラソンと同時に開催された、10km ウォーク“RECE DAY WALK ”に参加しました。風光明媚なホノルルの景色を見ながら歩けたらいいなと思ってご一緒することにしました。旅自体は、ハワイ島3泊、ホノルル2泊で、美味しいものを食べて飲み、女3人の
 見事FINISHした伊藤さん(左)と魚谷さん
勝手気ままな楽しいものでした。
 当日は、午前2時~4時まで運行のシャトルバスに乗るため、ほとんど寝る間もなく、午前2時半に起き、サンタの格好をしたボランティアの誘導でバスに乗り込みました。スタート地点のアラモアナ公園は参加者が3万人近いとかで人がいっぱい。やがてスポアナ風の開会式の声が響き、打ち上げ花火とともに、お祭り気分だった私たちも徐々に緊張してきました。マラソンは5時スタート、10km ウォークはその後すぐのスタートでした。まだ夜明け前の暗闇の中での出発で、景色を楽しみたいと思っていた私の思惑ははずれましたが、X'masイルミネーションを楽しみ、徐々に明るくなっていくホノルルの美しい夜明けに感動しました。街の人々の応援の声に励まされながら、カピオラン公園でフィニッシュ。10km ウォークといえども、フィニッシュした時は感激しながら完歩の証明書をいただきました。
 マラソンランナーには完走すると青いTシャツがもらえるので、レース後は誇らしげに 皆さん着ていました。足をひきずりながら歩いている人も多く、青いTシャツを着ていると知らない人にでも「おめでとう!」と声をかけたくなりました。     
 ホノルルマラソンは制限時間が設けられていないので、最初から完歩を目ざす人も多く、昨年は100歳近い方が何時間もかけ、完歩されたと聞きました。マラソンは無理でも、42.195km完歩は、準備次第で出来そうな気がしてきます。ハワイの人々のオープンでおおらかな人柄があふれ、また参加してみたいと思わせる楽しいイベントでした。次は42kmウォークに?皆様も一度挑戦してみてはいかがでしょうか。
                                       長泉町 (M.W)


     ボリビアの小学生に日本語を教えて

南米ボリビアから3年生の女の子が三島市立沢地小学校に編入した。彼女はスペイン語しか話せず、日本語は全く分からない。困った沢地小の校長先生からスペイン語教室のあるGIAに「どうしたら良いか」との相談があった。たまたまその女性校長先生は、昔GIA事務局の水野さんの子供の担任であったという縁があったからだった。そこで校区内に住むスペイン語教室のメンバーで都合がつく時間を利用して、週に2回ほどその子に日本語を教えるためボランティアで小学校に通うことになった。私たちはスペイン語の読解はできてもスペイン語での意思の疎通はスムーズにはいかないので、片言のスペイン語を交えつつ奮闘中。彼女も突然異文化圏におかれても、急に学習意欲が湧かず、気ままなお国柄に育ったこともあって簡単にはいかない。しかし、時折見せる利発そうな表情を見ていると日本の生活に慣れるのもそう遠くはないだろうと思いつつ、試行錯誤の日々を続けている。                    
                                      三島市 (H.K)

私も交代要員の1人として、小3の女の子と日本語での遊び相手を始めて約1カ月。スペイン語で話さねばと思うと、知っている単語もすっと口に上らず自分の話せなさを思い知らされる。彼女は日に日に日本語の語彙を増やし、友達との輪も広がって学校生活に慣れ親しんでいる様子。このように聞き言葉は自然に身に着くようだが、読み書きは真剣な努力なしには覚えられない。これらを教えるのも覚えるのも大変困難な作業である。
                                       三島市 (N.H)
         *講師のナタリア・福岡さんから一言*

 私がこの話を聞いたときに、嬉しくて、嬉しくてね!素晴らしいと思いました。私の生徒たちがボランティアでそのように活動してくれるようになり、長年やってきた甲斐がありました。




2011年1月

GW三島が平成22年度に取り組んだⅠ期グラウンドワーク・インターンシップ(GWI)のOJT研修先として、GIAも協力しました。今回は、GIAのOJT研修に参加したみなさんの感想を掲載します。今後、GWIは、Ⅱ期、Ⅲ期と継続されます。関心のある方は、GW三島のHPを是非ご覧ください。

沢地グローバルガーデンでデジカメ撮影開始!

祐泉寺境内で「ウォークぶらり~」に対応!

「ミニ図鑑」が着々と完成に近づく!

GWIのOJTに参加して     福井 善徳
草花や生き物の観察を実践し、参加者の力を結集してミニ図鑑の完成を見た。図鑑の作成過程でのチームワークの形成は見事であった。更に、参加者のパソコンの技術アップまでできたのは、ひとえにテーマの作成が適切であったことに尽きる。このチームワークが何かに役立だてばと思う。
人・草花・生き物・にぎわい百科  小松 幸子
 生来、人と何かを創り上げていくことが好き。OJT研修のプログラムを企画立案。参加者のいずれもが楽しんでもらえるようにと心を傾けた。素晴らしい人間関係が「沢地グローバルガーデンの草花・生き物ミニ図鑑」を完成させ、祐泉寺でのにぎわいも創出。ハッピー!
OJT体験からの贈り物     時枝 しのぶ
 沢地のギアガーデンでのOJT活動で、にわかシートンもどきになりました。足元の草むらでひっそりと小さな生命がうごめき、季節の草花がけなげに咲くのを嬉しく思います。OJTの仲間になれたこともしかりです。
もっと動植物に親しもう!!    水野 幾子
 GIAガーデンには人工的に植栽されたものと、自然に育ち名も知らぬ植物が多いのに驚いた。地球上に生物多様性が問われる現在、ここで作成した「ミニ図鑑」が、自然への関心の薄い子どもたちにアピールし、彼らの動植物への意識が高められればと思った。
OJT(実務研修)に参加して  乙部 美麻子
OJT?実務研修?・・・考える間もなくスタート!グロ-バルガーデンでの植物、生物採集、カメラ撮影などから始まったミニ図鑑の作成の体験は、ただの雑草と思っていた草木の1つ1つに学名がついていたことを知り、健気に咲いている花々と共に愛おしいと思った。
お祭りの乗りで賑わい創り!OJT研修終了   斎藤 彩子
 それは、8月29日のイベント「街中がせせらぎ・ウォ~クぶらり」への参加だった。街中の賑わい創生を学ぶために、皆でゲゲゲの鬼太郎等に扮し、スタンプPへの呼び込みなどに力を合わせ、共同作業が仲間意識を生み、その後のミニ図鑑の編集作業は大いに盛り上がった。
図鑑づくりで楽しんだ夏      西川 勝美
GIAガーデンの図鑑作りは、楽しい人たちと一緒に学べてとても有意義な時間であった。真夏に写真撮りをし、名前や説明を決める段階になると意見のメールが行き交い、なんと秋まで続いた。そのせいか、今でも道端の草や虫に目が向くのは図鑑作りの成果と言える。
一番喜んでいるのは、、、      深山 幸子
「私達は、ミニ図鑑に登場した草花等です。普段見過ごされていることが多い私達が、スポットライトを浴び、身元を明らかにすることが出来ました。これも一重に皆様のお陰です。心よりお礼申し上げます。」
 そんな声が聞こえてきました。多謝です。
GWのOJT、祐泉寺でのイベント手伝い      魚谷 淑子
三島のイベント「ウォークぶらり」で休憩所となっている祐泉寺でお手伝いをした。今年話題のゲゲゲシリーズのお面やコスチュームをつけての呼び込みや、抹茶サービスのおもてなしはさながら学園祭気分で、とても楽しかった。
  





2010年12月


                 母と暮らす6カ月

 87歳の母はヘルパーさんに週2回来て頂き1人暮らしをしていました。今年になってから足の具合が悪いとか、毎日ウトウトする事が多いとか言っていたので心配していた折、3月半ばに車に接触して転び、大腿骨を骨折して入院してしまいました。私と妹2人で相談して交代で病院に行く事になり、三島~岡山間の往復が始まりました。手術をした病院とリハビリの為の病院に入院している約3カ月間、最初は1~2週間交代でほぼ毎日お見舞いに行っていました。でも、話し相手になる事と入用の物を持って行くだけだったので、後にはそれぞれの都合で行かない日もありました。退院した時にはリハビリの成果があって前よりも上手に歩くことが出来るようになっていました。本人の希望もあって1人暮らしを目標に、入院生活の為できなくなっていた日常生活に慣れるまでひと月一緒に暮らした後、ヘルパーさんや近所の人達の助けを得て元の生活に戻りました。
 家族と一緒に賑やかに暮らしているお年寄りを見る度に、これで良かったのかなと切ない気持ちになっていたところ、8月の中頃 夜が不安だし疲れたので、私の所に行ってもいいかとの電話がありました。元々姉妹の間で母の気持ちが変わったら、私は自分の家で、妹達は岡山の家で面倒を見ようと話し合っていたので内心ほっとして、8月末から9月末まで我が家に来てもらいました。トイレが近くて夜何度も目が覚めてしまうので不安だと言うので、ベッドのそばにポータブルトイレを置いて安心してもらい食事は私が作りましたが、食器洗いなど出来る事は何でもやってもらい、朝夕の涼しい時に杖をついて散歩をしたりしているうちに、又元気になりました。
 同じ事を何度も聞いたり、細かい事が理解し難い時もあり、ささいな事でカチンとくる事もありますが、よく感謝の気持ちを伝えてくれるので嬉しいです。自分のことはできるし、主人のサポートもあり、妹達と交代というのも気が楽です。私のしたい事もやりながら『無理をしない』をモットーにやっていこうと思います。11月25日にまた来てもらいます。
                                      三島市 (T.S)



           ♪ 宝塚緞帳物語 ♪

 姪がデザイナーとして勤務するワコール㈱は、宝塚大劇場の舞台の幕(緞帳)を8年ごとに新調しスポンサーとして寄贈している。去年の7月がその8年目だった。そして、姪の作品が社内コンペで社長賞に選ばれ緞帳のデザインに採用された、というニュースが妹からもたらされた。
「艶」が輝く舞台と、ご両親に寄り添う魚谷淑子さん
 贈呈式は劇場の舞台に掛けられた新しい緞帳の前で、宙組の組長とトップスターに目録が手渡された。そして姪も関係者として一緒に舞台に立つ栄誉を受けた。それ以来、宝塚大劇場に掛けられている、その緞帳を見たいという家族の願いは憧れに近いものとなっていた。特に孫の作品を是非見たいという、89歳と81歳の高齢の両親を連れて行くには早いほどいい。
 しかし、難しいと聞いているチケットの取得方法すら不明で、宝塚詣では私たち家族にとって半ば夢物語になっていった。そんな折に宝塚が大好きという、GIA事務局の斎藤彩子さんが、観劇の作品選びからチケット取得までサポートしてくれ、幸運にも両親と私たち姉妹の4人で宝塚観劇が実現することになった。観劇予定日の前日から劇場近くの宝塚ホテルに宿泊したので、翌朝は無理なく劇場に到着した。
  2009.7.24の贈呈式。右端がデザインした里紗さん。
  左3人は宙組のタカラジェンヌたち。
 開場時間の10時半、車椅子の父と寄りそう母を連れて真っ先に劇場に入ると、正面の舞台には幅25m高さ10m重さ1tの姪のデザインした緞帳「艶(つや)」が華やかに下がる舞台が目に飛び込んできた。紫がかった妖艶な色とデザインは舞台の雰囲気によくマッチしていてとても美しかった。「あれが里紗ちゃんの作品なんだね~」と、かすれ声でつぶやく両親の目には光るものがあり、妹と私も思わず胸にこみ上げるものを感じた。続々と観客が増える中、開演までの30分間に私と妹は夢中で写真を撮った。今もその写真を見るとあの時の感激と嬉しそうな両親の顔を思い出す。帰りは大津に住む姪の家に1泊し、楽しい語らいの席で私たちの思いを直接姪に伝えることもできた。その夜、もうすぐ1歳になるひ孫の成長に目を細めている両親に、私たち姉妹も、本当に良い旅をプレゼントできたと満足感で一杯だった。
                                      三島市 (T.U)





2010年11月


     14回目のネパール訪問記(2010年9月24日~10月8日)

 今年2月末に心筋梗塞を発症し16日間の入院加療後初めての訪問であった。現地カトマンズ市では友人のダマン(41歳)宅に滞在した。友人といっても、彼は私のネパールの息子と称し、彼の妻のソバ(28歳)と1歳の息子も歓迎してくれた。
 ダマンの家は借家で、大家さんの1階部分に住んでいる。2LDKで家賃が1カ月1万ネパールルピー(12,000円)とのこと。給料が1カ月1万円で大威張りのネパールでは、高額な家賃である。私にはトイレ、シャワー付きのベッドルームを用意してくれ快適な日々であった。ソバの小さいころから、身の回りの世話をしてくれたというお手伝いさん(38歳)が、子供の世話や家事を手伝っている。ネパールでは地方の貧困層出身の女性が、中流階級のどの家でも無給で住み込みのお手伝いさんをしている。私の滞在中、洗濯など全て面倒を見てくれた。朝起きるとすぐにモーニングコーヒーを寝室に持ってきてくれる。
 朝食の準備は主婦の仕事で食パン2枚、インスタントコーヒー入りの牛乳、ジュース、スクランブルエッグ、ソーセージ、りんごとバナナである。これは私の日本での毎日の朝食で、毎年リクエストしなくても用意してくれる。昼と夕食は主としてネパール料理であるが、残念ながら、レストラン、家庭料理とも決して美味しいとはいえない。
 今回の訪問に際し9月30日に私の永年の社会奉仕事業を顕彰し、前ネパール皇太子を主賓として招き、セレモニーを開催してくれた
 10月3日には、今回訪問の一番の目的であるバネパ市(カトマンズ市東方25km)にあるベイラー・インターナショナル・アカデミーでセレモニーを催してくれた。この学校で私たちが支援する生徒たち11人が寄宿制で教育を受けている。式典のイベントの1つとして、空手の胴着を着けた生徒たちが空手のトレーニングを披露してくれた。この胴着は今回私が生徒たち11人にプレゼントしたものである。
 今ではダマンを通じてネパールに多くの友人を持っている。彼らと来年4月の再会を約束し帰国の途に着いた。ネパールは文化、宗教、習慣など驚きが一杯の国だ。下記の私のホームページを覗いていただければ幸いである。                  
http://web.thn.jp/nepalkoji/
                                      三島市 (Y.F)
   前ネパール皇太子(前列中央)と
    福井さん(その左)を囲んで


   空手の型を披露する生徒たち

                 孫と登った富士山

孫の優大(ゆうだい・小3男子)との約束で、この夏、私は20余年ぶりに富士登山をすることになった。「登るなら満月の日にしよう」ということで8月25日、富士宮口を登ることにした。「体力のない優大を山頂まで連れて行けるだろうか」と、心配が先にたったが、時間が倍かかっても、なんとか山頂に立たせてやりたいという気持ちが強かった。
この時期になっても、5合目は登山者や観光客が入り混じって賑やかだった。ここをちょうど正午に、わくわくした気分で出発。今日は、8合目の山小屋に泊まることになっている。優大の歩き方次第だが、時間がかかったとしても明るいうちには着けるはずだ。6合目を過ぎ、次第に勾配がきつくなると優大の足の動きも次第に鈍くなり、休む回数も多くなってきたが、励まし続け、ようやく8合目の山小屋に到着。時間はすでに5時をまわっていたが、眼下に一面に広がる雲海や、夕日が映し出す影富士などの自然の大パノラマに、優大は感激。しかも今宵は満月。夕日が雲海を染めて沈み、東の方角からはまん丸の月が上ってきて、同宿の人たちと共に、私たちもしばらくの間見とれていた。
優大は山小屋の粗末な布団に入って、話をしているうちにいつしか寝入ってしまった。わたしは、もう一度、月を見てから眠りについた。
2日目は午前2時に山小屋の人に起こされた。外にでると、冷たい空気の中で月が煌々と輝いていて好天を約束していた。優大の歩きは今日もゆっくりだったが、昨日の疲れが取れたようで4時40分には頂上に着くことができた。ご来光を見るために、東の吉田口の方に移動して、岩の陰で冷たい風をよけて待った。やがて、真っ赤に染めた地平線の一点からまばゆい光が放たれ、見事なご来光を迎えることができた。
その後、お鉢周りで3776mの最高点へ登ったり、雲海上の影富士を見ることができたりして、優大にとっては思い出多い夏休みになったものと思う。初めて登った孫との富士山。私にとっても思い出深い夏になった。
                                      三島市 (K.N)      
   富士山8合目の雲海

西川さん(左)とお孫さんの中村雄大君





2010年10月


左は、三島市の友好都市である中国浙江省麗水市の花園中学校の建物です。大変優秀な生徒たちが選ばれ、寄宿して学んでいます。この建設費の一部分には、三島市民の有志の寄付金が使われており、当時、三島市国際交流協会(MIRA)の役職にありました小松幸子もかなりの寄付をさせていただきました。今回、MIRAよりGIAへ、ホストファミリーの依頼があり、4家庭のみなさまにご協力いただきました。誠にありがとうございました。


       小さなきっかけが友好の第一歩

 周 擷(ジォ シェ)、王 珏穎(ワン チェエィ)の2人の少女が食事の時よろこんで飲んだものは水でもコーラでもなく温かいスープで、特にトマトとタマゴの中華風スープは美味しそうでした。
 海辺に行ったのは多分初めてのことだったでしょう。我入道の砂浜では小さな子供に戻ったように波と戯れ小さなカニと遊びました。

 綺麗なものを着て楽しみたいのは人間共通の思いでしょうか。私たちも様々な国の民族衣装に魅力を感じますが、浴衣を着させてあげるととても喜びました。
 楽しい交流をする事が出来ました。  

                     三島市 (R.I)
                                                                 
 
  熱烈歓迎(ルーリーホワンイン)!ユイシンちゃん

 麗水市から我が家にやってきたのは叶 宇しん(イエ・ユイシン)ちゃん。
 謝謝(シェシェ)、可以(クーイー)、不行(ブーシン)、隋便隋便(スイビエンスイビエン)、早上好(ザオシャンハオ)、などの言葉を書いた紙がまだ我が家のリビングや洗面所の壁に貼ってある。わずか3日のステイだったが、中学生の時の娘と重なりタイム・スリップしたような感覚だった。
 疲れから熱が出てしまい、本当に心細い思いをしただろう。しかし健気にも気をつかうので、「スイビエン、スイビエン」と元娘の部屋でのんびりさせた。洗面所を水びたしにして洗濯をはじめたり、たくさん持ってきた自国のお菓子を置いていったり、猫のサラをそっと撫でたり、ふんづけたり、靴を3足も玄関に並べたり、アンパンが好物だったり、ヒエピタを四六時中おでこに貼ったり、可愛い声で “I don’t know.” と言い、国際電話がつながった時のうれしい顔など、今も、ありありと目に浮かぶ。夏休みの宿題が残っているといっていたが・・・
 さて、いつになったら壁の張り紙がはがせるのか、今はまだその気になれない。
それに改めて漢字の存在と動詞と目的語を強く意識した3日間でもあった。                    
                                     長泉町 (S.T)


        ホストファミリーを受けて
 
 「私の名前は薫洲函、趣味は読書と音楽、絵が上手です」こんな自己紹介が日本語で届いた。彼女はもの静かで考え深く、おしゃれが好きなお嬢さんで、私は彼女を「ドン・ジョーハン」と呼んだ。日本の子ども同様、パソコン操作の上手なのには驚いた。万国博の上海から彼女の家を映し出し、さらに我が家とブルーバードが止めてある庭が映し出された。母親と交信したいようだったが、それは出来なかった。
 家族と過ごす日の午前中、彼女の仲間たちと海の見える千本浜の「ビューウオ」に行ったが、残念ながら富士山は雲に隠れて見えなかった。海が珍しいらしく波打ち際ではしゃいでいた。午後はサイクルスポーツセンターで変形自転車を乗りあさったが、ジョーハンは運動がちょっと苦手らしく難儀していたようだった。
 「お別れパーティー」では、浴衣を着ると予告しておいた。その日彼女のブラッシングした髪を結い上げて髪飾りをつけ、浴衣を着せたら、とても満足そうだった。彼女のカメラで何枚も写真を撮ってくれるようジェスチャーで頼んだ。ただ髪型が彼女の考えているイメージと違っていたのではないかと、私自身、今、後悔している。
                                      沼津市 (M.A)


               音楽は国境を越え
 
 初めて中国人中学生を受け入れたのは初めて。英語も中国語も上手く伝わらず、最後は筆談。
 中国で人気があるという日本の漫画の話も、年齢の差ゆえか分からずコミュニケーションにはちょっと苦労した。しかし、ピアノが得意だという彼女の演奏は見事。私の大好きなクレイダーマンの曲を自信たっぷりに弾き、家にある譜面の幾つかは初見で弾きこなした。まさに「音楽は国境を越え」であった。
 ホストファミリーと過ごす日は、彼女の友人2人と一緒に海辺を楽しみ、その後は変形自転車のあるサイクルスポーツセンターに。活動的な彼女は変形自転車を次々乗りこなし、更に色々な遊具に挑戦、この暑さも日焼けも何のそのであった。私もつられて遊具に挑戦、童心に帰ったひと時だった。その日の帰りがもう「お別れパーティー」。時間が無くシャワーも浴びずに浴衣に着替えて参加。まるで日本人、着こなしがとても上手だった。
                                     三島市 (I.M)

 
M、A、Tさんのゲスト





2010年9月


      「太鼓ビクス」で“きら星”見つけた

 三島から東京に引っ越して2年と少し。新しい環境でいろいろな出会いがあり、その中のひとつが「太鼓ビクス」だ。「太鼓ビクス」とは、簡単に言うと和太鼓演奏にジャズダンスを加えたようなもので、今はそのレッスンに通うことが、すっかり私の生活リズムのひとつになった。
 広告チラシの華麗な写真を見た時に直感的に「やってみたい!」と思ったのがきっかけだった。これまで何度か勇壮な和太鼓のライブを見て、「いつかやってみたい」と憧れていたが、「いつか」と言っているうちに早や50代も半ば。しかも運動オンチの私が本当に出来るかどうか、若い人たちについていけるかどうか、恐る恐る体験教室からスタートしてみた。太鼓だけの基礎クラスもあったが、ストレッチも太鼓もダンスもありというさまざまな動きのある「太鼓ビクス」の魅力にすっかりハマッてしまった。それ以来最低週1回、通うほどに体は軽くなり、肩こりや腰痛もなし、東京のアップダウンの多い地下鉄の階段も苦にならなくなった。
 そして、そこには“きら星”のように輝く女性インストラクターの存在があるから続けてこられたのだ。世界初という「太鼓ビクス」の考案者であり、トータルフィットネスコーディネーター、厚生労働省の健康大使でもあり、美しい動きチャーミングな笑顔で、みんなの目を釘付けにしてしまう。そのN先生が、私よりも年上で50代後半だと知った時には、ますます元気がわいてきた。一貫して教えてくれるのは、背骨の動き、美しい姿勢など、体の芯をつくること。そして「体は使ったように変わる。70代、80代でもできます」「ここまでの目標と思って達成したら、もっと先がある」なんていう言葉もきらきらと輝き、その星を見ながら、年を重ねていくことが俄然楽しくなってきた。
 ところで、「若い人ばかり」と思い込んでいたクラスの仲間たち(ほぼ女性)。親しくなるにつれ分かった実年齢は、私よりも先生よりも年上という人がほとんどで、「えーーっ!?」と声を上げることが、しばらく続いた。実年齢ではなく、先生も含めて体も心も「若い人ばかり」のクラスだったのね!
                                東京都 (T.O) 

*ネットで「太鼓ビクス」と検索してみてください。



          イギリスで6月の花嫁の着付け

 義弟の娘(姪)がイギリスで結婚式と披露宴を行うので、6月23日英国へ旅立った。私たち夫婦は親戚代表として、私には花嫁の振袖の着付け役も。日本から同行の10名は、イギリスのヒースロー空港到着後、ロンドンのホテルに。結婚式は6月26日。新郎の自宅近くまで移動する25日までは、近くの観光地や美術館などを訪ねた。
 25日に、カンタベリーから花婿の父親が車で迎えに来てくれた。高速道路を2時間走り、新郎の両親が住む家に到着。その夜は新郎の両親の家で親類一同が集い、ホームパーティーで歓待してくれた。夜はカンタベリーのホテルへ宿泊した。
 結婚式の当日、花嫁の母親(義妹)から「孫の由美ちゃんの着物を着せてください!」と電話。聞くと3歳用のお祝い着を持参したという。1歳の由美ちゃんには肩上げが必要なので、私は持参した針箱で肩上げをし、泣いている由美ちゃんの着付けを始めた。帯を締めるため体に巻きつけたら、何をされるかと更に大泣きされてしまった。続いて「娘の帯と自分の帯を間違えて渡しちゃった!」と義妹が。とりあえず、手元にある帯を締めて花嫁に振袖を着せる時に取り替えることにし留袖を着付けた。
 12世紀に建てられたという教会での挙式は無事に終了し、次はいよいよレセプション会場での披露宴だ。ここで花嫁は振袖姿を披露することになっている。私は花嫁の着付けにかかる。あれれ、髪を結い上げるのに、ゴムもピンもブラシも無い。ゴムは花嫁のブーケから利用し、私の旅行用の櫛で何とか結い上げた。いよいよ着付けに入ると、帯板や帯び枕などの付属品が足りない。最後は足袋が無かった。知恵を絞ってウエディングドレスの白いストッキングの親指を分けて草履を履かせた。開宴まで「あと2分!」といわれた時に、ようやく着付けが終わった。
 静かに階段を下りて行く振袖姿の花嫁に、会場からの拍手が聞こえた。今回の旅で私の唯一ほっとした瞬間だった。    
                                 沼津市 (M.A)






2010年8月



     世にも貴重な!オーガニックコットンを韮山で栽培中 


 思えば若い頃からナチュラル系でしたので、オーガニックコットンとの出会いも自然な流れの中にありました。その着心地は一度身につけたらもう他の物は着たくない、もう他の素材は買わなくて良い、という感覚です。手にしたその瞬間から、言葉にならない気持ち良さ、優しさに包まれます。そのまま心も穏やかになります。これは私だけでなく、初めてオーガニックコットンに触れた人の共通の感想です。
 着ているうちに、「そうだ、自分で棉から作ってみよう」と思い立ったら、幸運にも畑が見つかり、種蒔きとなったのです。
 夏にはオクラに似た花が咲き、そして冬近くなる頃に真っ白なコットンボールが姿を現す・・はずです!?
 しかし今年の異常気象には、これから何が起こるか・・・わかりません。でも、初めてのチャレンジですから、少しでも実りになれば、感謝したいと、祈る日々です。
開花し、真っ白なコットンボールができるようになったら、皆様にお知らせしますので、韮山までお運びください。 過去には伊豆半島は良質な綿の産地だったと聞きます。また1930年日本は「綿の輸出世界一」だった歴史があるのです。
 このことを知り、もう一度伊豆を棉の産地に復活させることはできないのかと、密かに願ってもいます。子供達や多くの人が 韮山の棉畑の光景を見て、夢をふくらませてもらえたら、本望です。

《棉と綿》 
棉・・・これは畑にある時の状態
綿・・・これは収穫後から糸になっていく状態
 私が作っているのは 和棉です。観賞用にお店で売っているのはおそらく輸入品の洋棉です。洋棉にはとげがあり収穫時に手を刺すと言われていますが、和棉にはとげはありません。想像以上にコットンボールができたら、収穫のお手伝いの募集!?をかけます(笑)

                                  三島市 (M.M)



     ガスパール・カサド国際チェロ・コンクー in 八王子
 
 チェリストと言えば、皆さんはパブロ・カザルスやヨーヨーマなどをすぐに思い浮かべることでしょう。ガスパール・カサドをご存知ですか?実を言うと私は4年前に初めて耳にした名前です。
 20世紀を代表するチェリスト、ガスパール・カサド。彼はパブロ・カザルスに見出された人物で、同時に類い稀な作曲家でもありました。カサドの没後、カサド夫人の日本人ピアニスト、原智恵子さんがイタリアのフィレンツェでカサド国際チェロ・コンクールを主宰。このコンクールからミッシャ・マイスキーや上村昇、向山佳絵子など多くの世界的チェリストを輩出してきました。原さんが体調を崩し、日本に帰国したことにより国際チェロ・コンクールは第10回で中断されてしまったのです。日本でコンクールの復活を切望していた原さんの願いも叶わぬまま2001年に彼女は帰らぬ人となってしまいました。原さんのゆかりの地、東京都八王子市。市民有志の手で16年の時を超えてカサド国際チェロ・コンクールが再開されました。勿論NPO法人、ボランティア精神に支えられての復活です。素晴らしい市民の結束力ですね。
 音楽コンクールと聞いたら、ほとんどがヨーロッパで開催されているのではと、私は思い込みをしていましたが、自分の身近に世界レベルのコンクールが開催されていたことを知り、驚きとともに嬉しくて胸が弾みました。昨年、第2回目が開催され、29カ国、応募者は132名で、ハイレベルな戦いだったそうです。コンクールが行われた翌年に八王子市、都内、大阪で優勝者のリサイタルがあります。私は幸いなことに第1、2回とも勝者の演奏を聴くことができました。このコンクールから若きチェリスト達が巣立っていく一つの登竜門としてもっともっと多くの音楽関係者はもとより、より多くの方がたに知っていただけたらと願っています。また2年後、八王子市で開催される予定。今度はどんなチェリストが栄冠を勝ち取るのだろうと大いに楽しみです。グローバルはいつでも私にとっては誇りです。遠く離れてしまいなかなか一緒に活動できないことは残念ですが、GIAメールが届くたびに活字を読みながら、皆さんの顔を思い浮かべています。大勢の力ってスゴイデス。                              
                                    大月市 (H.S)






2010年7月


  失っていくもの そして 新たに築かれるもの

 昨年4月末、義父は4度目の入院で86歳の誕生日を目前に帰らぬ人となった。義母をなくして7年、大分の日田で気丈に一人暮らしをしながら離れて暮らす息子(夫)や孫をいつも気遣ってくれた。そんな5年前のこと、築100年の義父の家の立ち退きの話があり、5年後の今年の3月20日までに家を取り壊す契約を義父は交した。しかし、ここ2年で義父は急速に体調をくずし入退院を繰り返していた。私も帰省を重ね、1人暮らしをやめる方向で、義父の気に入る施設を実家の嫁と探した。また広い敷地に、取り壊した家の材料で古民家風の家を建てる計画も進めた。義父の住む場所の確保が先決だった。昨年3月末に一番候補の施設から5月入所可能との知らせがあり大いに安堵していた矢先に義父は亡くなった。遺言に従い葬式など全て滞りなく済ませた。家の再建も施設入所の件も白紙となり、後は家の片づけの問題が残された。嫁いで33年間親しんだ家の引っ越しを開始し終了まで、49日と新盆をいれて通算6回日田に帰省し、片づけと荷物の発送を繰り返した。また主人は各種書類の手続きにも奔走。一方、昨年9月に娘の結婚相手のご両親が来宅。11月、10日間で長泉の家のリホーム。同月、息子の結婚相手のご両親への挨拶に京都へ。12月には息子も日田に帰省し新居で使える家具や茶碗を京都に送った。今年に入り、2月、横浜で娘が挙式。3月20日、契約通り家を解体。跡地に石垣と縦横深さ.5×12.5×2.5mの地下室の穴が残った。4月,義父の1周忌と義母の7回忌で帰省したが、家無しでホテル泊。5月、息子が京都で挙式。想い返せば、義父が亡くなった哀しみと日田の家の消滅の寂しさと息子と娘の結婚の喜びがめまぐるしく同時進行だった。2人の結婚の準備にはほとんど関われず、娘とお嫁さんにブーケと髪飾りを、息子にブートニア(胸飾り)を作ってあげられたことが救いかなと思う。
                                  長泉町 (S.T)(画も)

            世界遺産の宝庫スペイン

 娘とスペイン旅行の計画を立て、航空券、ホテル等の予約は娘に任せ、観光地をどのように廻ろうかと考えていた頃、アイスランドで火山の噴火が起こりヨーロッパ各国の空港が閉鎖になった。出発が危ぶまれたが、開港の見通しがたち2日前からの旅仕度で無事出発した。
 マドリード空港からホテルへはタクシーで行く予定だったが、マラソン大会での交通規制があり、やむなく地下鉄を乗り継ぎ、ホテルまでの石畳の道をスーツケースを引きながら歩いた。翌日は日曜日で大きな店舗は休みになるので、ホテルに荷物を置き、まずは買い物に出かけた。日曜日の夕方にプラド美術館へ行くと、5時から入場無料になるそうで長蛇の列が出来ていた。私達もその列に並び、間もなく入館出来た。
 次の日にマドリードからスペイン南部のアンダルシア地方へ。延々と続くオリーブ畑を車窓から見ながら、AVE(新幹線)で移動した。先ず、コルドバではイスラム教とキリスト教が同居している世界最大のモスクという大変美しいメスキータを見学した。翌日は再びAVEに乗り、気温が39℃もあった暑いセビーリャへ。そこからは楽しみにしていたパラドール(昔の城や貴族の館だった建物等で国営のホテル)へ宿泊のため、カルモナまでバスで行った。カルモナ行きのバスは50分程の乗車時間なのに2.3ユーロで値段を間違えたのかと思った程安かった。このパラドールは古城だった所で高所に建っているため部屋からの眺めの何と素晴らしい事。眼下には緑一面の畑の連なりが一望出来、ずっと眺めていても飽きない位である。
 次の日はアルハンブラ宮殿を観るためにグラナダへ。宮殿見学予約時間の前にバラの香り漂う美しいヘネラリフェ庭園を見学した。アルハンブラ宮殿の外観は質素な感じだが内部は大変豪華で繊細な造りで、天井等は白いレース編みを思わせ、また色とりどりのタイルも美しく、水を効果的に使った中庭などとても感動した。庭にはオレンジがたわわに実り、美しい花を咲かせ良い香りを放っていた。
 バルセロナには3泊し、ガウディの建物サグラダ・ファミリア(日本人の彫刻家も携った)等を見て廻った。
 雨にも降られず10日間の心に残る楽しい旅は終わった。因みにスペインでの乗り物の時刻は日本と同じように大変正確だった。
                                   裾野市 (K.Y)




2010年6月


            **アメリカ体験記**

 私が非常勤講師として英語を教えている三島市立坂小学校の3人の生徒が、ノースカロライナにあるワイリー小学校を3月22日から27日の日程で訪問しました。坂小がワイリー小との交流を始めて今年で7年目。ワイリー小からは訪問団を3度迎えていますが、坂小からの訪問は今回が初めてです。私は引率の1人として参加しました。6日間という短い日程でしたが、一般のツアーでは味わえない体験をしました。

【初めてのホームステイ】
 小学生が3人いる家庭にステイさせてもらいました。靴をぬがずに家に上がるというのが、なんとも落ち着かず、ホストファミリー夫妻の「いってらっしゃい」と「お帰り」のキスには文化の違いを見せつけられ、ちょっと赤面…。食事などは特にごちそうがでるわけでもなく、いつもどおりのメニューをいっしょに食べるというスタイル。その気負わない姿勢のおかげでこちらもリラックスできました。

【ワイルドな小学校の先生?】
 ワイリー小の授業を参観しました。私が見せてもらったクラスの先生(女性)は、パッと見て「ロックシンガー!?」と思うようなツンツンヘアーに、黒い洋服・黒いブーツでとってもクール、メイクもちょっとパンク風で
様子を見ていましたが、授業の進め方はさすが!です。
ジョークを交えながら、生徒達をうまく集中させる優秀な先生でした。「先生の外見と授業の質は無関係」と言っていた保護者の意見も印象的です。

【しゅふ】
昼間、子供達が授業を受けている間、引率の大人だけ市内観光に連れて行ってもらいました。案内役は保護者のお父さん2人。「仕事を休んでまで申し訳ないなぁ。」と思っていたら、なんと、その方たちは2人とも「主夫」でした!ワイリー小の保護者の中には主夫をしているお父さんが少なくないそうです。子どもの送迎も家事も彼らの仕事で、奥さんはフルタイムで働いているのです。彼らの話を聞いたところでは、「恥ずかしい」という気持ちはまったく感じられず、むしろ、子どもと長くいっしょにいられる主夫業を積極的に楽しんでいるようでした。日本人男性の意識がここまで柔軟になるのには、あと何年かかるでしょう?
 日本とアメリカ、物質的にはほとんど変わりませんが、まだまだ精神面では大きな隔たりがあるようです。それぞれに良さがあり、「どちらが上か?」というものではありませんが、アメリカという国の多様性や文化の違いを実際に体験することで、固定概念にしばられがちな私の脳が少しリフレッシュされたような気がします。
                                  三島市    (H.O)

            **注目!中国!**

 上海万博も開催され、日々、中国のニュースを聞かない日はない。日本が中国に抜かれてしまう日がすぐそこに、いやもう既に来てしまったのだろうか。
 3月末、友人たちと北京を旅した。たった4日の北京旅行で中国を語れるとは思わないが、何事もこの目で見ることは大切だ。広すぎて、人が多すぎて、歴史が長すぎて、複雑すぎて、「これが中国だ」など簡単には言えない。誰の言っていることも真実の一部でしかない。この先、私たちが聞く中国の話は刻一刻と違うものとなり、その変容ぶりにいやが上にも注目せざるを得ない。
 想像はしていたものの、実際の北京で、ビジネス街の超高層ビル群、整備された道路網、ひしめく高級車を目の当たりにした。中国風景の代名詞だった自転車など探しても見当たらない。人々の、そして街全体が発するエ
ネルギーに圧倒されどおしだった。
 万里の長城、紫禁城などの壮大な歴史遺産は中国の大きな魅力の一つだ。北京駐在の友人のアドバイスで、今回は「旅の前読書」で『蒼穹の昴』を読み、「旅の前ビデオ」として『ラストエンペラー』を見た。これらが旅の興味を増幅させてくれたのは言うまでもない。
 世界が中国に注目する中、多くの共通文化を有する日本はそれを強みとし、中国に独自のアプローチができるのではないかと思う。看板の漢字読み解きは一種パズルのようであったが、何回か挫折した中国語の勉強をまた再開したいと思っている。
 中国が、日本よりずっと進んでいると思ったことのひとつは男女同権の意識。共働きは当たり前の社会だが、元エリート官僚だったというガイドさんは「働いている奥さんにご飯作れなんて言えない」と笑う。朝はほとんど夜も外食という家庭がとても多いという。最大の関心事、子育てと教育ももちろん夫婦全面協力だ。その意味で日本より女性が働き易いと見た。
                                 三島市     (Y.S)
     



2010年5月


      再び、グローバル文化交流協会(GIA)へ
 
 昭和61(1986)年9月号の「県民だより」で、グローバル文化交流協会が主催する「外国講師を招いてのクッキングサロン」という記事を見つけたのがきっかけで入会しました。入会後は「ありがたい」と思うことが、いろいろありました。外国料理の勉強だけではなく、その国に関したレベルの高い情報発信があり、参加者の会員たちも、様々な場面でとても行動的でした。大学にまだ比較文化や国際化などが設置されていない時代、料理教室の講師たちは料理実習の後、自国についてのレジメを用意し、比較文化に相当する話をし、国際関係について考える必要性を語りました。そうしたことから世界についてもっと知る必要性を学びました。
 平成元(1989)年3月には、現在、東大大学院教授の、上野千鶴子先生の講演会「女縁が世の中を変える」を、静岡県東部振興センターと開催したのも、GIAの熱意
によるものでした。ここで、時代の先端をいく生き方を学びました。こうしたことから、私はいろいろな視点でものを見る大切さを身に付けることが出来ました。
 50歳になる頃、仏教大学通信課程を卒業し、僧侶、芝増上寺布教師の資格を得ることができたのも、GIAで学んだことが役に立っていると思っています。60歳の今は、堀内環先生にシャンソンを教えてもらっています。先生も歌うのには、人生に対する物の見方が大切であることをよく話されます。昨年「シャンソン発表会」でGIAの懐かしいメンバーに会い涙がこぼれてきました。皆さまは、自分には厳しく、他人に優しくGIAを続けて来られたのです。「幸福の青い鳥は、家にある」また、GIAに入会することが出来ました。とても嬉しいです。
                                   裾野市   (M.S)


                    当時の「県民だより」の記事


      娘の出産でアメリカ中部・アーカンソー州に3カ月滞在

 アメリカ・アーカンソー州に住む娘から、赤ちゃんの出産予定日が12月1日という電話が来た。私は、初めてのお産は遅れると聞いていたので、11月27日の飛行機を手配したが、11月22日朝、予定より1週間早く男の子が生まれたと知らされた。日本からアーカンソー州へは、シカゴ空港で、国内線の小さな飛行機に乗り換え、ファイアットビル空港まで、24時間の旅程であった。
 到着した次の日から、育児の手伝いが始まった。娘には安静にしていて欲しいので、昼間は出来るだけ赤ちゃんの世話をするようにした。さすがに30数年ぶりの育児は、私にとって緊張の連続。バタバタ動き続ける小さい足を片手で持って、オムツをあてがうが、馴れないため漏れて背中まで濡らしてしまう事もあった。赤ちゃんには母乳を飲ませていたが痛みが強く、カウンセラーの指導を受けたり、器具で搾って冷凍保存するなど、いろいろ試したが改善せず、生後1カ月目でミルクに切り替えた。母乳も大切だが、痛みをこらえて授乳をするのは、あまりにも辛そうだった。ミルクにしてからは、私でも授乳でき、赤ちゃんとぐっと親しくなった。
 娘は2カ月間の産休後、仕事に復帰した。その後、更に3週間ほど私が滞在し世話をしたが、帰国後はデイケアに預けるようにした。夫婦で同じ会社勤務で、デイケアへは車で15分位だったので、昼休みに子供の様子を見に行く事も可能だ。日本に比べると子育てしながらの会社勤めもゆったりだ。勿論夫の協力があるので安心している。
 今回、私は約3カ月間、娘の家で暮らしたが、自分の家に娘を迎えるのとは違い、こちらでは娘が主婦。当たり前だが、家事、料理、育児の全てが娘の物指しで回っていく。洗濯機(温度、量、布の種類、時間)乾燥機、テレビ(ビデオ、テレビ、ケーブルテレビと、リモコンが3つあり全てを操作しないとテレビを見られない)、掃除用の洗剤(台所、浴室、トイレ)等、どれも使い方を教わる事から始まった。一度聞いても次回は忘れてしまうので、説明を聞くとすぐにメモをしていた。娘を煩わせないというより、母親のプライドのようなものだ。私の主婦能力を試されているような複雑な気分だった。
 3カ月間のアメリカ生活は、日本での生活全てをキャンセルすることだった。しかし、インターネットで日本のメールを毎日確認できたし、日本のニュースも日本語で聞いた。日本では十分出来なかった読書も何十冊とした。こんなシンプルで穏やかな日々は、結婚してから初めてだったと思う。自分の予定がないので、毎日心置きなく赤ちゃんと一緒に過ごした。帰る頃には私の子守唄で眠り、喜んで声を出すようになっていた。しかし、帰国後、以前の日々に戻るのが大変だった。3カ月間過ごした赤ちゃんの残像(ぬくもり、笑顔、声)を私の心の中からなかなか消す事が出来なかった。今、その初孫MASAYAのためにキルトで鯉のぼりの壁飾りを作り始め、ようやく、元の生活リズムを取り戻しつつある。
                                   函南町    (S.S)




2010年4月


      「3月13日のプレゼンテーションを終えて」       
                                 
3月13日のグローバルサロンで私の生まれた国、フィリピンという国についてプレゼンテーションをさせていただきました。数ある島々の中の1つの島(ネグロス島)で育った私なので、フィリピン共通の情報として皆さんに伝達するのは大変難しいことでしたが、以前、マニラへ長年赴任をしていた夫と協力して皆さんが退屈しないような内容に仕上げました。当日は、用意したフィリピンのおやつ(「ビコ」というもち米にココナッツミルクを混ぜたもの)が足りないほど、予想以上の出席者で慌てましたが、皆さんに温かく迎えていただき、なんとか最後までやりきれました事を大変感謝致します。(ほとんど夫がしゃべっていましたが。)
次回は私がもっと日本語を勉強して私の言葉で伝達できるようになりたいと思っております。日本で耳にするフィリピンの情報は暗いイメージのものが多いように感じます。私にとっては、ニュースでよく見かける日本での殺人事件や詐欺事件等の方が大変ショッキングに感じます。日本はフィリピンに比べて裕福な国のはずなのに・・・。私も日本についてもっと知りたいことがあります。出来れば幸せな気持ちになれることが知りたいです。特に今回親切にしていただいた皆さんの暮らしている三島市については、まだ知らないことが多いので今後もいろいろと教えてくださいね。
                                   裾野市   (J.K)
                 

         *~ 老いを感じて ~*

 毎週、編み物、太極拳、カラオケと通院に忙しく出歩いた母がすっかり老いて1人で出歩くこともできなくなってしまった。「元気だ、元気だ」と安心していた私たちの生活も一変し、薬、食事の管理から身の回りの世話で忙しくなった。友人の1人暮らしの母親が認知症になり、初めは姉妹の家庭を1カ月交代で世話をしていたが、それぞれの家庭のペースが崩れ、お互いにストレスが溜まり、とうとう施設に入居させた。入居時は介護2だったものが4カ月で介護4になり、車椅子の生活になった。面会に行っても娘の名前も忘れて出てこなくなった。彼女は「家族にとってどちらが良かったのか?」と言う。私にとっても考えさせられる事だった。主人に助けられ、出来る限りは我が家で頑張りたい。
 高齢者社会になり、いずれ私も介護する側から介護される側になるだろう。施設に入居して世話になるかもしれない。その時はひとりの人間として扱ってほしい。でもその前に受け取る年金によって施設にも入居出来ないかもしれない。年老いてどうしていけばよいのだろうか?こんな不安を抱えているのは私だけなのでしょうか?
                                   函南町   (Y.K)
                    



2010年3月


      インド西部の石窟寺院群を訪ねて

 グロ-バルのア-ミン・モディさんを訪ねる旅から1年、私もインドへ行ってきました。
 実は15年前にも北部のデリー、アグラ、ジャイプールへ行って、白大理石が美しいタ-ジ・マハルや色々な宝石や貴石で象嵌を施した門のある見事なアンペール城等、当時のマハラジャの繁栄ぶりに圧倒されましたが、今回はデカン高原にあるアジャンタ、エローラの石窟寺院群を見たくて再訪しました。
 アジャンタは前期、紀元前2~1世紀頃と後期、紀元5~7世紀頃に造られた仏教石窟寺院群で、U字型に蛇行した川に沿った渓谷の断崖の中腹にあり、1819年イギリスの軍人に発見されるまで千年以上もの間ジャングルに埋もれていたため、数々の仏像や壁画が美しさを保ったまま残っていて感動しました。日曜日だったので小学生たちが遠足に来ていて(インドでは遠足は日曜日に行われるらしい)好奇心いっぱいに話しかけられ、写真を撮ったりして楽しい時を過ごしました。子供といえば前回に比べ、観光地で物乞いをしたり、土産物を売ったりする子供の数が少なく感じられたのは、インドの経済発展のおかげかなと、少しうれしく思いました。
 エローラには、インドで衰退していく7~8世紀頃に造られた仏教、修業の場ではなく神々を祀るのが目的で、6~9世紀に造られたヒンドゥー教、少し離れて9世紀頃この地を治めていた君主が保護したために造られたジャイナ教の三つの宗教石窟群がならんでいます。一番の見どころは、ヒンドゥー教のカイラーサナータ寺院で、巨大な岩山を真上からカナヅチとノミで掘り下げながら、神々の像や色々な模様の彫刻を施したシヴァ神を祀る寺院として、百年以上かけて造られたのが信じられないようなものでした。岩山の後ろに登れたので、上から全体を見たが、石工の人たちが数世代にわたって彫り続けて造ったと思うと「すごい!」としか言いようがありませんでした。
 旅行中の食事は、朝はビュッフェスタイルが多く、昼・夜はナンとカレー(豆類・色々な野菜・チーズ・卵・チキン等たくさんの種類)とデザートでした。時々インド風の中華料理がでましたが、本場に比べて薄味でおいしかった。飲み物はラッシィー(ヨ-グルトドリンクで塩味、フルーツ味の甘いもの)チャイ(濃いミルクティ)、マサラティ(チャイにジンジャーやシナモンが入る)等をいただきました。前回と同様に
生水は飲まない、歯を磨く時は、ミネラルウォターを使うよう、生野菜や切ってあるフルーツは食べないようになどと言われたのに旅の終わりの頃には生野菜を食べたりしましたが、下痢もせず少し太って帰ってきました。
                                    三島市  (T.S)


                八月の虫(蝉)

先日トルコの友達からいただいたこの面白い話を皆様にも読んでいただきたいと思い、翻訳しました。
どうぞ、お楽しみください。

セミについて
セミはあまり働かない虫として知られています。
日本ではセミといいますが、トルコではAGUSTOS BOCEGI(八月の虫)
一匹のセミが地上に出て来るまでに、なんと、12年もかかります。
そうです。12年間、地面の下で刑務所生活をしてから地上に上がって来るこの哀れな虫の命は、名前の通り、八月の間だけ。要するに、一ヶ月間。歌うのは、オスゼミだけ。メスは、もっとも美しく歌うオスを選んで交尾をして、子孫を残します。

考えて見てください。12年間地面の下にいて、やっと出て来たかと思ったら、命はたったの一ヶ月。この一ヶ月足らずで相手を見つけられたら儲け物。見つけられなかったら、2度とチャンスがない。

ここで、あなたに聞きます。もしも、あなたがセミだったら、働く気になるでしょうか?
                                   裾野市  (H.K)




2010年2月


 三島茶碗のルーツを訪ね 韓国への陶芸鑑賞の旅

三島茶碗文化振興会の研修で、三島茶碗の故郷韓国へ陶芸鑑賞の旅に出かけました。インフルエンザ蔓延のニュースが流れるさなかでしたが、マスクの人は1人も見かけず何らの対応すらなかったのですが、皆無事でした。連日美術館を巡り、骨董街や窯元を訪ねる充実した旅でした。
 国立中央博物館は新しくモダンな建物に変わり、子供博物館や図書館、劇場、伝統染料植物園、野外展示場などを含む広大なスペースに展示された、その長い歴史を感じさせる精巧な美術工芸品の数々に感動し、三星美術館では世界の有名な建築家(スイスのマリオ・ポッタ、フランスのジャン・ヌーベル、オランダのレム・コールィース)が設計した3つの建物を見るだけでも興味深く、工夫された
展示ケースや照明が、より一層美術品の美しさを際立たせていました。また、韓国では大学には必ず博物館を併設するようになっているとかで、私達が訪れた梨花女子大学(日本のお茶の水女子大学のような大学とか)にも素晴ら
しい博物館がありました。他にも2~3訪ねましたが、美術
館にはどこも石塔、僧塔、石灯、石碑などの様々な石造文化財が点在しており、これらもとても面白く興味深いものでした。
子供たちが、美術館で学芸員の説明を熱心に聞いている姿も何度か見かけました。教育プログラムが充実し、国の伝統が次世代に確実に受け継がれていると感じたことも新しい発見でした。
 三島茶碗のルーツとなった韓国の数多くの美術品を堪能し、日本が韓国から学んだものが如何に多かったかを思い知らされました。韓国料理のおいしさは言うまでもなく美味~でした。

 なお三島在住の陶芸家による平成版の三島茶碗(お湯呑みにも使える蕎麦ちょこ)が、今回三島ブランド16品目の1つに認定されました。ちょっとしたお土産にも素敵なものです。 
                                    三島市  (H.K)


  フォーチュンクッキーで始まった、
                名古屋での14回目の新年


真っ白な雪で覆われた元旦の朝、我が家ではフォーチュンクッキーを割って、新年を占ってみました。「あなたにしか出来ないことをするために生まれてきたのだから」、「あなたは能力がないのではなく、自信がないだけなのよ」、「人生好きなことをして楽しまなくちゃ」、「あなたを誇りに思っている人がいます」。家族其々が、偶然にもその心に響く言葉を引き当て、新しい年のスタートを切りました。
名古屋での生活も14年目を迎え、最近は名古屋弁のアクセントが会話の端々に出るようになりました。夏は蒸し暑く、冬は伊吹おろしの冷たい強い風が吹き荒れますが、名古屋は便利な都市機能と田舎っぽさを兼ね備えた住みやすい街です。コンクリートのビルが立ち並ぶ都心近くに住む我が家にも、先日ベランダに鶯が2羽、羽を休めに立ち寄るなど、意外なほど自然も多く残っています。最近では生粋の名古屋人の友人たちに率いられ、土地の人のみぞ知る的な場所を訪ね、たっぷりと名古屋トークで盛り上がるのが、仕事の合間の楽しみになっています。馴染むまで時間はかかりましたが、今では名古屋人気質にすっかり染まって、気楽に過ごしています。
昨年の春からは、以前からの翻訳、通訳の仕事に加えて、名古屋国際センターで在留外国人の生活相談、法律相談の通訳の仕事もしています。相談の内容は様々ですが、抱えていらっしゃる問題が少しでも軽くなることを願いつつ、市政相談員の方と共に対処しています。相談に訪れた方に「ありがとう」と言われるのが嬉しくて続けている仕事ですが、時折超えることの出来ない文化の壁や習慣の違いや、解決することが不可能なほど難しい問題に直面することもあります。ますますフラット化する世界の中で、「始めから正しいことが決まっていて、そこに焦点をあわせていく」日本と、「どちらも正しいが、その中間の着地点を見つける」文化圏での背景を持つ方たち。自分の無力さも感じますが、様々な人たちと関わることの出来る楽しい仕事でもあります。
こんな名古屋の生活も、夫が定年を迎える2年後には終わります。いままでに父と夫の転勤、自分の進学や留学を合わせて18回の転居を繰り返し、2年後には19回目の転居が待っています。これまでとは違ってワクワクする気持ちが無いのは、それだけ名古屋に馴染んだと言うことでしょう。転居の日が来るまで、この地で楽しく過ごしたいと思っています。         
                                   名古屋市  (R.K)

 



2010年1月


         ネパールを13回訪問して

新型インフルエンザを心配しながら今年11月に、13回目のネパール訪問をして無事帰国した。ネパール国内の新型インフルエンザの流行はこれからが心配とのこと。
首都カトマンズの交通事情は年々悪化しており、バイクの数が前回4月訪問時より多くみられた。またマオイストが政権を離脱して野党になり、現政府に対して抗議のストライキが行われていた。これがさらに道路の渋滞に影響を及ぼしていた。ネパールの道路事情は悪く、特にカトマンズからバクタブルへの基幹道路の損傷がはなはだしい。現在日本政府からの援助で大々的な道路工事が進められ、ネパール人から感謝されている。ネパールの電力事情も極めて悪く、カトマンズ市内では夕刻毎日2時間ほどの計画的停電が地区ごとに実施されている。
カトマンズ到着の夜、「クラブ50」(日本のロータリークラブに相当する組織)のメンバーによる歓迎パーティーに招待された。ネパール人は酒好きで強いのも半端じゃない。私はネパール滞在中いずれのパーティーでもビール大瓶1本に決めている。
その後、カトマンズの東方25kmに位置するバネパ市にあるベイラー・インターナショナル・アカデミーを訪問した。「ネパールの貧困児童を救う会」のメンバーが里親となり、同校のパワン校長の好意で寄宿生活をしながら教育を受けている児童に半年ぶりに会う。全員健康で、かつその成長ぶりに感激する。
シンドパールチョーク地区の障害者に、24台の車椅子を贈呈するセレモニーに出席した。
(関連の新聞記事と同写真はホームページ http://web.thn.jp/nepalkoji/topix.html を参照)
私のネパールへの支援事業は次のとおりで、今後も命ある限り継続していきたいと思っている。
1.「ネパールの貧困児童を救う会」による支援事業
2.シンドパールチョーク地区の児童に対する文房具のプレゼント事業
3.シンドパールチョーク地区の身体障害者への車椅子の贈呈事業
4.シンドパールチョーク地区の女性自立支援事業 
                                    三島市 (Y.F) 

 

     カレンダーの二十四節気と七十二候

新年を迎えて今年の暦(カレンダー)の1ページをめくると、最初にでてくる二十四節気(にじゅうしせっき)は1月5日の「小寒」です。この日を「寒の入り」と呼び「大寒」の終りである「節分」までが「寒」ということになります。「寒中見舞い」もこの間に書いて出しますが、文字通りこの1カ月間が1年で最も寒い時季になります。
二十四節気は旧暦時代の暦(太陰太陽暦)において季節の目印として作られたもので、冬至を起点に中気と節気を交互に配列した24の季節の名称です。この名称は中国の黄河中・下流域の現象で日本とは大分ずれがあります。月の周期を基に作られた旧暦は、1年が354日で太陽の周期とは11日の誤差がでてしまいました。そのため日付と季節が合わなくなって農耕するうえではとても不便だったため、太陽の周期が必要になり考えだされました。
二十四節気の間隔は、ほぼ14.7日から15.7日になります。この間隔をさらに初候、次候、末候と3つに分け、ほぼ5日毎の気象や自然、動物、植物などの変化を具体的に表現したものが七十二候(しちじゅうにこう)です。日本の暦には最初は中国の黄河中・下流域のものが使われていましたが、江戸時代になって日本人の手で暦が作られるようになると、七十二候も次第に日本の風土にあったものに書き換えられてきました。明治時代の暦では「小寒」の七十二候は、初候=芹乃栄(せりすなわちさかう)、次候=水泉動(しみずあたたかをふくむ)、末候=雉始鳴(きじはじめてなく)という具合でした。
こうした七十二候は、身近で見られる四季折々の自然の姿が表現されていて楽しいものですが、現代の暦(カレンダー)にはほとんど載せられていません。「三嶋暦の会」が発行の「現代版三嶋暦」に掲載してみたところ、「三島の七十二候が興味深い。読み進むと季節と自然の変化をつくづくと感じることができる」とか 「結構見やすく美しい出来、なにより七十二候の欄が素敵。カレンダーを見るたびに時の流れの速さに溜息ということになりがちだけれども、来年はこの現代版三嶋暦を眺めて季節を思う余裕ができるといいなぁ」などの反響もあって、作成を担当する1人としてとてもうれしく思っています。                  三島市 (K.N) 




2009年12月


             自分の時間
 
 GIAの英会話サロンに入会して半年がたちました。
 週に一度、片道30分間ハンドルを握り三島へ通っています。「少し増えた自分の時間を英会話教室に使いたいな、どこでレッスンを受けられるのかしら?」とインターネットで情報収集している時にみつけたのが、GIAとの出会いでした。
 せっかく始めるのだったらちゃんと毎週通えるか?と、しばらくの間入会を迷っていましたが 、体験レッスンでの先生やクラスの皆様の楽しそうな雰囲気に惹かれ、思い切って入会することにしました!
 英会話を、と思って入会してみたらGIAは他にもさまざまな活動をしている会だということを知りました。他団体との交流やバザー等があり、まさにグロ-バルで特に女性のみなさんがとてもパワフルに活動されていることが伝わってきます。「バイリンガル環境かるた」会にも参加させていただき、大人のかるた会は楽しく新鮮でした。
 英会話のレッスンでは毎週、旬の話題が会話やプリントに挙げられ、英語の勉強と同時に面白い話も聞けてあっという間の一時間です。私の生活の中で週に一度の貴重な時間となり、楽しみにしています。
 これからも本来の目的、英会話の力を身につける努力をコツコツしつつ、いろんな出会いを大切にして自分の時間を充実させていけたら、と思います。      
                                   裾野市 (K.K)


           クロアチア旅行記

 クロアチアへの旅行の動機は単純です。昔、子供と一緒に宮崎駿のアニメ「魔女の宅急便」を見た時、そこに描かれている美しい町並みに心惹かれました。そのモデルとなった街がクロアチアのドブロブニクだと知り、行って見たいと思うようになったのです。その念願が叶って今年の3月下旬、ここを訪れることが出来ました。
 「アドリア海の真珠」とも呼ばれるドブロブニクは、海に突き出た城砦都市です。街を取り囲む城壁を一周して、オレンジの屋根の家並みが青い海と空に映える美しい景色を満喫しました。この旅でもう一か所感銘を受けた場所があります。それは「プリトヴィッツェ湖群国立公園」。 階段状に並んだ16の湖が無数の滝で結ばれている、世界遺産にも指定されている所です。写真ではその素晴らしさは伝えられません。日の当たり具合や時間によって色を変 える透明で美しい湖、大小様々な滝から流れ落ちる水音、澄みきった空気。その場に行って、全身で感じて初めてわかる感動でした。ただ歩き始めたときは太陽も出ている初春の陽気でしたが、その内に雨がぽつぽつ降り始めたかな、と思ったら雪に変わり、あっという間にあたり一面雪景色になってしまったのには驚きました。寒さに震えましたが、銀世界の神秘的な美しさもまた印象的でした。
 プリトビィッツェもドブロブニクもクロアチア内戦当時は銃撃戦の場となったそうですが、今はその名残りは全くと言っていいほどありません。EU加盟を目指して経済的にも発展しつつあるクロアチアですが、私たち観光客にとってはまだまだいわゆる「世俗ずれ」していない、素朴な暖かい雰囲気が魅力的な国でした。 
                                    三島市 (M.M)



2009年11月


       天使と悪魔とローマの休日・・・

10日間で北から南までと、忙しいイタリア旅行ではあったが、訪れた都市が「皆それぞれに素晴らしく」、違った魅力を持っていた。
 ミラノでのハイライトはレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」。修道院の食堂の壁に描かれたこの絵を見るのは今では完全予約制だ。1グループに与えられるのは15分間だが、天才画家の傑作に見入れる感動を味わう。
 ロミオとジュリエッタの街ベローナの古代円形劇場での雄大なオペラ「アイーダ」。
 対岸から船で向かった先に水上都市ベネチアが浮かび上がったときには歓声を上げた。
 斜塔で有名なピサ。10年にも及ぶ外壁洗浄作業も終わり、ドゥオモ(大聖堂)、洗礼塔が白く輝く。そこに並び建つ「ピサの斜塔」(鐘楼)は、いつ倒れても不思議はないという。
 メディチ家の都フィレンツェ。ウフィツィ美術館ではルネッサンスの香りに浸った。
 「青の洞窟」へ入るためには、ナポリから水中翼船でカプリ島へ渡り、中型船に乗り換えて洞窟のすぐ入り口へ向かう。小さな手漕ぎボートに乗って、直径1メートル余の穴から滑り込むよう入る。洞窟滞在時間は2分足らずだが、水の色は、まさしく青色発光ダイオード!自然が作り出した芸術色の中の異空間。
 炎天下のポンペイ遺跡を歩いたあと、足を伸ばした南イタリアのアルベロベッロは、真っ白な壁に石灰岩を積み上げたとんがり屋根の家々が立ち並ぶ可愛い町だ。
 そして最後はローマ。ここはもう、どこもかしこも遺跡、どこもかしこも教会。ローマ時代の遺跡から、その上に築かれたキリスト教の文化遺産、現役教会まで見切れないし、覚え切れない。
 ところで、私はこの旅にダン・ブラウンの『天使と悪魔』を持って行き読み進めていた。クライマックスはローマで読んだ。今見てきたことが小説に、逆にさっき読んだところが目の前にある。相乗効果で、なんとエキサイティング。もちろんバチカンは、この小説そのものを認めず、映画の撮影も管轄地では一切許さなかったので、バチカン場面はローマの街の似たようなところでロケ、あるいはセットを使ったそうである。
 「ローマの休日」で有名な「真実の口」やスペイン広場は相変わらずの人気だが、今回のガイドさんは「『天使と悪魔』の撮影はここが使われました。あの教会、この噴水・・・」、こういった説明をたくさんしてくれた。
 旅の楽しみは後から付いてくる。『天使と悪魔』だけでなく、イタリアの本を読むたび、テレビを見るたび思い出が蘇るだろう。塩野七生、須賀敦子の本も、よりおもしろく読めるだろうし、シモネッタこと田丸久美子の文にも抱腹絶倒しながら納得することだろう。
                                              
三島市 (Y.S


        第3回 知半庵でのイベント報告

3回をむかえた日は朝から雨。大仁の知半庵を思い描きながら、うん、なんとかなる。と、むしろ面白いかもしれないと思いました。なぜなら、知半のイベントはその時、その場を自由自在に活かしていく催しだから。出演者は最大限に知半の家を生かそうとするからです。開始は、雨上がりの庭から虚無僧姿で現れた演出で家の中とのデュエットでした。
 今回の二人の尺八奏者の奏でる音はとても対照的だと感じました。大学教授の肩書を持つ学究派と、かたやみずから尺八の世界に飛び込んだアメリカ男性。お二人の活動はそれぞれ違うでしょうが、演奏後のインタビューをお聞きしましたので簡単にまとめました。
(今回の知半庵での演奏は同時にインターネットで発信されました。あわやさんの通訳はそのためでした。また映像録画の終りに出演者にインタビューがされました。)
*知半庵という空間がどんな音を出してくれるのか興味があった。
*江戸時代の建物の中で演奏することで、その時代のなにかが音に影響するのであれ  ば、それを感じたかった。
*諸派による違いもあるが、吹くときは器の中に芸術性、感受性を注ぐことになる。
*古いものが新しいという時代的なものもある。など。

現在1,000人位のかたが音楽とは無縁に尺八を吹いているそうです。芸能ではない部分で、年齢とともに自分をみつめなおすためにと、虚無僧の心境として尺八をふいていきたいと語っていました。
 3尺の長さの地無し尺八の音を初めて聞きました。その繊細かつ消え入るような音に聴衆は耳をかたむけ、知半庵全体がその音に包みこまれたようでした。
 知半庵コンサートのもうひとつの楽しみはコンサート後です。まさにポトラックパーテイ(もちろん、主催者が用意したものもあります)ワイン、日本酒、コーヒー、おにぎり、メンチ・・・今回は奈良のスタッフが奈良一番のケーキを持参。知半庵の庭で収穫した栗の甘煮、即席野菜サラダなど御馳走になり知半庵ならではの余韻を楽しみました。
 今回もアメリカ大使館のナンバー2の方がいらしてましたが、身長182センチのマレーシア出身で専門学校では建築を勉強している自称ジェフ君、上智大学の院生で新聞学科専攻の中国人の女性、チン・ショウコウさんなど面白い出会いもありました。
 来年の予告ですが4月に計画しているそうです。知半庵でお待ちしております。                                              長泉町 (S.T



2009年10月


初めての海外の思い出


私が始めて海外に行ったのは1974年、オーストラリアにあるモーツワルテルムの夏期講習に参加するためでした。当時は飛行機の直行便がなく、行くときは北周りでアンカレッジ経由、帰りは南回りで、カラチ、バンコク、香港と乗り継ぎの繰り返しでした。飛行機を降りるたびに手荷物を全部持たなくてはならず、今の快適な旅とは程遠く、大変なものでした。モーツアルテルムでの生活は、学校の寮がモーツアルトの父親ゆかりの教会で、朝6時になるとその教会の鐘の音がとても大きく、皆びっくりして飛び起きてしまいました。そして食事が日本と違い、朝はコーヒーとドイツパン(とても固い)昼食はフルコース、夕食はソーセージとパンだけで、夜お腹がすいて困ったものでした。しかし、学校と寮とを通うには、映画「サウンド オヴ ミュージック」に出てくるミラベル庭園を通って通い、そこにはバラの花が沢山咲いていて、とても素晴らしかったことを良く覚えています。クラスの人たちは色々な国の人たちで、ドイツ人、ベルギー人など皆英語が話せたけれど、日本人の私達は片言しか話せず、先生が英和辞典を買ってきて、難しい言葉は辞典を示し、ローマ字で書かれた文字で勉強しました。
 その後日本に帰って英会話の勉強をしたいと思い始めたのですが、結婚を機に習うこともなく過ごしていました。ところが、昨年知り合いの方の紹介で、グローバルの英会話教室を知り、現在分かり易い授業を新しい気持ちで、楽しく学んでいます。         (S.T)


(熟年)にして学べば 老いて衰えず

平成2171日、かねてから勉強中だった「2級ファイナンシャル・プランニング技能検定」に合格した。最近、新聞や雑誌などでよく目にする「ファイナンシャル・プランナー(以下FP)」という職業。受験のきっかけは、私が古稀(70歳)を迎えて、数か月後の平成20年1月だった。通信教育でFP講座を受講するという友人に教科書を見せてもらった。『FPとは、顧客のライフプラン上の目標を達成するために、必要に応じて弁護士、税理士などの専門家の協力を得ながら、貯蓄設計、保険、税金対策など包括的な資産設計(ファイナンシャル・プランニング)を立案し、その実行の手助けをしていく専門家のこと。顧客のプライバシーに関るので、厳しい倫理規定と深い自覚が求められる』とあった。今から職業に就くのは無理としても、勉強内容は、金融全般、税金、年金、相続、不動産など、私たちの老後生活に必要な情報、知識を得るのにピッタリの内容だ。通信教育なので、続けられるのかが不安だったが、受講することにした。
 平成20年2月からスタートし、3か月後の5月末に、認定研修修了証明書(提案書課題合格)を取得し、検定試験の受験資格を得た。さらに、9月受験を目指して残りの全科目修了に向け課題を提出し、8月、講座の全科目を終了した。その後、代々木の本校舎で行われた受験前スクーリングにも参加して受験生気分を味わい嬉しかった。しかし、勉強らしい勉強をするのは、50年以上も昔のこと。あっという間に9月の試験日を迎えた。試験は全国53か所で同時に行われ、私は静岡大学・教育学部の教室で受験した。試験は年3回あり、学科と実技(資産設計提案)の2種類を午前と午後に分けて受験する。当日は、かつて無いほど緊張してしまった。後日の発表で学科は合格したが、実技は不合格。間違えた原因の多くは問題の読み違えと記入間違いのうっかりミス。満を持して迎えた翌年1月の2回目。そこでも焦りから同じようなミスの繰り返し。どんどん合格が遠くなるようだ。もし合格したとしても職業にするには年齢的に無理。毎回の受験諸費用もかさむが、このままの中途半端では自分の気持ちが収まらない。夫に、もう1回だけ受験したいとの気持ちを伝えた。「諦めないで、何回でも受かるまで挑戦しなさい」と激励を受け、苦手な計算問題を根気よく教えてもらい勉強を続けた。
 それからは、毎日タイマーをかけて過去問題集を2冊ずつ仕上げ、次回の試験は100点満天も夢ではないと思うほど勉強した。5月、3度目の試験会場へ。しかし、またも満足のいく結果が出せず本当に落ち込んだ。だが、7月に合格通知が届いた。ぎりぎりながら合格点が取れていたのだった。夫から「やったぁ!すごいね!」と祝福され、喜びが込み上げてきた。毎回、企業からの団体受験の人たちや、現役の学生たちに混じっての受験は、年齢的に場違いであると感じたが、71歳で合格するまでの1年3か月は、楽しかったし、自分でもよくやったとの達成感がある。あと10年若かったら、すぐにCFP(1級)試験にも挑戦したいところだが、とりあえず日本FP協会に登録し、AFP(AFFILIATED FINANCIAL PLANNER)としての、教育・研修を継続してみることにした。ネット上での試験はまだ続くのだ。今後は、学んだことを自分の老後に活用することを目標に、人のためにお役に立つのであれば、許容範囲内でアドバイスできればと思っている。    三島市(A.S)




2009年9月


          思いがけないホームステイ

 まさかインドでホームステイするとは・・・、でもアーミンさんの特別な計らいで予想外の体験が出来た。ステイ先は一般の家庭ではなく、富裕層だった。21組、私たちのお世話になるお宅は、ナナバティ家であった。     <写真はナナバティ夫妻とすっかりインド人に変身の私たち>

 ナナバティ家はマンションの8階で、ベランダ付きの素敵なお宅だった。ご主人は退役軍人で、現在では図書館で仕事をされ、奥様スニティさんは、「あしたの会・インド」でボランティア活動をされている。2人の息子さんたちは、それぞれ外国暮らしなので、現在はご夫婦のみと思っていたら、なんと156歳の少年が2人同居していたのでびっくり。彼らはネパール生まれで、幼い頃ここに引き取られ、お手伝いさんとして働き、教育も受けさせてもらっているという。最終目的はインドの軍隊に入ることで、その方がネパールより待遇が良いからだそうだ。彼らが家事一切を行い、更に週に数回、掃除専門の人も来るという。主婦の仕事は?・・と思ってしまったのだが、これもワーク・シェアリングの一環、多くの人と仕事を分かち合うことが必要なのだ。

 ベッドが2つ、その隣に洗面所と風呂場の付いた部屋が、私たちの部屋。カーテンで仕切られているお風呂場がユニークだった。畳1枚くらいの所に浴槽もシャワーもなく、お湯と水の蛇口が2つと、小さな手桶とバケツが用意されていた。バケツにお湯を入れ、体を洗ったら手桶で湯上りのお湯をかけるというものだった。暑い所なのでそれで十分。これぞ水の節約、インドならではのアイディア・・・と思った。

 一休みしていたら、スニティさんがピンクとブルーのパンジャビ・スーツを持って入って来た。「今夜のディナーにはこれを着て行くように」とのこと。彼女の若かりし頃のスーツだそうだ。早速2人それぞれ好みのスーツを着てご満悦。しかも、額につけるマークから腕と足につけるアクセサリーや靴までも本場もの。すっかりインド人に変身して、ご夫妻と共に、昼間同行して下さったワディア大邸宅に車で向かった。門を通り過ぎ、しばらく走って、玄関に到着。ずいぶん屋敷の広いお宅だと思った。どちらのご主人も、とても物静かで気品のあるジェントルマンで、社交的なのは奥様たちであった。おしゃべりしながら美味しいディナーをゆっくり頂き、食後は「バイリンガル環境かるた」に挑戦。競争となると、皆さんかなりのハッスル振り。楽しいひと時を過ごした。          三島市(I.M)

           
           “き っ か け”

時が流れる儘の人生で、32年間家事に没頭、買い物や家族旅行以外には、外出や社会参加も無かったが、充実して何の不満も無い穏やかな生活でした。

ところが生活の核であった夫を病告知後4ヶ月で喪い、煩悶、鬱々と2年間ほど過ごし、杞憂の中、図書館ボランティア、マナビスト会員として社会参加してみました。これらを通して無償活動にも自然同化でき、徐々に消失した自我が戻ってきました。

かつて大好きだった旅行も一人では勇気が無く、永久封印かと思いきや、今年トランジットを含め15時間半のフライトができました。往路はドイツで開催の哲学学会に出席される早稲田大学の若い方と隣席でした。「日々勉強です」との彼の会話から、私の携わる図書館ボランティアに触れ、「子供の頃から図書館が大好きで、日暮れに親が迎えに来ると悲しく、図書館に泊まりたいくらいだった」とも話しました。やはり幼少時代に多くの書物に囲まれた環境が豊かな知識を育み、学者という格物致知の職を得られたのだと思いました。

復路も若い外国人が隣でした。私が旅先での走り書きのメモを手帳に清書していたところ、「KANJI?」と一言。何とかアプローチに答えようと四苦八苦。曖昧な英単語を羅列した自己紹介のメモを彼女に渡したところ、彼女はスイス人で日本へは7ヶ国語目になる日本語を習得する為に行くというメモが戻りました。彼女が易しい英語を使ってくださったので、成田まで何とかメモ往来で繋がり、PCアドレスを交換し、再会を約束して別れました。

 帰国後3日目彼女からメールが届きましたが、デスクトップ上では飛行機の中の様な訳にいきません。早速友人に相談し、GIA英会話サロンAクラスに入会しました。優しいTIM先生はじめ優秀なクラスメイトたちと楽しい時間を過ごしております。スイスの方との隣席が大きな“きっかけ”となりました。

 今回往復便で若い方々が広い地球を所狭しと活躍している姿に、自彊息まずですが、現在海外赴任中の愚息は、この経済下で連日残業、休日返上とのこと、企業のグローバル化は益々厳しいと感じる昨今です。              (S.S)




2009年8月


     インドでのホームステイ(パトワーンダン家)

            函南町(Y . K)

2008
1123日(日)

アーミンさんと金井さん私たちのホストファミリーは「あしたの会・インド」からの奨学金で、東京の桜美林大学に1年間留学経験のあるケタキさんがいる、パトワーンダン家。彼女が日本語を話すのでとても助かった。お父さんはIT関係の仕事で、アメリカのLAで働いているが、ちょうど休暇でプネーに戻っている時だった。お父さんの運転で家から1時間位の山頂にある要塞に行った。1628年ごろ築城されたという城壁と門が残っていた。岩山の頂上はかなり広く物売りや、日本の茶店のような小屋が幾つもあった。私たちは木陰にゴザを敷いて座り、バジー(紫玉葱のから揚げ)とチャイを飲んだ。バジーは日本の「から揚げの味」と同じだと思った。不思議だったのは、高い山の上だというのに湧水の井戸があったことで、その湧水は甘く、物売りや茶店の人たちが使用していた。帰りは車の数も少なくなったが、薄暗い中を、牛を8頭連れた人が登って来たのには、思わずヒヤリとした。往復2時間のドライブで、お父さんの運転テクニックは見事だった。この国では、ルールがあっても無いような道路状況で、後ろに乗っていた私もひやひやした。お父さんは、いつも帰国してから慣れるまで1週間はかかり、アメリカの方が楽だと話していた。 
 
 翌朝は5時に起床し、トイレを使用したら水が出
ない。アパートなので屋上の水を貯めるタンクが空になり、お父さんがバケツで水を運んでくれたが思うように流れなかった。
 
 ケタキさんはスポーツジムで会員の食事や栄養相談の仕事をしていて、朝6時前にオートバイで出勤した。

私たちは、8時過ぎにチャイとクッキーの朝食をしながら、ケタキさんが日本に留学の折、家族で訪日した話になり、お父さんがその時の写真をパソコンから見せてくれた。彼の趣味はミニカー収集でガラスケースにたくさん飾ってあり、夫が「写真を撮りたい」と言ったら、まるで子供のように喜んで見せてくれた。優しくて気持ちの温かいお父さんだ。お母さんは洋服の仕立てをしていて、私に手作りのバックと携帯入れをお土産にくれた。

今回インド研修旅行に参加しようと思ったのは、15年前からホスター・ぺアレンツとしてインドの子供を支援してきたので、子どもたちの生活を見たいと思ったからだ。短期間でもインドの家庭で、家族の一員として過ごした体験はとても貴重であった。インドの子供たちが自分の将来に夢を持てるようにと願っている。

今回の訪問で、インドもまた私たちにとって遠くて近い国。そして、また行ってみたい国になった。



グローバル文化交流協会(以下GIA)に入会して

清水町(A.F)

はじめまして、この度、GIAに入会させていただきました、清水町在住の藤原章子と申します。
 
 いつも、仕事で何かと相談にのっていただいている会員の魚谷淑子さんから、お会いする度に、とても興味深い、GIAの活動のお話しを伺い、自分を高めるためにもとても良いと思い入会しました。

 入会しての率直な感想ですが、メンバーの方々が分担して役割をきちっとなさり、その仕事の丁寧さと、イベントを成功させたいという誠実な思いが伝わってきて、会員としてのご縁をいただき嬉しいなと感じております。

 きっかけは、6月に開催されたGIA総会のゲストとして、松香フォニックス研究所所長・松香洋子先生の講演をしていただく、イベントの企画からずっと身近にメンバーの方々とご一緒したからです。当日は、200名近い参加者があり、私の役割りは、松香先生の講演の中で、英語に合わせてのダンスを披露したり、参加者が分かりやすいようにと知恵を出し合ったワークショップをすることでした。また、子供たちの英語絵本の暗唱や会話表現も発表しました。

このように、大きな会をするとなると集客だけで力尽きてしまうところですが、GIAと私たちの「MPI静岡県東部パートナー会」とが共催で開催させていただき、発表に集中することができたことを今あらためて感謝しております。

私自身の英語との出会いは最悪でした。中学から学んだので、英語が分からない話せない英語難民になってしまいました。小さい頃からの自然な英語環境に気を付けるだけで、誰もがお金をかけることなく英語が得意になれるのに・・・。そのことに気が付いた私は、自分のような英語嫌いを作らないように、子供たちが一生懸命勉強しても通じない英語だったということのないようにと、伝えることをライフワークに、地域の財産である子供たちと共に成長できる自分でありたいと願っています。また、GIAの会員として微力ながらもお手伝いができましたら大変に嬉しいです。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。




2009年7月


           アメリカ大リーグ観戦

             裾野市 (K.Y)


 昨年娘と二人で気ままなアメリカ旅行をした折、シアトルへ行きマリナーズの根拠地セーフィコフィールドへ立ち寄った。驚いた事には道路に球場が隣接し歩道から中が良く見えるのである。残念ながらオフシーズンだった為試合は見られなかったが、中を覗いていると多分私達が日本人だと分かったのか、通りがかりの何人もの人達がイチローと声をかけてくれた。イチローの姿を貼ったパネルが階段の所に何枚も飾られ人気と実力の凄さを再確認。私は熱狂的な野球ファンではないけれども試合を観戦したくなり、今年の4月にアナハイムエンジェルスタジアムと新しく建てられたばかりのニューヨークヤンキースタジアムの二つの球場へ野球を観に行った。エンジェルスタジアムへは対マリナーズ戦でイチローを応援に行った。外野には人口の滝がありホームランを打つと噴水が見られる。デイゲームで試合前の練習を見ようと早く行ったが、守備練習も打撃練習も無く数人の選手がストレッチをしたり、軽くキャッチボールをするのみでイチローの姿は見られずガッカリ。およそ満席。イチローはバントヒットをし彼の俊足さに改めて感心した。

ヤンキ-スタジアムへ向かう地下鉄は日本のラッシュアワーさながらであった。ナイトゲームで霧雨が降る真冬の寒さの中、半袖姿で応援している元気な人達がいた。私の席は屋根付きだったので雨には濡れずにすんだ。ここでは松井秀喜を応援した。球場はおよそ満席。日本のプロ野球と応援の仕方が違う所は鳴り物を使わず静かである事と、敵味方に限らず良いプレーには声援を送る事。ウエーブが途絶える事無くぐるぐる何周も回って来た。応援するチームのユニホーム、ウインドブレーカーを着る人は日本より遥かに多いと感じた。とても楽しい貴重な経験が出来て娘には大変感謝している。

  
インドでホームステイをして

三島市 (M.S)

1123日、Sさんと私はホテルに迎えに来てくれたホストファミリーのスタティラ・ワディアさんと一緒に先ずプネーの街を散策し、土産物屋に寄ったり旧市街地の古い商店街を見て廻ったりした。ふと見上げるとこの街が昔イギリスの支配下にあったことを思わせるテラスの設えが見えた。

 さて、私たちがホームステイをしたご家庭は、ご主人のファロックさんが腎臓病の権威者で、奥様のスタティラ・ワディアさんは、考古学者で学術博士号を取得されている方。家業は代々馬を飼育して毎年ドバイなどに馬を輸出する仕事もしているということだった。

ワディアさんに伴われて白い大きな2階建ての邸宅に入ると、前方に広い庭が広がっていた。そして大きな2匹の犬が私たちを迎えてくれた。大理石を敷き詰めたテラスで、初めて挨拶らしい挨拶をした。テラスでティーをいただいた後で、昼寝を薦められ、私たちは2階の部屋に案内され、ベッドで1時間ほど眠ってしまった。

昼寝から覚めて階下に下りると、奥様はすっかり正装されて待っていてくださった。ご近所に住むスニティさんご夫妻と一緒に、Mさん姉妹もピンクとブルーのサリーに身を包んでやってきた。ほどなくアーミンさんも正装姿で見えた。静かな夕闇に包まれた中で、私たち9人は夕食をいただき、なごやかなひと時を過した。

私たちが過ごした2階の各部屋には学者の家らしく多くの書物が並んでいた。2階にあるバスを「どうぞ」と言われたが、日本のようにたっぷり水が出てくるわけではなく、手足を洗う程度にしか使えなかった。白い蚊帳を吊ったベッドの中に入るとお姫様になったような気分でいつの間にか眠りについた。

翌朝、庭に出て散歩をしていると、たくさんの鳥が飛び交って鳴いていたり、馬が走っていたり、羊が草を食んでいたりするのを見かけた。また枯れ草を積んで運んでいる人や庭の掃除をしている人も目についた。広い屋敷の中に多くの使用人が住み、それぞれ役割が決められているそうだ。最近はインドでも人を使うことがとても難しいとご主人は語っていた。慣れぬホームステイではあったが、ゆったりとした時間を持つことができて幸せな2日間でした。            



2009年6月


インドでのホームステイ  ラムチャンドラ家にて

~ホームステイという今回の素晴らしい贈り物に、アーミンさんに心より感謝します~

長泉町 (S.T)

インドでの4日目、20091123日、予定通りホストファミリーのMrs.ナリニ・ラムチャンドラさんの出迎えで、相棒のSさんとスズキの車に乗り込んだ。運転手はシャイで物静かな感じの男性で、この後も大変お世話になった。ナリニさんの提案で、ホテルの向いにあるスーパーで(セキュリティを通過して)日用品や衣服など買い物を楽しんだ。家に向かう途中、絵葉書を買うためにあるホテルに寄ってくれた。市内から少し外れた静かな住宅地、ラムチャンドラ家は4階建てのマンションに住んでいた。門番がいた。インドのある程度の建物には必ず門番がいる。自衛?それともワークシェアリング? Mr.ラムチャンドラさんが出迎えてくれた。彼の仕事は会計士で、来日したこともあるそうだが、残念ながら富士山は見てないとのことだった。物静かで知的な感じの紳士でホッケーの大ファンだった。

インドがより好きになったのは、この家での食事だった。ベジタリアンであるラムチャンドラ家のメニューは、ダール(味噌汁のようなもの)、サブジー(野菜のカレー)、焼きたてのチャパテイー、自家製ヨーグルトなど、どれもが程良くバランスのいい味と量だった。ランチにはアーミンさんも一緒だった。

 食後、プネー観光を、私たちだけで出かけることになった。初めにラージャ・ケールカル博物館へ。プネーの街の交通ラッシュをものともせず走り抜け、下町のごちゃごちゃと立て込んだ商店街の中の建物の前でやっと車は止まった。入口で200ルピー(400)の入場料を払った。展示された富豪の収集物は半端ではなかった。木彫りの門、大小の仏像、古い布などインドの民芸品の歴史館だ。1階にあるトイレの鍵が壊れていた。次に巨岩を掘ったバタレーシュワラ石窟寺院は、石の回廊や部屋が並んでいた。石の上で女学生が3人勉強をしていた。またアーミンさんお薦めのプネー大学の有名な建築物はあいにく修復中だった。木立の中に校舎や住居が点在する広大な構内には牛があちこちでのんびりしていた。運転手は道中、シャーニワル・ワーダの城壁、カスバ・ガナパテイ寺院の側を通りながら、ヒンズー語で説明してくれたが、何となく解る気がした。人や車がごった返す中、スズキをブンブンと飛ばしながら案内してくれたことは、思い出深い1コマである。4時近くに帰宅したら、プネー市の郊外に住む妹夫婦マネさんの家に連れていってくれた。日本の昔話や武士の切腹のことなどに話は尽きなかった。帰り際に、アイロンをかける女性が衣類を取りにきた。これもインドらしい職業だ。夜は、お土産に持参した「バイリンガル環境かるた」をした。ナリニさんはベランダでコンポストを使用しており、環境への関心もあり、かるたの素晴らしさを評価してくれた。

24日の朝、沖縄出身でインド在住12年の高良真司さんを紹介された。インド女性と結婚し肥料会社を経営。インドの大地は肥料作りに適しているとのこと。

中身の濃い素晴らしい時間だった。      

これからも楽しく  かえるのイラスト

              長泉町 (M.E) 

 還暦を過ぎて「おとなのためのピアノ教室」に入り、10年が過ぎました。シニアクラスで、皆ピアノを持つことが夢だった世代なので、気持ちは一生懸命、でも思うように指が動かないのがじれったいです。それでも基礎から始めてぼつぼつやっているうちに、あこがれのショパンやベートーベンの曲が少し弾けるようになりました。楽譜を見たとき、こんな曲とても無理だわ、と思ったのが弾けるようになったときは、充実感でいっぱいになります。大人のクラスは基礎を終えると自由に好きな曲が選べるのでとても楽しいです。

  先日、私にとって10回目のおひろめ会がありました。何ヶ月もかけて練習したショパンのマズルカ、大丈夫かなと思っていたのにやっぱり緊張して間違えてしまいました。人前で演奏するのは本当にたいへんです。でもたまにはこの緊張感も大事かなと思います。そして教室の上手な人たちの演奏を聴くと、いい刺激を受けます。

  最近は、6歳の孫娘といっしょに、長泉町で行われるピアノマラソンに参加したりして楽しんでいます。子供は進歩がはやいので、孫に追い越されるのもそう遠くはないでしょう。実はそれが私の何よりの楽しみです。趣味としてこれから先も孫たちと仲良く続けて行きたいと思っています。

                



2009年5月


インドでのホームステイ体験「インドにも還暦を祝う習慣があるの?」

沼津市  M.

インドのホストファミリー予定していたホストファミリーの都合が悪くなり、私とOさんは、急遽別のホストファミリー、コツバギさん宅に、FさんMさんと4人でお世話になることになった。コツバギさんはお医者様一家とのこと。ホテルのロビーでお会いし、まず博物館に連れていってもらった。広くて多くの展示品があり、短時間では見切れなかった。次に昼食のためにレストランへ。そこでコツバギさんの奥さんと妹さんと3歳になる娘サナちゃんと合流した。インド料理の食べ方を教えてもらい右手で食べた。魚料理がとても美味しかった。その後に入ったアイスクリーム専門店の混みようには驚いたが、意外と早くに席に着けた。その後、私たち女性は買い物に行くために、インド独特のリキ車に乗った。乗り心地は悪かったが、運転は恐れていたほど荒くは無かった。着いた場所は両側に小さな屋台が並び、まるでお祭りのように混雑していた。まずはアクセサリー店へ。次々に見せる品物の中でふと値札を見ると、225ルピーと書いてある。日本円にすると「2倍だから・・えっ!450円?」石は本物ではないが、細工がきれいなので買ってしまった。他の店でもサリー用の布地3点セットを買い、帰りも再びあのリキ車に乗り、車の駐車してある場所へ戻った。混雑している場所にはリキ車で行き、自家用車は駐車できる場所に置くという、車の合理的な乗り分けに納得した。
 お宅の中へは、迷ってしまいそうな広い部屋の中を通ってリビングに到着。お土産を渡しそれぞれが家族の紹介をした。私は自分の還暦祝いに子供たちが贈ってくれたロッキングチェアの写真を見せた。すると「うちでもお父さんにロッキングチェアを贈った」と言って、サナちゃんが私の手を引き、その椅子のある場所まで連れて行ってくれた。「お母さんには、ブランコのようになっている長椅子を贈った」とのこと。そう言えば初対面の時、お母さんはその椅子に座っていた。インドでも日本と同じように還暦を祝う習慣があることを知り、インドをより身近に感じた。しばらくすると、コツバギさんのご両親は医師会のパーティーに、コツバギさんと私たち4人はロータリークラブのパーティーへ出かけた。パーティーで、私は挨拶代わりに、日本語で「四季の歌」を歌った。夜11時過ぎに家に戻ると、サナちゃんは折り紙を、彼女のお姉さんは勉強をしていた。今日は特別に夜更かしなのか、それともこれがいつもの“インド時間”なのだろうか? 


「娘と私の英語留学記」

三島市 T.U

 これは残念ながら私の体験記ではありません!ふとこのタイトルに心惹かれて読み始めた新聞の連載でしたが、その面白さにすっかり虜になったのが30年近く前のことです。
当時生まれたばかりの娘とじっと家におりましたから、その松香洋子先生の書いた娘を連れての珍道中ともいえる愉快な留学記は、私の夢をとことんまで膨らませてくれ、「あ~、私も娘を連れて留学したい!」と、心から憧れたのでした。結婚前に私もカリフォルニアの青い空がある田舎の大学で過ごしたので、おおらかさに満ちた日々やそこで得た人情友情を忘れることができません。だから、刺激の少ない子育ての日々に飛び込んできたその留学記は、「私もこの子を連れて、きっとまた!」とか、「今度はこの子をバイリンガルに!」とか、気持ちに火がついた思いでした。結局娘を連れての留学はかないませんでしたが、その後、松香先生がご自分の留学中に得た知識とお子様の英語習得過程の様々な体験をもとにした、日本人に合った英語指導法を確立して設立された「松香フォニックス研究所(MPI)」のセミナーに参加するようになり、英語指導者への道に進んで行きました。
 松香先生の本はそのお人柄がにじみ出ていて大変面白く、知らず知らずに引き込まれますが、実際にお会いする先生もウィットに富んだお話が楽しいのです。
今回グローバル文化交流協会の総会がある614日(日)にはその松香洋子先生が裾野市生涯学習センターで講演をしてくださるという素晴らしい企画が実現しますので、皆さんこぞって参加してください。
新しく事務局に入れていただいた私としてはとても良い記念になり、ぜひともこの講演会を成功させたいと思いますので、どうぞよろしくご支援ください。


2009年4月

遠くて近い隣国ロシアへの旅
三島市  Y.S

この夏、夫娘と共にロシアを旅した。「エルミタージュ美術館はどうでしたか」とよく聞かれる。美術館はもちろん素晴らしかったが、サンクトペテルブルグの街全体が芸術品のようであった。「北のべネチア」と称され、運河と豪奢な宮殿、鮮やかな聖堂、庭園に目を奪われた。ここがわずか300年前まではバルト海に面した沼地だったとは信じられないほどだ。ロマノフ王朝の栄華と終焉、革命の理想とその挫折、時代とともに街は名前を変えながら歴史を見てきた。ネヴァ川に面した文化芸術の都は、政治経済の中心モスクワより、旅行者には魅力的だ。
遠く感じられるロシアは日本の隣国でもある。井上靖の「おろしや国酔夢譚」にも書かれたように江戸時代 大黒屋光太夫らは漂流しアリューシャン列島に着いた。帰国の許可を得るため困難の末、シベリアを横断しサンクトペテルブルグでエカテリーナ女帝に会うことを目指す。許された謁見の場は「琥珀の間」で名高いエカテリーナ宮殿だった。その豪華さには私達も圧倒された。当時の彼らの心境は想像さえし難い。
一方、モスクワ郊外に足の伸ばし訪れた、「黄金の環」と名づけられたスズタリなど中世古都郡への旅で、また違うロシアの一面が見えてくる。途中、車窓から眺める大平原は、まさに「地平線」まで続く。勢いづくロシア経済とはいえ、田舎に残る農家の質素な家々にソ連時代また遥か帝政ロシア時代の農奴と呼ばれた貧しき人々の生活に思いを馳せる。サンクトペテルスブルグの宮殿からかけ離れた世界がここにはある。
ロシア正教の大聖堂や教会の、丸みを帯びた屋根は鮮やかに彩色され、田舎町でさえひときわ鮮やかだ。中には溢れるばかりのイコン。共産党時代を経て再びよみがえった教会だが、帝政時代には人々の心の拠り所であり、天国をそこに見ていたのだろうか。

介護と公文、どちらにも大切なことは思いやり
町田市 M.I

 東京都町田市に引っ越してきて2年半、子供たちは高三、中二、小五となりました。私は、病院(長期療養型医療施設・300床)で入浴介助の仕事をしています。患者さんは皆寝たきりです。お話しができる方はわずかですが、ある方にお風呂が楽しみで今朝は早く目が覚めたと言われて以来、心をこめてきれいにしてあげなくちゃと頑張っています。答えてもらえない方にでも自然に話しかけてしまうのは、突然目が開くような気がするほどお身体から温かいぬくもりを感じるからです。
 朝から昼まで、10人2チームに分かれて、全身を良く見て細心の注意を払い、汗だくになって100人の患者さんを洗っています。それはまるでF-1のピット作業のような流れです。床ずれ、指の壊死、人工肛門、痴呆などの特徴と共にほぼ全員の名前を覚えました。老いるとは、こういうことなんだと、見て触れて学んでいます。

 一方、若いパワーをもらえる機会は、公文で小中学生と接する時です。ひとりひとりの成長を願いながらわかりやすく教えたいと努めています。
介護と公文、どちらにも大切なことは思いやりだと強く感じる今日このごろです。



2009年3月

・・・・・着物のススメ・・・・・・
 数年前に、三島市に引越しを決めた時、同時に三島では着物を着て暮らしたい!と考えてもいました。
何故か三島は着物が似合う街、という気配を感じ取ったのです。着物は案外、着るのも簡単。洋服のように色や形、靴、バッグに至るまで、あれこれコーディネイトしなくても足袋、襦袢、着物、を重ねるのみ。夏の浴衣は更にシンプル。下駄や草履は考えずとも!?結構なんでも合うのです。
洋服を10枚重ねて着る事は不可能ですが、前をあわせて着る着物は、何と!お腹の部分では重ねた布の枚数を数えると8枚以上です。袷の襦袢や着物の場合はその2倍です。そして帯は2周巻くので更に増えます。
冬、暖かいわけです。夏は浴衣の袖の中を通り抜ける風の心地よさ!これは経験して初めてわかった感動の感覚です。 着物での動作に不自由を感じることはありません。
 足指、足首、膝、股関節、全部を均等に使って“立つ”、“座る”、“歩く”を繰り返すと、むしろ洋服では使わない身体の芯の部分の細やかな動きが出てくることに驚きます。もちろん腰紐や帯のお蔭で腰は支えられ、長時間の諸処のことにも軽く耐えられます。
 絹と言う素材は体内の不要物を排泄してくれますし、本当の着物のよさはまだまだ書き足りない位です。もし箪笥に眠っている着物があれば、今年は是非身体に纏ってください。       三島市 M.M..

ひとつの言葉で人生が変わる”
 最近、知り合いの方から頂いたメールにありました。普段使う言葉によって、周りの人との関係が変わることがある。チャンスが欲しい時は、チャンスを集める言葉を使うようにすると、チャンスがやってくる!と言うお話し。使う言葉の内容が、その人に集まるそうで、マイナスの言葉を使えば、マイナスに、プラスの言葉を使えばプラスのことが一杯おきます。「チャンス!」と言うことで、何かしらチャンスにしようという意志が働き、さらにチャンスと言える気持ちこそが、運命を動かす力そのものなのだそうです。
小さなことからこつこつ、周りのみんなと幸せになるために、普段何気なく発している「言葉」に意識をしてみるのはどうでしょうか?様々な国の方と、様々な言語で会話が出来る今日。根本の部分はとってもシンプルで皆共通しているのでしょう。日々心がけながら、周りの人は勿論世界中の人達と人生楽しく過ごせたら最高ですね。私も「言葉」に意識して過ごしてみようと思います!              三島市 Y.K.


2009年2月

           少子高齢化
 この言葉が使い始められてから久しいが、少子および高齢化の何れもが負のイメージを背負わされているように感じられる。少子化は、将来、税金支払い人口の減少につながり、経済規模の縮小を招くであろうというのが、その不安論の根拠になっている。一方の高齢化は、非生産人口の増大、つまり経済負担が増加し、これも経済に影響を与えるのではないかというのである。
 本当にそうなるのだろうか。理屈としては、そう言うこともあり得るだろう。でも、何という非人間的な考え方なのか。後期高齢者、私もその1人だが、と言う言葉が不評なのは、あなた方はよけいものなのですよ、と言われているように感じられるからだろう。
 昔読んだギリシャ神話に、地上の様子を見ていたアポロンが、人間の数が増えたようだから、戦争を起こすように神々に命じたという話があった。神話というのは必ずしも作り話ではないと歴史学者は言っている。中国政府が一人っ子政策をとっていることは、よく知られている。3千年昔も今も、人口過剰は問題だと為政者は考えているようだ。
 適正人口という言葉がある。昔は、土地の生産能力で生存可能な人数が決まっていた。明治初期の日本の人口は、4千万人台だったという。130年で3倍になった。平均寿命でも、世界のトップ争いをしている。日本の経済的総合力が大きくなった証で、同慶の至りだと言いたいが、上記のような問題もある。
 物事には裏表だけでなく、上下左右もあるから、少子高齢化が単なる経済論に終始するのではなく、人間味のあるものになって欲しいと思っている。                       三島市 SH

            グローバルの皆さんへ
 みなさんお変わりありませんか。私がYさんの紹介でグローバルに入会したのはもう17年前になります。3人の子育てが一段落し、末の子が10歳になった時、何らかの形で再び社会と関わろうと思い、多少覚えのある英語を通じて、大好きな子供たちと交われる英語を選んだのでした。が「苦手ではない程度の実力」しかなかった当時の私は、一にも二にもうまく話せるようにと焦るばかりで、子供たちにもカリキュラム一辺倒の余裕のない講師だったと今になって分かるのです。「学問に王道なし」を痛感する日々の中で、とりあえず前を向いて目指すことを見失わずに、そして昨日よりは今日をよりよくしようという一念で歩いてきました。一口に17年と言っても途中の数年間、グローバルをお休みしたこともありましたが、ロバート先生からは美しい発音と、問題意識を持つ事の大切さを学びました。
 今、ティム先生のCクラスにいて思うのは、国際語とも言える英語を通して気持ちを伝え合う楽しさと語彙力の増加があげられます。毎週、新しくて楽しいニュースを捜し求めて、私たちを盛り上げてくださるティム先生は最高です。バンザイ!!ティム先生!!今の三輪車をセニアカーに乗り換えるようになってもグローバルの英会話教室を止めないで下さい。私も落ち葉マークを貼る車に乗るようになっても続けます。
 また、一度退いた方々、脳の鍛錬の為にも是非復帰してください。        
                          裾野市
 MO. 

2009年1月

GIAの水野幾子さんになんでもいいから投稿してほしいといわれて「はい」と応えたものの、実はGIAがどういう団体なのかいまだわからないまま、原稿を書き始めました。三島の生涯学習センターの「英語サロン」に申し込んだのが、GIA会員になるきっかけで、今年10月に入会しました。私は今年4月に東京から三島市に引っ越してきました。最近やっと地図をもたないで街中を歩けるようになりました。東京の浅草・下町文化にどっぷり浸かって育ち、日本の伝統文化とくにお祭りが大好きです。ここ三島は三嶋大社の門前町で夏の間は「しゃぎり」のリズムが町中から聞こえて大満足でした。そして何よりも身近で見る富士山の素晴らしさ、これまでは年に1度見るか見ないかの車窓の風景や絵葉書やカレンダーでしか見なかった富士山でしたが、これほど富士山がたくさんの美しい顔をもっているとは思いませんでした。そんな身近なことに満足していたら、毎日のように新聞、テレビで「金融危機、失業、派遣切り」のニュース、専門家がいろいろなことを言っていますが、虚構の上に私たちの社会が成り立っていたということだったんですね。アメリカでは自動車産業が倒産か? これほど自動車社会と言われているのに更に毎年ニューモデルの自動車が何百万台もなんで必要なんだろうか。本当に今の社会に必要なものってなんだろうか。住む家がない。食べるものがない。これは世界中の人々が今考えなくてはならないことなのだろうと思います。グローバルな社会・・・・世界中がほんとにつながっているなって実感してます。“ Think globally, act locally.”( 世界的に考えて、地域で活動を)・・・・ GIAの精神はきっとこういうことだろうと思ってます。実は私はまだ「英語サロン」以外には何も参加してないのですが、これから機会をみつけて参加させていただこうと思ってます。地域のことはまったくわかりませんが、いろいろ教えてください。どうぞよろしくお願いします。       三島市 H.

「孫を持って知る、子のありがたさ」を実感するこの頃です。長女にはもうすぐ3歳になる男の子が。長男にはやがて1歳半になる女の子がいます。(次男は来年、年男で今春就職したばかり)私が子育てをしていた頃は、一日が追われるように過ぎて行き、育児を楽しむ気持ちのゆとりもなく、夜にはクタクタになってバッタンキューの日々でした。
今、孫たちを見ていると、あぁこんなに可愛かったんだなァ、こんなに楽しませてくれていたんだなァと、小さかった頃の子供たちに感謝をする気持ちになります。縁あって我が家に生まれてきてくれた孫たちから再発見の感動をもらっています。
 また、FMみしまかんなみ(ボイス・キュー)が開局11年目を迎え、お蔭様で私も開局以来ずっと勤めさせていただいていますが、仕事を通して出会う多くの方々のお話はとても貴重です。お話の中からその方の生き方、信念や意欲、また挫折や迷いがあった時の立ち直りのヒントなど、ラジオを聞いてくださる方達に何かひとつでも心に残るような事をお伝えできればと心掛けています。スタジオで話しをしてみたい方、みなさんに紹介したいという方をご存知の方は是非ご連絡ください。お待ちしています。                             裾野市 T.S.

2008年12月

*~*ときめき ~*~*
かれこれ、もう15年になるでしょうか、私が膠原病という難病を患ったのは。
3交替勤務という過激な仕事である看護師をしていた時、多忙とストレスに押し潰され、高熱と全身の関節の痛み発疹で倒れてしまいました。主人には、入院した当日ドクターより、敗血症を起こしています。今日、明日が山でしょう。との説明があったそうです。突然の話で、何が起こったのやら見当がつかず、目の前が真っ暗になったそうです。
私は403分の熱で呼吸困難、体は例えようもないだるさで苦しみました。でも医療従事者の皆さんのおかげで一命を取り止めました。強力なステロイド療法もあり、病状も緩和されましたが副作用にも苦しみました。猛暑の中の入院でしたが4か月間後に退院した時にはもう秋でした。踵も皮疹による壊死を起こし2年間伝い歩きでした。しかし、じっとしているのが嫌いな私は、その間NHKの絵手紙教室や書道の通信教育を受けて気を紛らわせておりました。こんな私にも何かできることがと思っている矢先に、発病後10年目にして膠原病の副作用による、肺がんがみつかりました。一生服用しなければと言われていたステロイドホルモン剤も中止になり、喜んでいたのですが、まさかという恐ろしい坂を上ることになりました。右肺上葉を切除しました。
やがて、日本語の勉強講習会があるということで参加し、私のような者でも外国から来られた方のお役に立つならと、ボランテアを始めました。ウクライナから来た女性です。彼女の最初の希望は、ひらがな、カタカナの読み書きができ、日常生活ができるようにとのことでした。「ロシア語ウクライナ語はできるけど英語はだめです」とのことでした。ひらがなカタカナを全然知らない人に、どうやって教えるか悩みましたが、ローマ字が使えることに気付きローマ字を使い教え始めました。彼女は、生徒として大変聡明で嬉しい限りでした。また、グローバルの方々にも大変お世話になりお話をさせて頂く機会を得て大変良い勉強になったと喜んでいました。
ウクライナの厳しい現状も私にとって大変勉強になりました。日本の豊かさ、物を大切にしないことなどが、盛んに言われておりますが、彼女も鋭い目で観察しています。ウクライナでは、子供、お年寄り、体の弱い人などに対して、皆さんが優しいといいます。日本の男性はジェントルマンではないともいう彼女は、電車の乗降時など至る所でそれを感じるそうです。日本人として心の貧しさに恥ずかしさを覚えます。彼女は日本語も大変上達しました。今では欲が出てライセンスを取りたいと言う程です。私もうかうかしていられません。今は生け花も習い始めました。ベリーダンスは母国でプロですので素晴らしいです。これもグローバルでPRしていただき感謝していました。今はいろいろな場所に積極的に出て行きお国のお料理なども教えています。
ドクターで漢方医の、帯津先生が書いておられました。「人はいつもときめきが大切であり、ときめきがあると、その先は前向きであり明るさであり、感動して生きられる」。今私は日本語にときめいています。外国の方が、日本でよいコミュニケーションをもつて生活できるように応援したいと考えています。      T.Y.

遠くて近い隣国ロシアへの旅
三島市  (Y.S)

この夏、夫娘と共にロシアを旅した。「エルミタージュ美術館はどうでしたか」とよく聞かれる。美術館はもちろん素晴らしかったが、サンクトペテルブルグの街全体が芸術品のようであった。「北のべネチア」と称され、運河と豪奢な宮殿、鮮やかな聖堂、庭園に目を奪われた。ここがわずか300年前まではバルト海に面した沼地だったとは信じられないほどだ。ロマノフ王朝の栄華と終焉、革命の理想とその挫折、時代とともに街は名前を変えながら歴史を見てきた。ネヴァ川に面した文化芸術の都は、政治経済の中心モスクワより、旅行者には魅力的だ。
遠く感じられるロシアは日本の隣国でもある。井上靖の「おろしや国酔夢譚」にも書かれたように江戸時代 大黒屋光太夫らは漂流しアリューシャン列島に着いた。帰国の許可を得るため困難の末、シベリアを横断しサンクトペテルブルグでエカテリーナ女帝に会うことを目指す。許された謁見の場は「琥珀の間」で名高いエカテリーナ宮殿だった。その豪華さには私達も圧倒された。当時の彼らの心境は想像さえし難い。
一方、モスクワ郊外に足の伸ばし訪れた、「黄金の環」と名づけられたスズタリなど中世古都郡への旅で、また違うロシアの一面が見えてくる。途中、車窓から眺める大平原は、まさに「地平線」まで続く。勢いづくロシア経済とはいえ、田舎に残る農家の質素な家々にソ連時代また遥か帝政ロシア時代の農奴と呼ばれた貧しき人々の生活に思いを馳せる。サンクトペテルスブルグの宮殿からかけ離れた世界がここにはある。
ロシア正教の大聖堂や教会の、丸みを帯びた屋根は鮮やかに彩色され、田舎町でさえひときわ鮮やかだ。中には溢れるばかりのイコン。共産党時代を経て再びよみがえった教会だが、帝政時代には人々の心の拠り所であり、天国をそこに見ていたのだろうか。

介護と公文、どちらにも大切なことは思いやり
 東京都町田市に引っ越してきて2年半、子供たちは高三、中二、小五となりました。私は、病院(長期療養型医療施設・300床)で入浴介助の仕事をしています。患者さんは皆寝たきりです。お話しができる方はわずかですが、ある方にお風呂が楽しみで今朝は早く目が覚めたと言われて以来、心をこめてきれいにしてあげなくちゃと頑張っています。答えてもらえない方にでも自然に話しかけてしまうのは、突然目が開くような気がするほどお身体から温かいぬくもりを感じるからです。
 朝から昼まで、10人2チームに分かれて、全身を良く見て細心の注意を払い、汗だくになって100人の患者さんを洗っています。それはまるでF-1のピット作業のような流れです。床ずれ、指の壊死、人工肛門、痴呆などの特徴と共にほぼ全員の名前を覚えました。老いるとは、こういうことなんだと、見て触れて学んでいます。

 一方、若いパワーをもらえる機会は、公文で小中学生と接する時です。ひとりひとりの成長を願いながらわかりやすく教えたいと努めています。
介護と公文、どちらにも大切なことは思いやりだと強く感じる今日このごろです。町田市 ( M . I )

2008年10月

敬語しっかり身につけよう 小学生・I.H.
 私は数カ月前まで、オーストラリアにすんでいました。通っていた学校は現地校でしたので、授業や会話は全て英語でした。そのため両親は、日本に帰るときのためにと、尊敬語や謙譲語、丁寧語を私に教えてくれました。でも帰国して日本の学校に入ると、敬語を使わない(使えない?)人がいてびっくりしてしまいました。先生に対し「~だよね!」「~でしょう?」返事のし方も「はい」「いいえ」ではなく、「うん」「ううん」とまるで友達のような話し方です。英語には日本語のような尊敬語や謙譲語はないようですが、大人や目上の人に対する話し方があり教師と生徒、大人と子どもの間には厳しいルールやマナーがあります。日本の伝統や財産でもある敬語を身につけみんなが使いこなせるようになったらいいなと思います
姪の長女の投稿文が産経新聞に掲載されました。姪夫婦は小学校1年生になったばかりの彼女と次女を連れてオーストラリアで5年間をすごしました。ここまで育てた姪夫婦、そして素直に学んだ子どもたちに拍手を送りたいと思います。ことばは“生きもの”! 変ってゆくのはやむをえない面はありますが、くずれ出すときりがないものでもあり気をつけてゆきたいと思いました。
三島市 R.I
大変飽きっぽい私が継続して励んでいる事が二つあります。一つは英会話。
しかし悲しい事に学生時代に怠けてしまっていた付けを、今痛切に感じているところです。それでも積極的に授業に参加する事が上達の近道と思い、ティム先生やクラスメートの皆様にご迷惑をかけている次第です。 が、もう少し努力を重ねて、海外に出た際には、英語が話せる様になりたいものです。
もう一つは家庭菜園です。色々な野菜、果物を作ってみたいという思いで始めて十年程になります。その間どうせ作るのなら安全な物を、という思いから有機栽培、無農薬栽培で常時三十種類位の作物を作っています。家族が必要とする量の栽培なので、この様な方法でも可能なのですが・・・ この農法での虫や伝染病とのたたかいは、壮絶です。虫は手で取る、伝染病にかかった苗は思いきって抜いてしまう。これをモットーとしています。また天候にも左右され、作柄は様々です。
(不作の時には、ちょっと落ち込みます)苦労がありますが、畑での仲間との情報交換やたわいのないおしゃべりも楽しいものです。
これからも教養を深めるための英会話と、家族の健康のための野菜作り、励んでいこうと思っています。             三島市 M.K.
2008年9月

                     三度目の大草原
 原作は、著者ローラが西部開拓一家の次女として生まれ、両親の開拓生活のもとに成長し、やがて自身も開拓農夫と結婚ーまでを描いている自伝的な児童書です。これらの作品を彼女は、農家の主婦としてやっと落ち着いた64歳から76歳までかけて書き上げました。尊敬です。
 このように著者の自伝的な物語ですので、一家の足跡は、米国中西部のあちこちに残っています。読む程にすっかり開拓者精神に鼓舞された私達。大草原への旅が始まりました。が、すべての場所は、最寄の空港からの電車やバスのアクセスがないところばかり。辺りの風景も100年前とほぼ同じという大平原の真つ直中にあるのです。
 読み始めて3年目。94年に1のウイスコンシン州のぺピンにあるローラの復元された丸太小屋の生家を、仲間の運転するレンタカーでが一回目。
二回目は2000年。3のインガルス一家が幾多の移住の果てやっと定住したサウスダコタ州、デ・スメット。大草原の小さな町に。三人でレンタカーを交代で。私も運転に参加。
 この町で大感激した私は、著者の人となりの語り部になりたあ~いと。ですが、それから実母の5年の介護で、語り部は夢の又夢に。母を見送ってから参加したボランテイア活動。その活動でGIA会員の鈴木きよ子さんにかけて頂いた私への一言で、語り部への道が開けたのです!
 三回目の今回は、私の”ローラ・インガルス・ワイルダーの人生から学ぶもの”という命題の語り部活動を知ってくださった方からのお誘いによるもの。ローラ研究の第一人者、ミシガン州在住のウイリアム・アンダーソン氏のご案内で、2の一家がバッタの大襲来に遭ったミネソタ州に。そして4のミズーリ州、マンスフィールドに。ローラが60年以上暮らし、「小さな家シリーズ」を紡いだ家を訪ねることが出来ました。三回目は、残念ながら仲間とではなくスタデイ ツアーへの参加でした。
 グローバルの皆さん!“私の小さな家”の小さな話に頂いた皆さんの大きなお心に、本当に感謝です。                          三島市  S.M.

2008年8月
★七夕に南十字星を見上げて
 この7月の夫との2人旅は、NZパパの奥さんのお墓参りと、NZ息子の家族に会うためでした。
 しかし偶然にも、三島から初めてニュープリマス(以下NP)に手紙を出して25年目の年で、NP現市長夫妻、前市長、元市長ほか、30余名の懐かしい方々を市長が昼食会に招待しておいてくださり、感激のひとときを過ごしました。NP市役所には、私が登場する写真10数枚をA3サイズに拡大プリントして掲示してあり、私たちがNP滞在中は、市役所前のポールにNZ国旗同様に日の丸を掲げてくださいました。それまで約1カ月間曇天か雨天だったそうですが、滞在中は快晴で、4日間とも富士山に似たタラナキ山(エグモント山)を見ることができました。
 沢地グローバルガーデンによく参加してくださったドムニーさんご夫妻も昼食会に来てくださり、今はNPで、ファミリー向けモーターロッジを経営とのこと。「NP訪問時には宿泊してね」とにっこりしていました。
 真冬のNZで厚着をして、美しい天の川と南十字星を見上げたものでした。猛暑の日本に戻り、気温の落差に超薄着になり、ざっくり痩せた錯覚に陥っている今日この頃です。 (下のの新聞記事は、地元紙に掲載されたもの
                              三島市 Y.K.
           ■お話のCD
 CDというと♪ミュージック♪とばかり思っていた私ですが、最近、「お話のCD」にはまっています。事の始まりは、昨年9月にNHKのBSでやっていた「さだまさしコンサート:まさしんぐワールド2007」をたまたま見たことからでした。ここでは、「ジョーズ2」というネタのお話をしていたのですが、話に引き込まれて外出する時間を延ばしてしまいました。聞き終えてから、こみ上げてくる笑いが止まりません。さだまさしのステージは時間通りに終わらない、話が7で歌が3とか言われていますが、確かに大学の落語研究部出身のさだまさしさんの話の運びは絶妙で日本語が美しく、それでいて面白く心にジンと響くのです。これがきっかけで、新聞の広告に誘われて「さだまさしステージトーク集CD全18巻」を購入して、車を運転しながら聞き始めました。誰かの「さだまさしって歌手だったよね。」という声が聞こえてきそうです。
 私ひとりで聞くのももったいないので、仲良しの友達にも貸してみたら、今度は彼女が、阿刀田高の「ギリシャ神話を知っていますか?」というCDを貸してくださり、今まで知らなかったギリシャの神々の天地創造の物語とオリンポスの12神の話に心を奪われました。そして、最近はRadio Theaterの赤毛のアンのCDを楽しみました。フルキャストで繰り広げられる英語劇場で効果音も臨場感があり、あっという間に時間が過ぎてしまいします。毎日をバタバタと過ごしている私は、CDをi-podに取り込んで散歩や、食事の支度をしながらのながら聞きですが。本を読むにも眼鏡が必須になって目が疲れやすくなった昨今、小説を「読む」のではなくて「聞ける」時代に感謝しています。                                長泉町H.S. 


2008年7月

              楽しかった棚田の田植え
524日、雨の降りそうな気配の中を松崎町石部(いしぶ)の棚田(石部・赤根田村「百笑の里」)の田植えに出かけました。(幸いにも降り始める頃には田植えが終わりました。)
石部の棚田は静岡県棚田十選のひとつで、傾斜地に何百という棚田があります。その頂上あたりから見下ろすと下には駿河湾が、その先には富士山が見える美しいところです。ここでは棚田での米作りに加えて、温泉つき民宿、漁業など多面的な生活手段に恵まれていますが、水田は例の減反政策のため耕作が停止され、大部分の棚田が荒れ放題の草ぼうぼうの状態に置かれました。しかし、十選に入れられたことをきっかけとして、棚田に復活の動きが見えはじめました。「百笑の里」の村長・高橋周蔵さんは“先人の残した文化遺産としての棚田を後世に伝えたい”という熱意の持ち主です。県、棚田クラブなどの助力によって現在のような美しい棚田が復活しました。現在100人のオーナー(県内外の人)によって、毎年5月には田植え、10月には稲刈りが行われ、村の人々の手助けによって、楽しいイベントが繰り広げられています。
石部ではもち米、うるち米、黒米、赤米の4種類の米が植えられています。稲穂をつける10月には田んぼが色分けされ、美しい日本の原風景を見ることができます。34本の束の苗が、秋には片手で握って刈り取るのはやっとのこと、見事に立派に成長しているのには驚かされます。
山間の棚田の周囲では、ホトトギス、ホウジロ、ウグイス、シジュウカラが鳴き、田んぼではオタマジャクシ、サカマキ貝、カワニナが見られました。一昨年の秋にはサルが枝から枝へと飛び交っている姿を見かけました。また田の周りにはイノシシよけの鉄線が張り巡らされ田んぼを保護しています。集会所としてわら屋根の小屋もあり、大きな水車がのどかに回っています。
さてオーナー制ですが、毎年3月に募集して、年会費35,000円を納めますと秋には精米された米、20キログラムが送られてきます。棚田保全のためとはいえ、毎年家族で訪れ、田植えや田の草とり、稲刈りを楽しんでいる光景はすばらしいと思います。
私も田植えや稲刈り、はざがけなどとても上手になりました。そして、村人たちの優しい笑顔が、またおいでと誘っているように思えてくるのです。
                        三島市 M.S.

               懐かしきエジンバラへの旅
昨年8月、次女の交換留学に伴いエジンバラに行ってきました。私にとっては3回目のエジンバラ、10代の終わりにイギリスに留学していた折に訪ねたのが最初でした。折からの猛暑に、出発までは夏バテで、体調不安を感じながら出発。ところが空港に着いた途端に元気一杯!家族での留学生活を終えて13年前に帰国し、仕事と家事を優先してきた毎日の中で、何時の間にか忘れかけていた「旅の楽しさ、気分の高まり」を思い出した瞬間でした。
10年ぶりのロンドンは、私たちの記憶から少し様変わりし、多国籍化が進んで忙しい町になっていましたが、エジンバラは思い出のままの姿を見せてくれました。スコット像の脇でパイパーのバグパイプの音色に耳を傾けながら見上げたエジンバラ城とCarlton Hillは、家族で訪れた懐かしい日々をそのままflash backさせてくれました。
新学期が始まるまでのわずかな期間、一緒に大学付近のB&Bに宿泊し、思い出の場所を巡り歩いたことは、忙しく過ごしてきた毎日と自分を振り返る良い機会になりました。(次女は偶然、第43代英国首相のGordon Brownが住んでいた階に入寮し、歴史のある図書館や大学のキャンパスでの大学生活を満喫し、先日帰国しました。)
期せずして、エジンバラへの旅は、次女と当時の自分を重ね合わせた10代の青春真っ只中の時と、50代に突入した現在の自分を想う旅であったと共に、これからの年月へのエネルギーを充電する旅になりました。この10日間の旅を終え帰国してから、毎日の生活が少し今までと違ってきました。新しく始めたサーキットトレーニングも、楽しみの一つになりました。これからも日々の生活と、「旅」することの楽しさを味わいつつ生活して行けたらと、願っています。                                    名古屋市 R.K.. 
2008年6月

思いがけないプレゼント!
 先日嬉しい電話があった。4年前、私が無償で1年間家庭教師として数学を教えていたS君からだった。S君は両親から虐待を受け、東京都運営の伊豆長岡にある施設から伊豆長岡中学に通っていた。その施設には幼稚園児から高校生までの児童20数名が寄宿していた。「先生、僕は高校を卒業して就職しました」と、すごく大人っぽい声が受話器から聞こえた。
彼は当時万引きの常習犯だったと、施設の先生から聞いていた。「なぜ、万引きをするのか?」と彼に聞いたら「自分でも分からない」と言っていた。「もうこれからはしないか?」と聞くと「絶対しない自信はない」と答えた。「絶対やめろ」と普通の大人なら叱る筈であるが、私は「これからの長い人生を送るためには、止めたほうがいいじゃないか?」と言っておいた。
彼とは日を決めて昼食を共にした。その時、彼は「先生はネパールの貧困児童を救う活動をしていると聞いていたが、僕も協力したい」と言ってくれた。嬉しい申し出ではあるが、私は「協力金3万円を毎年負担しなければならないから、よく考えてからにしなさい」と答えておいた。彼は「僕も施設のお陰で教育も受けられ、今日がある。ネパールの子供たちにも教育を受ける援助をしたいので、よく考えてから決めます」と言ってくれた。
いつの日か、彼がネパールの貧困児童を学校に送ってくれる日を期待したい。                            三島市  福井 善徳

英語で遊ぼうね! 
 今年4月から三島市内の坂小学校で英語を教え始めました。坂小は「小規模特認校」で、生徒が通学地域の枠を超えて通学することができ、特色のある授業を実践する学校です。ALTという英語が母国語の先生の授業の他に、私と担任の先生とペアを組む授業が行われています。実際、小学生に英語を教えるというより、英語に親しんでもらう、興味を持ってもらうというのがテーマなので、中学校の英語学習とは全く違ったアプローチです。この段階で「英語なんて大嫌い!」になったら大変ですから、毎回手を変え品を変え、どうしたら生徒が喜ぶ授業になるか、考え出すのに一苦労。歌あり、ゲームあり、英語の先生というより「うたのおねえさん」ならぬ「英語のおばさん」といったところでしょうか。
 自分の下の息子がすでに中学3年生になり、ヒゲらしきものが生え始めた今、小学生のかわいいこと!みんな興味津々でこちらの言うことに耳を傾けてくれます。目はきらきら輝き、「自分を指してくれ!」と猛アピール。うん、うん、みんなが英語大好きになるように、英語のおばさん先生はガンバルぞ。新しい英語ゲームや英語の歌を探すから、また、いっしょに英語で遊ぼうね!
                         三島市 H.O.

2008年5月

アメリカを訪問して /  A drop in the ocean
3月中旬、わずか一週間でしたが、語学留学にカリフォルニアに行ってまいりました。何度か訪れている地でしたが、やはりホームステイと言うことで観光とは違った視線での滞在となりました。 ホストは明るくやさしい老夫婦。思い出深いのは御主人の病院での通訳ボランティア(英語⇔スペイン語)活動を労うお医者さま及び教会主催のディナー(evening of tribute) に同席させていただいたことです。年に一度のご招待との事ですが、本当に多くの方が奉仕に当たっていることを知りました。また花と風船で彩られた中、誰もが微笑みと共に私をも迎え入れて下さったことに改めてアメリカの懐の深さを感じました。
週末ナパへのバスツアーに参加した際、隣席のコロンビアからの三人組さんも一人の私に何度暖かい笑み、そしてハグを下さったでしょう。南米から多くの方が働きに来ていますが、日本人の中 いわゆる3Kの仕事に赴き、慣れぬ地での気苦労は如何ほどでしょう。帰りの車中、思いを馳せずにいられませんでした・・・。
“Imagine” 授業最終日、この歌が教材として使われました。クラスは日、韓、チェコ、独等 13名で編成されていましたが、半分は学歴社会が過熱する韓国からの大学生。留学目的は一様に「一流企業に入り、よい暮らしをするため。」との事。皆明るく勉強熱心でとてもお洒落。でもステイメイトの韓国人のコーリーの口から何度日本政府(日本人)に対する hate の言葉を聞いたでしょう。明るく打ち解けて話していたつもりでも、やはり戦争責任、靖国問題は立ちはだかる壁のよう。自国の歴史を負の部分も含め正しく見つめる、その上で他国を理解し認めようとする心の大切さを感じました。
GIAの皆様のように社会に目を向け、これからは実践に移していきたいと思っております。
Imagine all the people sharing all the world・・・ 教室で皆で聞いたジョンの歌声を胸に。
大海の一滴として。                 沼津市 H.N.

              ちょっと幸せな気分です
     ・・・お茶の袋物と押し花の「二人展」を開催して・・・
3月号のGIAメールに載せていただいた「二人展」は、おかげさまで、盛況のうちに終わることができ、本当に有難うございました。
 最初にギャラリ-から「二人展」のお話があったときは「面倒くさいな」と、二の足を踏んでいましたが、周りの方々からのご協力で何とか開催することができました。
 開催中にはいろいろな方からアドバイスや励ましのお言葉を戴きました。通りすがりの若い人たちが、古い布や結びに興味をもってくれたこと、新聞の催し欄で見たからとわざわざ見に来てくださった方々、
「美術館以外でこのようなものは見たことがない」などと言ってくださる方々なだなど・・・
それらすべてに感謝して、今はとても幸せな気持ちで一杯です。開催させてもらって本当によかったと思っています。                                           三島市 T.T,

2008年4月

              節水のすすめ
 2月の終わりに中国の大連に行く機会に恵まれました。仙台ほどの緯度だと聞き、厚いコートを着込んで降り立った大連は思いのほか暖かく拍子抜けでした。しかし、デパートや商店の入り口に寒さ避けの綿入れ布団のような暖簾がかかっているところをみると、やはり相当に冷え込むのでしょう。MIRAフェアーで出会った女性が「その布団、とても重たく感じませんでしたか。もう少し軽いものにしてくれれば良いのにと私たち現地に住む人でも思いますよ」と言っていました。
 ところで、ホテル住まいではわからなかったのですが、大連の水事情は楽ではなさそうです。見渡すところ、近くにさほど高い山も無く、また悪いことに豊かな水を運ぶ川がありません。水は遠方からパイプで運ばれ、いきおい水事情は厳しく、集合住宅に住む人々は一定の使用量を超えると超過料金を支払うそうです。また、学生の住む寮では、顔を洗った水をトイレに流すなど水は大切に使いまわしているとか。お風呂好きの日本人は、さぞ大変なことでしょう。
 別名、公園都市とも称される大連の街の緑を保つのも“痛し痒し”といったところでしょうか!  一昔前は「水と安全はタダ」といわれた日本に住む我々です。もっともっと水の有り難さを感じ、今以上の節水につとめてみませんか? それが、湧水の街・三島に住む我々が伝えていかなければならないメッセージのような気がします。         三島市 K.O.

             潔く、シャキっと!
 東京へ引っ越すことになりました。夫の実家近くに住むためです。義母に先立たれた義父の所へと往復していた我が家のこの5年間、将来の家について考えることが、限りなくありました。こっちかあっちか、はたまた違うあっちか?と、人生はつねに選択の連続です。家族と話しながらも、私の場合特に迷いだすと、まるで迷路に入り込んだように、気持ちがガタガタになってしまいます。その迷いのひとつが、夫婦そろって「三島を離れたくない」ことでした。三島に住んだ22年間で広がった人との出会い。私にとってそのスタート、大きな基になったのがGIAの活動です。たくさんの人たちとつながり、学んできたことは数えきれないほどです。
 決められない将来に対して、ある一つの言葉がいつも頭にありました。女性解放運動の草分け的存在の小西綾さんいわく、「終の棲家という言葉は嫌い。ずっと現役で精一杯何かをやっている毎日の連続の中でバタっとおしまいになる日が来るだけ」。うろ覚えですが、そんな意味の言葉を残して「友だち村」で99年の生涯を閉じたようです。
 私も絶対的な将来という考えなど捨てて、「今」は東京へ行こう。先のことは分からないけれど、三島にもまだまだ縁をつなげながら。そう考えることで、ようやく胸のつかえが降り、迷路から抜け出たようです。決めたからには、環境に添いつつ「今」を潔くシャキっと生きる女性を目指したいな~。そう、小西さんのように、GIAの輝く皆さんのように「潔く、シャキっと!」です。これまでの出会いに心から感謝しつつ、4月からはGIAの東京在住会員として、まだまだ末永くよろしくお願いいたします。                          東京都 T.O. 

2008年3月

           ~旅立ちのとき~
 春はさまざまな場面で旅立ちのときを迎える。親戚のように親しくしている家族の一人娘が結婚することになった。しかし、娘は結婚したい人がいることを、名古屋へ単身赴任中の父親へはなかなか言い出せないでいた。母親と娘でおおよその結婚式の日取りを決め、相手方の親にも会うというところまで来て、娘はやっと許可をもらいに名古屋まで報告に行ったらしい。そこで、父親が出した条件はただ一つ、「斎藤のオバちゃんに1カ月間料理を習うこと」。ああ、なんと嬉しいことを・・・・。卒業を控えて年末を忙しく過ごす彼女に1か月の料理見習いの時間は無い。そこで私は、今年の正月のおせち料理をできるだけ彼女と一緒に手づくりで作ることにした。頑張って完成したおせち料理は2家族で味わい独身最後の正月を祝った。3月15日その娘が嫁いでいく。
 私たちには子供がいないが、嬉しいことに私たちを「お父さん、お母さん」と呼んでくれる、友人、知人の子供たちがたくさんいる。親たちが子供のいない私たちをそう呼ぶように仕向けてくれて、そう呼ばれるようになった。中には十数年前の南仏ツアーで出会った2人の女性たちも混じっている。その内の一人から、今年古稀を迎えた私たちを旅行に招待してくれると年賀状が届いた。とっても幸せな新年のスタートになった。                                               三島市 A.S. 

     ~・~・南イタリア・プーリアの旅・~・~
 昨年11月に、スローフード、スローライフの旅に参加しました。きっかけは御殿場の友人とふたりで昼にワイン、チーズなどで食事をしながら、“イタリアの食の旅”の話を聞いて・・・でした。参加者13名、コーディネーター2名の計15名でしたが、その中でイタリア語を勉強している方が多くて驚きました。
 プーリアはアドリア海側に面した水はけの良いカルスト地形と温暖な気候がオリーブ栽培に適し、5000万本の木があってイタリアのオリーブオイルの50%近くはここで生産されているとのことです。
 旅のはじめはサンゼヴェロでオリーブ畑、オイルの搾油所を訪ねました。収穫は11月からなのでそれに合わせて旅の日程は組まれました。道の両側に続くオリーブ畑の間には葡萄の木があり、それはフランスの葡萄畑とは違った作り方でした。お昼は“マンマの味”のレストランにて地場産のシーフード、野菜、手打ちのパスタにワイン、チーズでたっぷり4時間かけてワイワイ、ガヤガヤと楽しく食事をしました。
 そして夕方6時ごろには3人の音楽家がフランスのシャンパンの作り方で始めたワイナリーでスプマンテを頂き、夕食後夜12時近くにパン工房を見学という旅の初めから食べて、飲んでの一日でした。チーズ工場ではモッツアレラ、リコッタ、カッチョカヴァッロを味わい、アンドレアではワイナリー、オイル博物館、世界遺産「カステル・デル・モンテ」(※皇帝フェデリーコ二世の八角形の城 )を見学し、旅の最終地バーリでは旧市街地に建つロマネスク様式サン・ニコラ教会(サンタ・クロースの聖遺物を祀る)を見学した後近くのレストランでお別れパーティーをして旅は終わりました。                               沼津市 E.A.

2008年2月

新年の信念

 11日快晴の朝7時ジョギング開始、みごとな富士山を目に、川のせせらぎに耳を楽しませながら快走。あれーいつもと違う堤防の景色、わくわくどきどきしている(ように見える)カップルや家族。初日の出を待っていることに気づき私も参加。鷹ノ巣山~玄岳あたりの徐々に明るさを増す稜線を凝視、視線はそのまま、待つ間手振り運動。オレンジ色の光が天地人を照らし出す瞬間胸の鼓動。写真をとる人、手を合わせる人、頭をさげる人とそれぞれの思い。大きな明るく暖かい太陽に伴走されながらジョギング再開。
 今年は365日毎日走ると宣言。その心体をもって鄙事多能、凡事徹底。2740mを365日で100000m。走行距離に特別な意味は無い。走ることなら出来る。大切なのは毎日と言うこと。禅宗で、余念を交えずひたすら坐禅をすることを、只管打座それに倣って只管緩走。習慣化した只管を、生活全般に敷衍。只管清掃、只管朗読。その先に「鄙凡」が。
 三島市 T.W.

招待旅行の裏話
「タダより怖いものはない」を地でいく最近のお話。夫とよく行く焼肉屋で日帰りバス旅行が当る申し込葉書をもらった。期待しないで気軽に出すと、2週間後になんと当選の知らせが届き、「鎌倉の由緒ある神社初詣と港町横浜散策に中華コースランチ付き」ご招待とあった。同伴家族は一人一万円と言うので夫も参加することにしたが、参加日が日曜なので休日加算金で約一万三千円の支払い。これではたとえ一人分がタダでも2人分に匹敵しそうな金額と苦笑した。出発後、神社1時間、昼食時間も含む横浜散策2時間と、名所滞在時間が割り振られ、中華ランチもまあまあ美味しくいただき、問題はその後。「帰りに宝石工房に寄りますが滞在時間は1時間半です。」と長い。ずらりと並んだ女性ににこやかに迎えられ、まるでワイン工場見学のように次から次へと宝石の製作工程を案内され最後は宝石展示販売場に到着。店員付ききりの接客に、買わずに帰るのは至難の業。やっとの事でトイレに避難してなんとか逃れたのがタダ旅行の結末だった。
三島市 T.U.

2008年1月

お茶と着物と母と
若い頃、熱心に習っていたお茶を、近くに良い先生が見つかったことで再開した。床の間に掛けられたお軸と茶花の間に流れる清澄な空気が大好きである。先日のお軸は「聴雨寒更盡開門落葉多」だった。この季節、雨音を聞いてさらに寒さがつのり、門を開けてみればたくさんの落葉だったということ。花入れは信楽の「うづくまる」。なんと日本人は季節の移ろいを敏感に感じとり、歌に書に、茶器やお菓子に取り入れ、愛でてきたことであろうか。
 ところで先生が「タンスに眠っているウールの着物でもなんでも良いから、あったら着ていらっしゃい」と言う。虫干しを兼ねてあれこれひっぱりだしてみる。シミがたくさん出て捨ててしまったものもあるが、結婚の時に母が呉服屋さんに頼んだり、自分で縫って持たせてくれた着物も何枚かある。結婚したのが昭和39年1月、姉が同じ年の4月だった。東京オリンピックの年である。スイッチ一つでお風呂が沸くというような便利な時代ではなかった。弟たちもいて家事に一日追われる中での縫い物は夜なべ仕事、しかも二人分、母はどんなに大変だったことだろうかと、急に胸につくものがあった。
その母は今96歳、時々意識もうすれ、最後のときを迎えようとしている。先日母を見舞った際、感謝の気持ちがふつふつとわいてきた。母の生きている内にそうした気持ちになれてよかったと思う。

(伊豆の国市 H.Y.

四万十川の清流
先月のGIAメールに同封されたお知らせのチラシ「自然派ママ達の座談会・特別講演会」の中に、「こんこんと水が湧き出る森が消える時、全ての産業、都市が消える・・・」とのメッセージがありました。
先日四国の祖谷峡や、ダムのない最後の清流と言われる四万十川を訪ね、森から湧き出る澄みきったエメラルド色の水が悠然と流れるのを見た時、正にそう思い、この自然を次世代に残すのは私たちの責務だと痛感したのです。四万十川は相当深いところでも水底の石や多くの魚が心地よさそうに泳いでいるのがはっきりと見える静かな流れですが、いったん豪雨になると橋が隠れてしまう程にまで水があふれるため沈下橋というのだそうです。川の恵みを受けている土地の人々も、この時ばかりは自然の脅威を感じ、自然の怖さを知るのも大きな教訓だと言っていました。
私達の命を支えている森や川に目を向け若い人たちがこうした運動に熱心に取り組んでいるのは頼もしい限り・・・是非応援したいですね。                     (三島市 H.K.

2007年12月

憧れの森下洋子さんを間近に
 今年の夏,沼津市民文化センターで松山バレエ団の全編ではないのですが森下洋子さん主演の「白鳥の湖」を観る機会がありました。何年か前に観たテレビ番組がきっかけでクラッシクバレエに興味を持つようになり、自分も出来たらさぞかし美容と健康に良いかな?と思い憧れつつも自分の現実の体型と年齢を考えると、我々の年齢クラスも有るようですが勇気が出なかったものです。
 しかし森下洋子さんのバレエは必ず観たいと何年も思っていたところ今回この機会に恵まれました。繊細でしなやかな森下洋子さんのバレエを心ゆくまで観賞することができ、又、座席が前より3番目だったこともあり舞台一面に現れるバレエリーナたちの舞いもさる事ながら、衣装もはっきり見えその豪華さは見事なものでした。但ひとつ、この豪華なプログラムに文化センターの舞台が少々狭いかな?とも感じましたが、次回もやはり松山バレエ団で「くるみ割り人形」を観る機会があればいいな・・と思っています。                              伊豆市 M.S.

         冬季限定・我が家のプチプチ・エコカーテン
沼津在住の頃は真冬のどんな寒い日でも部屋の中にいて、吐く息が白く見えるという経験がなかった。大月の冬はとても寒い。我が家の窓はペアガラスだし、壁には断熱材を使用しているのでそんなに寒いことはないだろうと思っていた。引っ越した最初の冬、その日はとても寒い夜だった。暖房をしていなかった2階の寝室に入ったとたんに吐く息が白く見える。ベッドに入って、しばらくすると鼻が痛くなってきた。やむを得ずその夜は頭からすっぽりふとんを被って休むことにした。当然のことながら、翌朝、窓はガチガチに凍っていた。エアコンを使用すれば問題は解決するのだが、ホームセンターにあるプチプチを買って、カーテン+プチプチカーテンにしようと思いついた。早速、ホームセンターに行き、窓ガラス用の貼付式プチプチ断熱材とツッパリ棒、透明のガムテープを購入した。とにかく外気を遮断しようと思い、プチプチは窓枠より、横は2㎝、下側は窓枠の下より20㎝位長くなるようにした。真ん中は窓の開閉が出来るようにと考え、左右を10~15㎝くらい重なる位にするとほとんどカットせずに済む。カーテンを作る要領で、布地ならミシンで縫うところだが、プチプチは簡単に透明ガムテープで一気に貼り付けてしまうと終了だ。ツッパリ棒を窓枠の長さに調整する。その前に、ツッパリ棒に入れた時重なる部分の片方に切り込みを入れる。これで出来上がり。プチプチカーテンを引いた途端に、あれ程冷たかった部屋の空気がふわ~とし、結露の心配もなく、寝室に暖房器具不要となった。これ以降、知り合いから「部屋が寒くてしょうがない」なんて言葉を聞くたびにプチプチカーテンの作り方を図入りで説明し、お勧めしている。
春になり、暖かくなったら、プチプチカーテンをはずし、綺麗に拭いて押入れにしまっておく。簡単に作れるし、取り外しができ、暖かくて暖房代の節約、空気が汚れない、プチプチカーテン、これが我が家のプチエコです。                   山梨県 F.S.

2007年11月

           GIAメールがきっかけで英語教員免許状取得
英語が得意でなかった私が英語好きになり、いろんな国際交流活動してきたのは全て1992年にGIA英会話サロンに入ったことに始まります。もともとコツコツ勉強派ではないので、他にもいろんな英語サークル(時事英語の会、英字新聞を読む会、原書購読の会、通訳ボランティアの会など)を作りながら英語勉強を続けて来ました。そんな流れの中で一つの契機になったのは、GIAメールに載った会員お便り「小学校の教員免許を取りました」(修善寺Sさん)でした。
「そうだ、英語を勉強した一つの証として私も教員免許を取ってみよう、子育ても経験した者だからこそ教育に違った取り組みができるかも」と挑戦を決めたものの、そこからの道は大変でした。卒業生だから優遇があるかも(甘かった!)2003年に入り直したのは母校の通信教育部の教職課程科目等履修生コース。母校の通信教育が厳しくて有名なのを後から身を持って知ることとなりました。基本的に通信教育はレポート提出とテストの繰り返しですが、レポートは何度「不合格」で返されたことでしょう。苦労したのは英語関係より教育学系科目で、多くの文献に当たり仕上げても「書き直し」。同じ科目で3回返されたこともあり、返却されたレポートを見るのもイヤで何ヶ月も放っておいたこともありました。
そんな中で励みになったのはスクーリングでした。真夏の東京通い、横浜通いでしたがやはり教授の顔を見て質問ができて、仲間ができて、大変でしたが楽しいものでした。スクーリングで頂いた単位が弾みとなりました。昨年1年間は東京まで通い、我が子と同じ年齢の現役学生と一緒に通常の大学の授業を受け、時には若い子たちとディベートをすることもありました。
三島の中学校での「教育実習」3週間(現場の先生より年上)も、老人介護施設での「介護体験」5日間(最近はこれが義務付けられています)なども得がたい貴重な体験でした。
丸4年以上かかってしまいましたが、このたびやっと中学校と高校の教員免許状を取得し感慨ひとしおです。この免許をどのように使うか、あるいは使わないかはまだ分かりませんが、教育問題は皆が総評論家でそれぞれの意見を持っている中、私なりのできる形で社会貢献ができたら、と思っています。                三島市 Y.S.

2007年10月

       高齢社会をよくする女性の会 全国大会に参加して
~・去る9月8日と9日に静岡市のグランシップで開かれたこの大会に出席した感想をひとこと。・~7つある分科会の中で私が参加したのは「生命をささえ 地域をつなぐ食生活」という会でした。
 まず、グローバルの水野幾子さんが、高齢者を対象に行った食生活に関するアンケートの結果を報告されました。周到な準備をされ、スクリーンを使ってわかりやすく発表されました。
 パネリストとしてお話された生活評論家の吉沢久子さんのお話は大変興味深いものでした。「私は来年1月で90歳になります。」と言われたとき会場は驚きの声と大きな拍手がわきました。お顔もお声も本当に若々しくとてもそんなご高齢には見えませんでしたから。お元気の秘訣、それは栄養士でもある先生はいつも食事の栄養バランスを考えてこられたそうです。そして今まで一度も病気をしたことがないそうで、これも私たちにとっては驚きでした。 23年前にご主人を亡くされてからは、お一人で誰にも邪魔されずに(笑い)自由で、楽しい生活、買い物をはじめ日常のことはほとんどご自分でされているそうです。そして今も執筆や講演活動でお忙しい日々を過ごしておられます。
 また、参加者の中に北海道から来た83歳の女性がいました。70歳で音楽関係のお仕事をやめてからは、ボランティアやいろいろな社会活動をして、以前よりもいそがしく過ごしておられるそうです。他にも何人もの方たちが、どんどん手をあげて話し、活発な話し合いが行われました。80歳を過ぎてなお元気はつらつな方たちとお会いし、高齢社会も悪くない、元気でいつまでも社会のために役立って行きたいなと、明るい気持ちにさせてくれた大会でした。                      長泉町 M.E.

      GIA会員@NETWORK についてのお願い!
 会員ネットワークは、普段なかなかお会いできない会員の皆様の近況などをご本人に書いていただき紹介するもので、毎月のGIAメールとともに会員の皆様に送付されています。会員同士の情報を知ることができて楽しみと好評なので、ぜひよろしくお願いします。(順番に原稿依頼をさせていただきますが、いつでもお受けします)
★ 内 容・・・例えば以下のような事柄です
・私ってこんな人(自己紹介)          ・いい本みつけました(本の紹介)
・最近はまっています(趣味・健康法)      ・うちのペットを紹介します(ペットとの生活)
・家庭でもいろいろあります(家族紹介など)   ・旅先でのエピソード(旅行記)

・おいしいからつくってみてね(料理レシピ)   ・日常生活あんなこと(近況報告・日々雑感など)
★字数・・・400字前後ですが本やお店の紹介記事などは字数が少なくても良いです。
Eメールがある方はメールで送ってください。

2007年9月

すっとんきょうな声を挙げたのは,他ならぬこの私であった。 お爺ちゃんの膝に抱かれて、皺の多いおじちゃん「おじいちゃん、何歳?」 「へー、70.僕の両方の手を広げて7回だね」 
の手を不思議そうに撫で回していた私。 遠い遠い昔の記憶である。
 今、私はその70を遥かに越えてしまった。 しかし、長く生きてきたために、色んな経験をさせて頂いた。 どれをとっても入門以外の何ものでもないが、その一つ一つの世界でいろんな方にお会いする事が出来た。 俳句、短歌、茶道。 外国語に色気をだしたおかげでいろんな国の人たちとも、お付き合いできた。 国連に短い期間ではあったが、職員として働くこともできた、その為もあり、天皇、皇后両陛下の前に立つこともできた。 茶道の世界でも、想い出深い経験は山ほどある。 あの世に持って行くには、荷が重過ぎるようだ。  グローバル文化交流協会に何も協力できてないことが、ただ一つの心残りかな?  人の為、世のためにもう一つやって見るかな。 三島市 H.T.

「苦心の庭造り、5年目・・・」

今年は、庭のクリスマスローズの数が40株を超えた。その上、こぼれ種から双葉が出てさらに増えそうだ。ギボシも15種近く揃った。最近は庭の木々、花々を眺めているととても心が安らぐ。大月市に転居してからそろそろ5年が過ぎようとしている。

こちらに引っ越した当時、わが家の庭は、本当にヒドイものだった。それもその筈、15年間空き家にしたままロクな手入れもしていなかった上に、留守の間はミント、蕗、茗荷を植えて草除けにしていた。よって風情など全く感じられない庭だった。私の自論だが「庭の景色もご馳走のうち」と勝手に思っている。一念発起し、庭木のバランスを見ながら移植する木を決定し、木に養生をしておき、翌春に植え替えをした。この頃はすっかり造園屋さん気分。暇があると花壇の土造りをして、花屋さんやホームセンターを見て回り、好きな種類の花苗を探しては植え込んだ。お蔭で家族からホームセンター病と言うありがたくない病名を付けられてしまった。ガーデニングの本もたくさん買い込んだ。しかし私の場合は趣味のガーデニングということばの響きほど優雅なものでなく、庭造りに必死なおばさんと言った方が似合っていた。春先から日が長くなると、朝明るくなれば庭に出て草むしりをし、次に花木に水遣り。あっという間に2~3時間が経ってしまう。日差しの強い季節は涼しいうちに作業して~なんて言うと聞こえは良いが、しっかり昼寝をして鋭気を養う。こんなグータラぶりはいつまでも健在だ。
庭に手を入れ始めた頃、友人から「庭造りは落ち着くまでに5年はかかるよ」と言われた。四季を通して楽しめる庭を目指して取り組んで来た庭造り、今年で丁度5年だ。友人の言う通りやっと落ち着いてきた。今、庭を見回すと、「もうこれ以上、植える場所なんてありませんよ!」庭から断られそうだ。  大月市 H.S.                       

2007年8月

                 ~グローバルの皆さんに出会えて!~  
大阪から主人の転勤で沼津に越してきてもう13年目になります。当時、小学校3年生と幼稚園の年中組だった娘たちは、大学3年と高校2年になり、主人は逆に大阪に単身赴任中です。私はというと、沼津市で輸入雑貨・衣料「南来流(なんくる)」と、沖縄茶屋「なんくる」というお店をやり、おまけに琉球舞踊の教室もやるようになり、日々いそがしく動き回っています。
実はこれも、グローバル文化交流協会(以下GIA)との出会い、インド出身のシュクリシュナ石井さん(GIA会員)と出会ったお陰なのです。「ワンハート孔雀」(近隣に住む外国人たちが集まり自国の文化を正しく紹介するグループ)での活動を通して、自分たちの国の文化を紹介したいと頑張っている外国のお友達に刺激され、沖縄の料理と踊りを紹介するようになったのが始まりです。GIAでは沖縄料理教室も開催させていただきました。その時は沖縄の両親に頼んで材料を送ってもらいました。随分前のようで懐かしいです。今では沖縄の業者、民芸品、食材専門店など含めて12社と取引をしています。今では、沖縄の物なら、なんでも手に入るようになりました。
私が沖縄料理のお店をオープンしたのには、もう1つ大きな理由があります。それは沖縄がブームになるにつれあちこちで「なんちゃって沖縄料理」が出されるようになったからです。しかし、いろいろな所へ食べに行きましたが、どれもガッカリするものばかりでした。「これでは沖縄料理を誤解されてしまう」と思ったのです。私がこだわったのは「本物!」でした。直接沖縄から材料を取り寄せ、沖縄で生まれ育った本物の沖縄人(うちなんちゅ)の私が作り、沖縄の器、壺屋(つぼや)焼きや読谷山(よみたんざん)焼き、琉球ガラスの器で食べてもらってこそ本物の沖縄の味なのだと思い、オープンして3年、多くの方に喜んでもらって本当にお店を始めてよかったと実感しています。
琉球舞踊は最初、上の娘と二人で踊っていましたが、今では教室で教えるようになり、10年目になります。現在、沼津教室で7人、磐田教室で6人の生徒がいます。静岡県内のいろいろなイベントで踊る機会も増えました。これもワンハート孔雀で踊り、FMボイスQのパーソナリティー佐藤孝子さん(GIA会員)の番組で琉球舞踊の話をさせいただいたことがきっかけになったように思います。
こうして静岡県に来て沖縄の文化のすばらしさを多くの方に紹介できるのもGIAとの出会いがあったからだと感謝しています。それと同時に忙しくなりGIAのイベントに顔を出す機会が減り申し訳なく思っています。          沼津市   岸本美代子(M.K)
「なんくる」055-925-5511 URL http://www.nankuru-i.com/
                   ~・~迷い道~・~
 友人から「裾野市民文化会館での千住真理子のコンサートチケットが一枚あるの」と誘われ「ええ、是非!」と。6月30日5時30分開演。地図をみながら「どのくらいかかるかしら?」「山道を行けば30~40分」と夫。「でも山道は心配だわ。日大通りを行ったほうが安心」「信号が多いし、しかも遠回り。山道は一本道、迷う筈が無い」と夫。「じゃあ山道で。大分早いけど」と4時10分前に家を出発。ゴリラのゴルフ場を過ぎ裾野の茶畑信号を何の疑いも無く右折、これが間違いの始まり。・・・土砂降りの雨の中再び信号まで戻りやっと裾野の市街へ。旧246に入りこれで文化会館へ辿り着ける筈・・が、なかなか見当たらない。心配になり大きなスーパーの駐車場の人に聞くと「地元の者でないので良くわからないが、この先は大きな建物はないので街中の方でしょう」と云われ、来た道を戻るが見当たらず。次に美容院に飛び込んで聞く。「来た道を戻り云々・・」と教えられ辿り着いたところは保健会館。途方にくれ会館の人に聞くと「その信号を左折するとすぐ左に見えます」・・・何のことは無い文化会館は例のスーパーの少し先だったのだ。行きつ戻りつで一時間半。会場に辿り着いたのは開演10分前。友人も心配して待っていてくれた。「あ~疲れた!」
 コンサートが始まり千住真理子さんのストラディバリが奏でる美しいメロディーも帰りの道のことが頭をよぎり上の空。演奏の合間、友人に帰り道のことを話すと判るところまで案内してくれるとの事。やっとコンサートを楽しむ事ができた。大好きなショパンのノクターン、ブラームスのハンガリー舞曲第5番、生の演奏を堪能した。帰り道は見慣れた日大通りを、ハンガリー舞曲の鼻歌で無事、家路へと辿り着いた。
                                   三島市  川崎 徳子(T・K)
           ~・~20年ぶりに訪れた思い出の地・・・ミネソタ~・~
2度目の?成人式を迎えた一昨年、この節目に何か足跡を残したい!・・・思い立ったが吉日、娘2人を連れアメリカ・ミネソタ州の小さな町、ホーレイを訪れた。学生時代(20歳頃)、ホームステイでお世話になったネルソン夫妻と20年ぶりの再会。お2人の懐かしい笑顔を見た瞬間、思わず涙があふれた。 
ミネソタ州はカナダ国境、スペリオル湖の西側に位置し全米で最も住んでみたい州に選ばれている。祖先をノルウエー、スウエーデンに持ち北欧色の残る文化や風習が大切にされている。広大なプレーリーと15000以上もある湖は、私をこの地のリピーターにした。360度広がる大草原と地平線。真っ青な空を泳ぎわたる雲を眺めていると、爪の先まで開放されて空へと吸い込まれていくようだった。  
初めて異国の地を踏んだ娘たちは、あたかも“どこでもドア”を開けたドラエモンのようだった。目の前の広大なパノラマは二人の瞳にはどう映ったのだろうか。 この果てしないミネソタの大地とネルソン夫妻の寛大なホスピタリティーを娘達とまるごと共有できたこと=「永久保存版」!!となった。
 現実はまだまだ厚~い言葉の壁をいつの日か乗り越えて、ミネソタを200%満喫したい!! そう願ってグローバル英語サロンに通うこのごろです。
                                      三島市     T・K
2007年7月
                       ~~旅情あふれる船の旅~~
 船旅に魅せられて、ライン河下りの起点スイスのバーセルから乗船、オランダのアーネム迄を十日間掛けて河の流れに乗ってゆったり過ごした日々は格別 なものでした。未だ多少寒くはありましたが、デッキで風を受けながら時の流れを忘れ、巡り来る自然のままの景色を眺め、時にはビールやワインを飲みながらのおしゃべり、読書等など。運河を通 過するたびに大きく水位が下がり、階段を一段ずつ降りるように河口に向け航行して行くその体験は好奇心を駆り立てられるものでした。
  部屋の窓から眺めていた小さな町にだんだんと近づいて上陸、アルザス地方の村を散策、ゆったりした生活のリズムは、ここでも感じました。その夜は船長主催の歓迎パーティーと夕食会、シャンパンで始まりお料理に舌鼓し、会話で盛り上がり楽しい旅を予感しつつ船室に戻りました。ストラスブールでは、コウノトリの巣が街路樹の天辺に幾つも有るのを見、その大きさを実感、街の中を飛びかっているその姿は、信じ難くも感動しました!
 コブレンツからモーゼル河に入ると情景は一変、河岸に立ち並ぶ家並みの美しさは風景画を見るような世界でした。そこに住む人々の生活の一部をかいま見る事も出来、サイクリングやオートキャンプ場でくつろぐ姿、そして互いに手を振り会って通 り過ぎて行く船旅の楽しさを味わいました。何度か旅をしましたが、旅情を味わった初めての思いで深い旅でした。                      三島市   H.H.
~~「ハチドリ計画」私にできること~~
  先日の朝日新聞に「買物袋持参」について、枝廣淳子さんのコメントが大きな写 真入りで載っていました。枝廣さんは、2年前のGIA20周年行事で、熱い講演をしてくださった方で、益々の活躍ぶりを見聞きする昨今です。
 その新聞に題された「ハチドリ計画」は、南米に伝わるハチドリの話を例に取ったもの。「あるとき森が燃えていました。森の生きものたちは、われ先にと逃げていきました。でもあるハチドリだけは、水のしずくを一滴ずつ運んで、火の上に落としています。そんなことをして何になるんだ、とみんなに笑われて、ハチドリは『私は私にできることをしているの』と答えました。」
 地球温暖化に対して、「私にできること」のひとつずつが、「ハチドリ計画」だとしたら、私自身は、買い物袋持参などに加え、最近あることを加えたのです。それは、雨の日にスーパーなどの入り口に置かれたビニールの傘袋を、再利用することです。それを教えてくれたのは娘でした。「私はいつも人の使ったのを使ってる。新しいのはもったいないし、第一あれ、どっちが上か下か開きにくいじゃない!」そうか!1度だけだれかが傘を入れた袋がくちゃくちゃっと捨ててある。それをもう1度使うことぐらい、今までどうして気付かなかったのか。以来、快適です。土砂降りの日にあのぴっしりとした真新しい袋を開くイライラがなくなって・・。かつ、それが「ハチドリの一滴」になるなら。        三島市 T.O.

2007年6月

        初体験、トラブル続きの海外旅行     水野幾子
 思いがけないラッキーチャンスと、戸惑いながらも飛びついてしまったスペイン、ポルトガル8日間の観光旅行。好天のなか、中世のひなびた町並みを始め、数々の世界遺産との遭遇は、ただ感動の一言に尽きた。重厚な建造物、内部に施された精巧な彫刻やモザイク、様々なタイル模様やステンドグラスなど、人間業かとその技術の高さに驚いた。宗教を介して人心を統一しようとしたのであろう先人たちの知恵とパワーがひしひしと感じられた。こんなに観光が楽しめたのに、実はトラブルにも悩まされた旅だった。  リスボンの空港に着いたのは夜の11時頃、ターンテーブルに乗ってくるはずの私たちのスーツケースは、ついに現れなかった。驚いた添乗員が英国のヒースロー空港に問い合わせたところ、すべて積み残しで明日の1便に積み込むとのこと。その晩は着替えの下着もパジャマもなく床に着いた。最近手荷物検査が厳しいので、化粧品など液体類はスーツケースに入れた人が多く、満足な洗顔も化粧もできず、次の朝は観光に出かけた。ホテルに戻ったが、届いているはずのスーツケースは10個だけだった。残り6個の中に私のも含まれていた。仲間の一人は薬が入っているので、それがなくては旅行が続けられないとも言い出した。兎に角、後は添乗員に任せ予定通 りファド(ポルトガルの民族音楽)付のレストランへ夕食に出かけた。日が長く8時半頃まで明るいので、夕食も遅く、終わったのが10時半ごろ。丁度そのとき添乗員から4個スーツケースが戻ったことが伝えられた。しかし、まだ2個足りない。「そんな馬鹿なことが」と私たち関係者は直接リスボン空港に行くことにした。タクシーを走らせ、ぎりぎりセーフで空港の荷物置き場のチェックを許可された。なんと残りの 2個もその中にあったのだ。一体これはどういうこと?何というルーズさ。ホテルに戻ったのは夜中の12時過ぎ、これでようやく全員のスーツケースが到着したのだった。  旅行最終日は、マドリッドからバルセロナまで新幹線で移動。昼時のバルセロナ駅は人数も少なく、エスカレーターに乗ったのは私達メンバーのみで私は最後尾だった。途中なんとなくバッグに触れられたような気がして振り返ると、大学生風の若い女性がいた。多分彼女がぶつかったのだろうと軽く考え、まさかスリとは思いもしなかった。レストランでチップを払うため財布を出そうとして、ないのに気づいた。ハンカチもなかった。新幹線の中では確かにあったのに。ユーロは小銭以外すべて使いきっていたので問題なかったが、カードが入っていた。急いで日本に電話し、カード会社に連絡をとってもらった。不 幸中の幸い、財布、ハンカチ以外に被害はなかったが、全く油断もすきもないと思った。こんな経験は添乗員やガイドさえも何回かあると聞いた。  無事帰国。成田ではスーツケースが出てくるものと信じていたのに、またもや英国で積み残し。全員の荷物は明日の便になるとのことだった。これまで10回以上の海外旅行経験の中、こんなトラブル続きは初めて。旅行社も往復同じミスがあったのは初めてと、深く陳謝した。トランジットにはくれぐれもご注意。2日分ほどの下着は手荷物に入れておくべき。治安の悪い国では「人を見たら泥棒と思え」くらいの心構えも必要かも・・・寂しいことですが・・・。やはり政治が貧しいということでしょうか? えっ、私がボケ?

2007年5月

                         エジプトへの旅
  2月にエジプトに行って来ました。ベストシーズンでしたが南のアブシンペルはとても暑くて、夏の暑さはどうなるのでしょうか。温度計は60度まで目盛があるそうです。観光に携わる人はみな片言であれ、上手であれ、数ヶ国語を話し、顔を見て使い分けているみたいですが、私達は時々ニーハオと言われ、私はコンニチワと返しました。
  エジプトのガイドのムハマドさんがいろいろ説明してくれました。イスラムにには五つの教えがあること。1.アラーを信じること 2.1日五回の礼拝 3.喜捨(豊かな人は貧しい人への施しをする)4.断食(ラマダーン)5.メッカ巡礼  彼は去年18日間かけて巡礼したとちょっと自慢そうに話していました。また必ず右手で食べる。トイレは左足で入り右足で出る。面 白いですね。エジプト人のサラリーは6万円位で、失業率も高く、結婚には沢山お金がかかるため貯めてからするので、女性は30~35才、男性は35~40才位 だそうですが、農家はお金はかからないそうです。砂糖キビは沢山取れ、甘党のエジプト人は日本の3倍の砂糖の消費量 だそうです。
  百聞は一見にしかず、で遺跡は想像以上でしたが、やはり人と少しでも会話でき、生活を見ることが出来たのが一番です。   三島市 S.U.
                 わが家のホタル
  今年の桜は満開になる直前寒さにふるえ、咲いたと思うと冷え、思い切り咲かずに散ってしまった。たぶん、佐保姫のご機嫌が斜めだったのでしょう。
  先日の4月8日の花祭りには、毎年本堂に置く花見堂の屋根を、桜、雪柳、れんぎよう、椿で一杯にし、お釈迦様の可愛い誕生仏に甘茶をかける慣わしですが、今年は桜、雪柳は散り、椿も残花で苦労しました。自然はまさに活きていることを実感。それでも日本の季節は確実に進み、あとひと月待つと、私が心待ちにしているわが家のホタルの登場です。
  思えば、約10年前の8月、三島を襲った豪雨で、箱根山に降った雨が土中を抜け、わが寺(玉 澤・妙法華寺)を鉄砲水のように襲い、境内は土で埋まり、自宅の裏の沢が地響きと共に杉の大木を巻き込み崩れました。小川も沢もすべて土砂に埋まり、大型トラックで土砂を何回運んだことでしょう。結果 、昔からそこに住んでいた100匹以上の源氏ボタルも茶花も全滅。思わず茫然と涙が止まりませんでした。自然が災害で壊れることはまさに一瞬でした。ようやくショックから立ち直り「環境を取り戻すため再びホタルを」と決意。
  塚田冷子さんの親切なご指導により、小川の復興から始め、幼虫の放流、餌になるカワニナを大量 に買い、川に流し、何年も努力を重ねました。他より頂いた成虫になったホタルは、いくら水のそばでも、ひと晩で1匹も残らず消えました。
  平成15年5月22日、来客を車まで送りに出た時、1匹ポツンとあかりが木の間に出現したときの嬉しさと感動は忘れません。その後、毎日数が増え、6月10日には80匹以上のホタルが乱舞、まさにホタルの楽園でした。雌ボタルは葉陰でじっとして光って、雄ボタルを呼びます。雄はその雌をめがけて飛び、2つの光が1つになり川岸に飛びながら降りていきます。寿命は1週間から10日。毎日「My 蛍」に声をかけるのが日課です。止まっていても手を叩いたり、呼ぶと必ず飛んできます。毎日、夕方になると天敵であるクモの巣を全部とり払い、カラカラのときは水道の水を流しホタルと共生。でも今年確実に現れるかは全くわかりません。今はたぶん、川底から土手を這い登り、やぶの下の土中に移動しているはずです。その時が来るのをわくわくして待っています。     
*寺奥の沢は浄土か蛍舞う  *葉陰より恋の明減 蛍の夜(自作 の俳句 2首)                        三島市 A.K.
2007年4月
十里木旧関所跡と三嶋暦師の館
裾野市の十里木にある関所跡へ行ってみた。標高900mということもあって、コブシの蕾はまだ硬く、吹く風も冷たい。十里木街道の道路脇にその場所はあって、「十里木旧関所跡」の石碑と説明板、石仏が忘れられたようにたたずんでいた。この場所に行ってみようと思ったのは、昨年、国の登録有形文化財に指定された「三嶋暦師の館」の建物があった場所だと聞いていたからである。その場所に立ち、「三嶋暦師の館」の建物をそこに置いてみると、いつもの見慣れた景色とは違って、目の前からせりあがる愛鷹山の山肌が玄関からも座敷からも見える。裃をつけたお役人達も毎日この景色を見ていたに違いないと、いっとき、江戸時代に戻された気分になった。関所跡にある説明板には建物のことは何も書いてない。1855(安政2)年に三島の今の場所に移築され、現存しているということを知ったら、きっと驚くだろうなと思いながら、そこを後にした。    
               三島市 K.N.
BERLINER MAUER
1989年11月に東西ドイツが統一され境界の壁が壊された4日後にベルリンを訪れた友人は「壁」をお土産に持ってきてくれました。その一片を見たときから私のベルリンへの思 いが始まり、昨秋黄葉したウンター・デン・リンデン通りに立つことができました。あのベルリンの壁跡は? 統一以前のベルリンの街はどんな位置に? かつて地図上では孤立 した島であった西ベルリンの人々の暮らしは?周辺の国々との交流は?と、気になる所。ガイドの説明では特別の列車や飛行機で西ドイツ(西欧)とをかなり自由に往来!? 物資 も西欧並みの物が入手!? とても不思議な感じがしました。現在のベルリン市内はいたるところで復興への工事が行われ、さすが美術館や音楽ホールなどの文化施設は国民性を 反映してキチンと整備されつつつありました。 東西分断の壁跡は一部イーストサイドギャラリーと名づけて残し、つらい分断の日々の記憶を留めるために壁跡ライン上に 「BERLINER MAUER 1961~1989」と記したタイルが埋め込んであります。私はブランデンブルグ門の前に立った時、あの解放の日々の熱気、歓喜を思い出しました。二度と戦争はしたくないとの思いと共に、、、、、。      三島市 M.S.
2007年3月
         若さの秘訣は姿勢を〈シャキット〉<思試四暫>と
先日新聞に姿勢の事が掲載されていたので、かいつまんでご紹介します。アンチエイジング(抗加齢)医学の世界に、「参勤交代」をもじって表現した「三筋後退」という言葉があるそうだ。加齢とともに腹、上腕、太ももの3箇所の筋肉が衰える現象で猫背になり、下腹とあごが前に出る老人の姿だ。こういう姿にならない為には「胸を張った姿勢」をする事が若々しさを演出するカギだという。 背筋を伸ばして胸を張り、あごは床と平行、下腹を引いてお尻をすぼめ、肩はいからせない。姿勢が良いと大きなお腹や肌のシミは視野に入らなくなるものと言う。姿勢を正すと体の中心部の体幹筋肉が鍛えられ、エネルギー代謝と血流も改善、健康度が増す。またリズムカルな深い呼吸を続けると、姿勢がシャンとし、まぶたや頬などの筋肉も引き締まり顔つきが若返ると言う。「姿勢と呼吸」は今若さ維持の重要なキーワードになっている。                   裾野市 K.Y.
                 ~父と三嶋大社~
はじめまして。昨年の夏からナタリア先生のスペイン語を受講しています。グローバル文化交流協会の存在を思いがけず知り、今ではナタリア先生、スペイ ン語のお仲間とともに楽しい時間を過ごしています。 富山から裾野へ越してきて10年になりますが、3年前に伯父からある話を聞き、三嶋大社が特別 な場所になりました。その話しとは昭和10年代、私の父が小学 生だった頃、親類が三島に住んでいたことがあり、一度家族で遊びに行ったというのです。その時に皆で三嶋大社へ行き、父はふざけて大社の池に落ちてし まったのです。普段無口な伯父さんは「あんたのお父さんはおかしな人だったよ」と言って父の3回忌の時、昔話をしてくれました。その伯父も翌年亡くな り、三嶋大社の昔話はもう聞くことができませんが、今では近くを通るたび父を思い出します。                                                裾野市 H.H.
2007年2月
                 アンニョンハセヨ!
平成18年11月に、本町タワーの4階で初めて開催された三島市のボランティアサークルの集まりの中で、国際文化交流を実践しているこちらのサークルの存在を知りました。現在、沼津を中心としたメンバーが多い青少年の健全育成を目指したYMCAの援助団体に所属していますが、地元三島市の団体にも参加してみたい思いがあり、いろいろと捜していたところでした。 仕事は県立高校の50歳代前半のひらの(平野)教員です。隣の長泉町で生まれ育ち、28年間三島市に住んでいますので、この地域のことはそれなりに理解しているつもりですが、地域の為にまた国際理解の為に、頭と体を使った活動をしたいという気持ちが年々強くなっています。海外にも何度か仕事(ホームステイ)あるいは個人旅行で出かけました。(残念ながらこの数年は家族の介護、看病で一度も海外に行けない状況にありましたが)特に好きな国、また行ってみたい国はイギリス、オーストラリアです。 「これから、同じ目的を持つ地元の皆さんと国際交流の活動をすることができれば、何か楽しみも増えて長生きができるかなと」思っています。平日は仕事がありまして自由な時間があまりありませんが、土曜日・日曜日を有効に使い、少しでもお役に立つことができればと思います。これからよろしくお願いいたします。        三島市 M.H.
                振り込め詐欺にあいかけた話
昨年の10月19日のことです。息子から電話があり携帯電話番号を変えたという。いつもより声が弱々しいが、しゃべりかたが息子そっくりでした。 その翌日また電話があり相談があるという。「昨日電話した時に言えなかったけれど、つきあっていた女と別 れ話がありもめているとき、相手が転び顔に怪我をさせた。相手の親が弁護士をたて慰謝料350万円請求された。慰謝料350万円で全部話しが終わるので、嫁にも言えず街金から350万円借りた。返済期限がきれており、今日決済を迫られている。男同士でお父さんに打ち明けた。今銀行にきている。すぐにお金を振り込んでほしい」。 「人生いろいろあるが350万円で解決するなら良かった。あまり落ち込まずに頑張れ」と励まして「相手の振り込み先に送金は危ないのでお前の口座に振り込む」と言ったら「直接銀行に振り込んで欲しい。街金の人と一緒にいるので振り込み確認しだい全額完済の書類をもらいすっきりして帰りたい」と言う。 声も話し方も息子と同じだし信用して銀行に振り込みに行こうとしたがもう一度確かめようと変更後の携帯に電話をし「振り込め詐欺の用心のためだがお母さんの名前をいってみなさい」といったら「多香」と答えた。「おばあちゃんの名前は」と聞いたら答えられなかった。次に「お前の弟の名前は」と聞いたらこれも答えられずに「そんなに信用できないならもういいよ。こんなに困っているのに助けてくれないならこの話はなかったことにしてほしい」と怒り出した。そこで「今からでもすぐに現金を持ってそちらへ行ってやる。明日でも良い」と言ったら電話がきれた。念のため携帯の前の電話番号にかけたら息子がでて携帯の番号も変えていないしそんな話しもないとのこと。三島警察署にすぐ電話をし、携帯番号と銀行口座を知らせた。 私の家内の名前までは調べてあったがおばあちゃんと弟の名前までは調べていなかったので嘘とわかった。また声がそっくりな奴が電話をかけてきたのにも驚いた。事前に息子の声を調べたのでしょうか。振り込め詐欺にひっかかる人を今までバカにしていたが一時すっかり信用して銀行に行きかけた自分が愚かでした。子供のことが心配の親ごころにつけこむ詐欺にくれぐれもご用心を。                                             三島市 福井善徳

2007年1月

         芸術、そして初めての個展
何年も前、私が働いていた小学校の美術室にこのような言葉が書かれていたことをはっきり覚えています。「すべての芸術家が特別 な種類の人間というわけではない、しかし、すべての人間は素晴らしい芸術家である」、これは真実です。私は今までかなり長い間、芸術に興味を持ち絵を描きたいと思っていましたが、実際描き始めたのはつい最近です。そして、今年11月三島市内において「Infinite Conscious-ness(無限の意識)」という題で初めての個展を開きました。絵を描くという過程こそが、私を探求の世界へ誘うものであり、興味深い体験です。自分の思考や感情を探ることで、自分自身の心と存在をよりよく理解できるだけでなく、私を取り巻く世の中をも深く理解できるのです。今回の個展に出品した抽象画の作品は私の人生、心理状態、抽象的概念、そして禅への関心を反映しています。作品はどれも最近6ヶ月間、特に大学の夏休み期間に、伊豆半島にある私の山荘で描かれたものです。もちろん、私の住む地域周辺の自然は絵画へのインスピレーションを与えてくれています。しかし、今までの私の人生におけるすべての経験が作品に表れていることも事実です。私がまさに今生きているという現実と一致する、偶発的なひらめきがそこにあるのです。        GIA英会話講師 R.M.
                  旅(至福の時)
11月初旬にクロアチアの旅に出かけ “アドリア海の真珠“と呼ばれるドゥブロブニクへ行ってきました。1991年の独立戦争の時、旧ユーゴスラビア連合軍の攻撃を受け、旧市街の70%以上が破壊されましたが、今ではすっかり復興し、美しい町並みを取り戻しています。数ヶ月前NHKの世界遺産の番組でドゥブロブニクを取り上げ、フルボエ・チカトさんという床屋さんが、戦争中の爆撃で全壊に近い被害を受けた店を何とか建て直して、近所の人たちが集まる場所にしたり、身寄りのない年寄りのために無料で散髪をしている様子を紹介していました。そこで彼に会ってみたいと思い、お店をそっと覗いてみました。 「テレビ番組で見たのですが・・・」と恐る恐る声をかけると、仕事中にも拘わらず「そうだ。そうだ」と笑顔で招き入れてくれました。壁に貼ってある取材時の写 真を自慢そうに見せたり、肩を抱きかかえるようにして一緒に写真をとってくれるなど、大歓迎してくれました。午後からは旧市街をぐるりと囲んでいる城壁の上を歩き、青い海とオレンジ色の屋根を見下ろしながら、満足感に浸ると共に、日本から離れこんな遠くに今自分がいることがとても不思議に思われました。                                         三島市 T.S.
                 チャレンジしたこと
今年私はいくつかのことにチャレンジしました。1つは、自分に似合う色を見つけたくてパーソナルカラーアナリストの勉強をしたこと、その中で分からない色のことを知りたくて、色彩 カラーの講座も受け2つの資格を取得しました。ここでは若い方たちと一緒に勉強できて、本当に楽しかったです。まだまだ始めたばかりですが、これからも自分に似合う色を着て、おしゃれにも関心を持ち続けたいと思っています。もう1つは、フラワーアレンジを習っていることです。この秋、娘が結婚しましたが、そのためにブーケ3つと髪飾り、ブートニア4つなど先生の力を借りて作り上げました。大変でしたが、娘も喜んでくれ、数年そのまま飾って楽しめるので、よい記念になりました。                 伊豆市 M.S.
2006年12月
       チャリティーコンサートによせて
GIAの皆様の何事にも熱心なのと、地域の事、地域の人々への関わりの熱い思いに触発されまして、今夏入会させていただきました。 ところで皆様の暮の音楽はどんなものですか、NHKの紅白、なにがなんでも第九とおっしゃる方、また今年はモーツアルトでしょうか。子供たちも学校を卒業し、所属していた吹奏楽や管弦楽団の演奏会がなくなった頃、東京芸術大学の毎年暮のチャリティーコンサート「メサイア」演奏会を知り、参加しはじめて今年で7回目になります。このコンサートは終戦直後始まり56回目です。これから世界へはばたこうとしている、学生の情熱と厳しく、温かくご指導なさる先生方との手作りの演奏会です。ある年は音が体にしみ込んでくる様に、ある年は荘厳な大聖堂で聴いているような緊張の年もあり、飽くことがありません。10月ごろからチケットを買ったり日程の調整をしたりそわそわしております。 チャリティーはGIAの皆様には私の勤めております、みしまプラザホテルのチャリティーステージに主催を続けていただいて、まさしくグローバルな演奏とあたたかい心をたくさん頂戴して感謝申し上げております。2003年に30周年事業として計画してから、様々な団体、企業様、演奏家様に支えられて、年に10回づつ開催できます事をとても幸せに思います。ご賛同くださる毎月100名から150名の地域の皆様のお気持ちに添えますようにと毎月快い緊張を感じながら楽しく開催させていただいています。今年は12月17日(日)チャペルルミエールクリスマスコンサートで1年の締めくくりです、来る年も皆様の心いっぱいのチャリティーステージが開催できますようご協力をお願いすることになりますでしょう。楽しみにしております。                                 清水町 H.O.
     英会話と英語による般若心経に参加して
こんにちは、今年6月からティム・ドナヒュー先生の英語のクラスを受講している内田です。私は、自宅で仕事をすることが多いので比較的時間の自由が利きます。図書館で英会話教室があることを知り、以前より興味のあった英会話を思い切って習い始めました。習い始めは、先生のほかは、女性ばかりで、緊張しましたが、ジョークが飛び交うとても楽しいクラスで、今では行くのを楽しみにしています。(仕事の都合で出席は半分程度です が、・・・)。また、皆さんの流暢な英語を聞き刺激を受けています。早く皆さんのように話せるようになりたいです。  ところで、グローバルに入会したことが縁で、英語による般若心経の勉強会に参加する機会を得ました。このお経に以前から興味を持っていましたが、この勉強会に参加して、「色即是空 空即是色」の意味が深く感じられるようになりました。どうぞよろしくお願いいたします。                        三島市 T.U.
           楽しい英会話教室
9月からティム先生の英会話のお仲間に入れていただいています。生活の中で、たまに外国からいらした方とお会いする機会があっても、思っていることがまだなかなか表現できず、また、ゆっくり、やさしくお話してくださる内容を半分も理解できないことに本当にもどかしい思いをしていました。何とか少しずつでも英語に触れる機会をコンスタントに持ちたいとおもっていたやさきに、お友達からここを教えていただきました。 私は日ごろからステキな人生の先輩を見つけることを楽しみにしています。そういう方を見つけると「私もああいうふうに・・・」とイメージして生活をしています。こちらにはそういう方々がたくさんいらっしゃいました。今では週に1度のこの時間は英会話だけ でなく、広く生活全般にわたって私を刺激してくれる大切な時間となりました。(今後ともどうぞよろしくお願いいいたします。)                               E.I.
           自由な気分を満喫 
9月に、11年間に及ぶNPO法人グランドワーク三島の事務局を退社しました。今、自由な気分を満喫しています。朝目覚め、今までと同じように仕事をこなしているのに、とてもゆったりとしています。同じように犬の散歩に出かけていっても、あたりの風景や空気が、なんだか違っています。時間に追いかけられなくなったからですね、きっと。なるべく家にこもらないようにと、フィットネスクラブに入会しました。体力をつけて、趣味のゴルフの腕を上げようと思っています。今がラストシャンス。かな? 押入れにしまいこんでいた、布地を部屋いっぱいに広げてパッチワークをしたり、荒れていた庭の手入れをしたり・・・疎遠になっていた、近所の友人と、週一回2時間ぐらいの散歩も始めました。そういえば、アメリカで生活していたとき、アメリカのシニアの友達が、カレンダーに予定をいっぱい書き込んで忙しそうでした。私も今、忙しくしています。              函南町 S.S.

2006年11月

~旅は道連れ~
日頃から、海外、国内と“行ってらっしゃい”と言って私を送り出す主人。常に別 々行動。偶には一緒に旅行する事もありますが、先方の都合で、今年の計画ではアメリカ、ヨーロッパが中止になりそれではと計画変更で即、夫婦揃って国内旅行を思い立ち只今実行中です。旅は道連れで、ご夫婦、親子さん達と“旅とも”になって一層楽しさが増し、良い思い出作りをしています。
でもその半面では北海道、石川、長野、岐阜県と国内の山間部を見渡してきましたが、自然災害、破壊など進み、人手の入らぬ 山の樹木は枯れ、大雨の為土砂崩れ、見るも無残な姿を目のあたりにしますと、これも地球温暖化で異常気象なのかと・・・又、人間自ら自然を壊している事は、本当に残念です。地球を守りたいと願いつつ主人と一緒に好奇心に駆られ少しでも見聞を広めようと次の目的地を目指す老年期の一歩手前の一組の夫婦なのです。(K.A) 
~現代おばば気質~
何って言ったって好奇心旺盛、何でも見たり聞いたり、色々経験もする。グループおばばが集まると「経験、継続、完了」の話で一日が花開く。人間の一生なんて文法の世界、ひとりがつぶやく「こんなに暢気で自由奔放で罰があたらない?」私が言う「いいのよ!私たちそれなりの修羅場くぐって現在があると思うから、神様のご褒美よ」「お金は無いけれど、踊っていれば楽しくてならない」と日本舞踊を踊ってくれる友もいる。「これからプラトニックラブして、マルグリット・デュラスみたいに死ぬ まで若い男を惹きつけて死にたい」と言う友もいる。意気軒昂である。愚痴らない、めそめそしない、前向き、そして良い意味の人生に対する諦念。
それは外見も内見もおばばですよ!けれども学ぶ事はちょっぴりでも、まだ、文学を語り毎日、本を手放さず、大好きな洋画を毎晩見て笑いそして泣き、たくさんおしゃべりして、運動も欠かさず、年をとるってたのしいですよ!!「良い時代に生まれたね」が私たちの合言葉である。“一病息災”人生を謳歌している、青春まっしぐら!! (S.A)

2006年10月

            はじめまして
 6月から仲間入りさせていただき3か月が過ぎました。10年前に始めた仕事も今年は節目の年を迎え、やはり自分自身もSkill Upしなければと思っていました。そこへちょうど岡本美保子さんからお声を掛けていただき現在、ティム先生の英会話を受講しています。  長男が小児ぜんそくを発症し、転地療養のために三島に引っ越してきて12年、次男もこの4月から大学生になり他県へ、私自身も長く関わってきた生活クラブの役員の任期が5月に終わり、自分自身の時間を楽しめる余裕がようやくできました。この時期にまた新しい出会いができ、とてもうれしく思っています。  グローバル文化交流協会については勉強不足で何も知らなかったのですが、ギアメールを読ませていただき、いろいろな活動を行なっていることを知りました。今は英会話教室への参加しかできていませんが、これから何かお手伝いできることがあればと思っています。よろしくお願いします。                                                     三島市 Y.M.
             朗報です
 ある環境フォーラムの講演“未来の為に出来る事”と題して書かれた記事を読んで、私は改めてぞっとした。それは子宮や胎児に悪影響のダイオキシンがヘアーカラーから発生している。---農薬除草剤より毒性の強いパーマ液や手染剤などの処理方法、それらの薬品を毛髪や頭皮につける顧客の健康について考える---という内容だった。  母親からしっかり受け継いだ白髪の遺伝子は若い頃から長い間私を悩ませていた。以前から毛染めが身体に良くないくらいは私だって知っている。でもどんなに良いとか大丈夫とか植物性だからとか言われ紹介されても、超弱肌の私にはどれも大丈夫なモノなど全くなく、仕方なく諦めていたのだ。まだ白髪のままでいられる年でもなく痛みとカブレと戦いながら毛染めを続けていたのだ。 それが先日、思わぬ朗報が飛び込んだ。私の体質も性格も理解している友人から偶然にも凄いモノ見つけたと連絡があったのだ。毛染めでも人身や環境に悪影響を与えないモノがあるという。あるはずが無いと思い込んでいる私は当然疑った。しかし思い切って恐る恐る一度だけ試してみた。---結果 は驚き“凄い!!”の一言。嘘でしょうー!!の連呼。痛くない、かゆくない、何でもないのだ。それより髪はしっとりツヤツヤ、サラサラになった。“こんなのあったのー!?”それも簡単で安全で安い。お手軽ヤッター!! それからは老若男女問わず、おせっかいおばさんにはまっている。友に感謝。                                          沼津市 H.T.

2006年9月

         ~最近、思うこと~
この数年、気候が変だな、と思う。今年も例年より、桜の開花が早かったし、五月は梅雨前のからっとした晴天が多いはずなのに、連休明けからどんよりとした天気が続き、梅雨入りしたのかと思われるような天気が続いた。梅雨入りしてからは、各地に被害が出た。そして梅雨明けが遅く、明けたのは七月下旬だった。翌日には赤とんぼが飛んでいたり、ヒグラシが鳴いていたり。赤とんぼ、ヒグラシは八月中旬~下旬ではなかっただろうか。私は自分の目や耳を疑った。 今、世界各地で異変が起こっている。地球温暖化の影響なのか…。地球の地軸が傾いた影響だと言っている人もいる。いろいろなことが、絡んだ結果 なのだろうか。気候だけでなく、嫌な事件が起こったり、食生活も不安だらけ…。私たちは何に気をつけ、どのように生活していけばいいのだろうか。 高校の頃、「物を粗末にする人は、人をも粗末にする」という話を聞いたことがある。今、物があふれ、物を大事にしない人が多くなり、その結果 、自然環境が悪くなり、嫌な事件が多発しているのかもしれない。グローバルのバイリンガル環境かるたにあるように、できるだけ環境に配慮した生活ができるように気をつけ、人や物に感謝をし、大事にしていくことによって少しでも環境がよくなることを期待したい。                                         三島市 S.T.

         ~この頃思うこと~
ご無沙汰していますが皆様お元気でいらっしゃいますか?この頃日本人が生きる力を無くし、夢を見なくなってきている気がして心配です。そもそも全てのものは目に見えないとても小さなクォークと呼ばれる粒で出来ています。クォークが集まり、元素になり、地球上の物質を作っているのです。つまり全てはクォークの密度が濃いか薄いかだけのことなのです。即ち「色即是空」…それなのに人間は生き、その中で泣いたり、笑ったり、怒ったり…本当に不思議ですね。長い生命の流れの中で、ほんの一瞬生きて死ぬ 私達…せめて生きている間は、皆で仲良く楽しく、より良い世界を目指して歩んで行きたいと思います。現実の世界は理想にはほど遠いけれど、でも諦めたら終りです。自分の出来ることをコツコツと継続して行動し、何時か世界中の人達が愛し合い、幸せに生きられる日が来ることを信じて、暮らしていきたいと思う今日この頃です。
「愛こそ全て」(All we need is love)
以上ビートルズエイジの夢見るおばさんのたわ言でした。では又、何時かお会いできる日を楽しみに…Good Luck!!!
P.S. 「色即是空」(般若心経より)『Form-it is, in fact, emptiness』
(by リービ英雄:万葉集を英訳。西洋人初の現代日本文学作家と言われている)         三島市 Y.K.

        ~スペインへの旅~
スペインの新幹線AVEでマドリッドへ。向かいの席はスペイン人の中年女性でとなりは老年女性。日本のキャンディと和紙の日本人形を上げたら喜んだ。英語が通 じないので仕方ないや、と思っていた。しかし交通公社のくれた小冊子に、基礎的なスペイン語がいくらかあるのを思い出し、簡単なところを、フリガナのとおりに発音してみたら、ちゃんとコミニュケーションが成立するのを発見し、だんだん笑い声が混じってにぎやかになってしまった。しまいには3人で肩を組んで写 真を撮った。 「秋元さん、国際交流やってますね」、添乗員の渡部さんが背中合わせの前の座席から立ち上がって、こちらを覗いて言う。彼女は出かけてきて、2人のスペイン人たちとお手の物のスペイン語で話をし、アルゼンチンに帰っていくお母さんを、娘さんの方が送っていくところなのだと私に告げた。添乗員の渡部さんが言う。「ほんとは秋元さんの隣の席はわたしだったんだけど、あの人たちが間違えて腰掛けていたのよ。その間違いのおかげでスペイン語をしゃべる機会が出来てよかったですね。秋元さんのスペイン語は上手だって言ってますよ」と言う。えっとビックリ。英語でなら、この程度の交流はいつもやっているが、話したこともないスペイン語で交流が出来るとは知らなかった。住所を書いてもらって、写 真を送る約束をした。若い方はイザベルという名前なのが分かったが、彼女はわたしのことをAmiga(トモダチ)と書いてくれ、抱き合って別 れた。                               長泉町 Y.A.

2006年8月

        今では三島が大好きに
皆さん、こんにちは。私が三島の住人になって、早くも1年2カ月になりました。長年横浜に住んでおりましたので、40年来の友人たちは「最後はこちらに戻ってきて」と言っていましたが、最近彼女たちも遊びに来てすっかり三島が好きになり、私が「終のすみかにするかもよ」と話したら、賛成してくれました。
10年前、足の悪くなった母と伊豆高原で一緒に暮らす事に。大切に大切に介護いたしましたが、降るような星がたくさん見える夜、最愛の母は旅立ちました。今でも星を見ると、涙がこぼれます。まだ、立ち直れないで3年になりました。 三島に住もうと思ったのも、なるべく母の側にいたいからです。また、三島を好きになったのは、少女時代に住んでいた雪国十日町市に似た雁木造が広小路から駅まであり、駄 菓子屋さん小物屋さんなど雨の日でも見て歩けるので、すごく楽しいです。いろいろと散策して廻って、最近知った柿田川公園はいいですね。往復歩いてもう3回も行き、今度友人が来ますので早速連れて行きます。
楽しい時間がもう一つ。Tim先生の英会話に、6月から行っています。弟が仕事の関係でハワイに23年住んでいましたので、ジャンボ機前からアメリカ旅行をしていますが、「主人と弟ばかり頼っていたのがいけなかった」と、主人が亡くなって勉強不足を痛感していました。今度の旅行で友人と「つくづくしゃべれないのはくやしい。英語を習いましょう」と約束しましたが、今のところ私だけ習っています。がんばります。        三島市 C.K.
             出会いは「グローバル草紙」  
はじめまして。この度、皆様のお仲間入りをさせていただきました尾沢淑子です。ミスター・ティムの英会話の教室に通 うことになり、入会いたしました。でも、ずーっと以前に、グローバル草紙のことを中日ショッパーズで知り、買い求めて以来、グローバル文化交流協会のことは、頭のどこかにありました。それからしばらくして、ECCの関係で白井さんにお会いして、彼女がこのグローバル文化交流協会で、皆様とともに多方面 にわたりエネルギッシュに活躍していらっしゃることを知りました。会話の教室でご一緒する方々も素敵な方ばかりで、心地よい刺激をうけています。この出会いを大切にして、少しづつでも、心の豊かな人間になりたいな、と思っています。  私は兵庫県出身で、社会人1年生、高校3年生、高校1年生の子供がいます。主人とは1つ違いですが、お互い歳を重ねるにつれて、血圧とかコレステロールで気になる数値がでて、できるだけ歩くように心がけているこの頃です。どうぞよろしくお願いいたします。                               沼津市 Y.O.
2006年7月
        もしも風になれたなら
去年、縁あって伊豆の山中に小さな家付きの土地を買った。古家に手を入れ、週末は夫と2人大抵ここで過ごすことにしている。今年のゴールデンウィークも親しい友人夫婦と合流する計画を立てていた。ところが5月2日、私の弟が亡くなり、それどころではなくなった。急を聞いて私一人、羽田から高知へと飛んだのが「みどりの日」だったので、まだ温かく息のある彼を見てから、死はほんの3日後のことだった。「肺炎さえ克服すれば もっと生きられる」とみんな口々に言ったが、そう信じたかっただけのことだろう。 今、ひたすら癒やされたくて伊豆に来てしまう。けれども日毎に緑を増す景色の旺盛さに圧倒される。もし弟が死んで風になれたのなら、そこのイタヤカエデの大木の梢でひとしきりザワザワと遊んで行って欲しいと思う。遠くて会えなかった互いの罪ほろぼしのために。              裾野市 M.O.
      8年間の東南アジア生活を経験
今年の4月からグローバルに入会し、ただ今英会話Cクラスを受講しています。私は、夫の転勤で97年7月からシンガポールに2年半、そしてインドネシアに5年半滞在し昨年の夏に本帰国しここ三島へと越してきました。8年間に及ぶ海外生活は非常に実りのあるものでインドネシア出国の際は、後ろ髪を引かれる思いでした。シンガポールでの2年半は、出産と育児であっという間に過ぎてしまいましたが、インドネシアに移ってからは、2人のメイドと運転手を従えて、家事から解放され、治安の悪さや、衛生面 、テロへの恐怖はあったものの、自分の時間が自由に使えるという点では夢のような暮らしでした。  ジャカルタでは、WIC(Women’s International Club)というクラブに入会し、ボランティアや国際交流、チャリティーバザーなどに参加し忙しくすごしていました。後半の2年ほどは、その合間をぬ ってジャカルタの大学で日本語を教えていました。学生たちはみな若く非常にパワーがあり、週に1回の授業でしたが、いつも情熱や若い力を分けてもらっていたような気がします。日本語学科の彼らの夢はさまざまで「日本語の先生になりたい」「日本の会社に就職したい」「日本人と結婚したい」「日本へ行ってみたい」等などで、日本へのあこがれが感じられるものばかりでした。現地では、日本の古いテレビ番組が放映されたり(おしんやバラエティーなど)日本の食べ物やテレビアニメ、キャラクターなどが人気で、文化面 でも日本の物がかなり浸透しているように思いました。チキン照り焼き、ギンダラ照り焼き、鮨、などは、質はさておき市民権を得ていたように思います。また、日本製のものは信用が厚く、「高くて丈夫」と思っているようでした。日本でのニュースを通 して見るインドネシアは、あまりいい印象ではないかもしれませんが、まぁまだまだ南洋ボケが抜けず、ちょっと変なところもあるわたしですが、どうぞよろしくお願いします。グローバルを通 じて国際交流を続けられればと思っています。      三島市 Y.F.
2006年6月
     東欧への旅 
       ~中世の町チェスキークロムロフ(チェコ)~
CESKYKRUMLOV(チェスキークロムロフ)の文字と、城と尖塔が浮き彫りになった小さな素焼きの鈴を振るたびに、さわやかな音色は私をあの中世の町に引き戻してくれます。2005年12月初旬、私は東欧5カ国への旅の途中、チェコ南部にあるチェスキークロムロフという町を訪れました。この町はスメタナ作曲の『モルダウ』で、日本人にもなじみのあるモルダヴ川の流れを利用して城を中心に建てられた城塞都市です。13世紀頃からの建造物が保存され、中世ルネッサンスの石畳が敷き詰められた旧市街地を散策するとクロムウエル白の淡いピンクとブルーの尖塔は町のどこからでも、その美しい姿を見ることができました。モルダウ川の畔には長い年月風雨にさらされたキリスト像が建ち、ルネッサンスの雰囲気を残しているオレンジ色の屋根の町並みは中世にタイムスリップしたかのようでした。      三島市 N.Y.
GIA 事務局のの福井善徳が3月にネパールを訪問しました。帰国直後に起こったネ大きなネパールの政変についての解説です。
             激動のネパール情勢  
街を行くとあちらこちらから「わいわい」となにやら叫ぶ声が聞こえる。何を叫んでいる声かと聞くと王制反対を叫ぶ大学生たちだと言う。今年の3月中旬カトマンズに滞在中の出来事である。  私の帰国後ネパールの政治情勢が大きく動いた。4月6日から4日間反王制主要7政党がギャネンドラ国王の強権政治に抗議するゼネラルストライキを主導した。  昨年2月にギャネンドラ国王が緊急事態宣言を発令し当時のデウバ内閣閣僚全員を罷免し自らが専制政治を始めたことに抗議するものである。  当初4日間のストライキと抗議デモはネパール全土に波及した。抗議運動はおよそ20日間におよび政府軍の外出禁止令を無視しカトマンズ市内でも10万人を超す群集が王宮に迫る勢いに発展した。デモ隊に対する政府軍の威嚇発砲などによりデモ参加者と一般 市民の死者はネパール全土で19名に達すると同時に数多くの負傷者がでた。デモはますます過激化し4月25日には数十万人規模のデモが予定されるにおよびギャネンドラ国王は事態を重く受け止めて主権を国民に返還することを認めた。すなはち2002年に閉鎖した下院議会を復活し7政党の代表であるネパール会議派(NCP)総裁で元首相のギリジャ・プラサド・コイララ氏を首相に任命すると発表した。この発表をうけて4月25日の大規模デモは中止され4月28日には下院議会が開かれた。  一方10年間続いているマオイストの武力闘争はゼネラルストライキ中もネパール全土で過激化し郡部の政府軍駐屯地の襲撃など泥沼状態を見た。  新首相に就任したコイララ首相はマオイストに対し和平交渉に応じるよう働きかけマオイストもこれに同意し武力闘争は現在休戦状態に入っている。マオイストは王制廃止を謳っており王制存続を考えているコイララ内閣がどのようにマオイストを説得し武力闘争を終結させるかが今後大きな課題である。  一連の政情不安の間中、ニュースの報道と現地の友人からのe-メールによる情勢変化の報告に息を呑む思いで注目してきたがようやく解決し民主化の道を歩き始めた。胸をなでおろした。しかしまだまだネパールの真の民主化は前途多難と言わざるを得ない。すなはちマオイストが武力放棄の上政治に参加するか、また政党の腐敗体質が是正されるのかなど問題は数多く残っている。

2006年5月

         引っ越しました
今年の3月末から東京都町田市に住み始めました。 夫の転勤を機に、義父母の近くに家を買い大好きな三島を離れました。私は前向きな性格だと自負していましたが、実は違いました。お世話になったたくさんの方々にきちんとさよならしてきたのに、富士山や徳倉の風景をカメラにおさめてありがとうを言ってきたのに、なぜか町田になじめなかったのです。買い物に行っても近所の方々と仲良くなっても「どうして私はここにいるの」と思ってしまう、望んで来た地なのに三島を懐かしく思ってしまうのでした。  ところが先週末、夫とジョギング中に真光寺川(しんこうじがわ)という大場川とそっくりの川を見つけました。思えば、日本も世界もすべて水でつながっています。そう思うと次々に源兵衛川、宮さんの川、桜川の流れが目に浮かび三島を近くに感じられ、この地にとても親近感が湧いてきました。やっと両足で着地できたなと思う今日この頃です。  三島での思い出を大切にし、これからも私らしく生きてゆきたいと思います。離れてはしまいましたが、今後とも仲間としてお付き合いよろしくお願い致します。               東京都・町田市 M.I.
    4月からGIA事務局に入りました
4月から事務局を担当することになりました。  2001年に出版された「三島アメニティ大百科」の編集にたずさわったことがGIAへ入会するきっかけでした。当時、「アメニティ」の編集室は芝本町にある眼鏡店の2階で、となりの「ゆうすい会」と簡単に間仕切っただけの狭い部屋だったのですが、いつもそこには熱気がみなぎっていました。  豊かな知識と前向きな行動力に最初は驚き、やがてそのパワーを自分の糧とするようになりました。この編集に熱心に取り組んでいた方々の多くがGIAの会員だったこともあってごく自然に入会したというわけです。その後、GIAの「パソコン教室」を担当させていただくことによって、多くの会員のみなさんとお会いでき、一緒に勉強できたことを大変うれしく思っています。  これからも事務局の一員として少しでもお役に立てるようがんばりたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。                                               三島市 K.N.
2006年4月
       宮本摩知さんのからだの話 3
          気セラピスト&エステティシャン
             「歩きましょう」
歩く効果は計り知れないものがあります。現代は子供時代からすでに歩く機会が本当に少ないと思います。故に足腰が弱く、根気が続かず、呼吸が浅く・・・・などなどマイナスが多いですね。 パソコンの疲れだけでなくテレビを見たり細かい仕事で眼が疲れたり、何だか息が続かない、根気が足りないと感じた時に、思い切って散歩に出るのです。あるいは足踏みや屈伸など、足腰を動かすととてもすっきりとします。 歩く効果は、他にも血行が良くなる、消化の助けになる、腕や肩が楽になる、足首が柔らかくなる、股関節がすっきりする、膝が軽くなる、歯が丈夫になる、呼吸器が発達する、ヒップアップになる、などなどきりなくあります。またその振動が全身に(顔や頭も)及ぼす影響も想像以上です。ですから歩かないのはデメリットです。これからは外出も楽しくなる季節ですから是非、歩きましょう。 *番外・・・しびれがきれた時は後ろ向きにちょっと歩くとすぐに良くなります。
4月からGIA事務局へ
よろしくお願いします 私がグローバル文化交流協会と出会ったのは4年前の夏。友人が英会話の講座を探してきて、一緒に見学に行ったことがすべての始まりでした。初めて足を踏み入れた教室には、人生経験が豊富そうな先輩方がずらり。中には私の母と同年代と思われる方も! ご一 緒させていただいてからは、更に驚きの連続でした。みなさん博学。歴史・文化・社会問題等、どんな話題も鋭い切り口で論じていくではありませんか。みなさんは高い問題意識を持っているだけではなく、努力家であることもわかり、私はただただ感動するばかり。身近に尊敬できる 先輩方がたくさんいらっしゃることを知り、将来の目標ができたような気持ちで、GIAのメンバーであることを誇りに思っていました。そこへ、事務局入局のお誘いが…。 自信はありませんが新人として仲間に入れていただくことにしました。GIAの活動を通 じて人生をより 有意義なものにしていきたいと思っています。よろしくお願い致します! 三島市 H.O.
2006年3月
          宮本摩知さんのからだの話し 2
             気セラピスト&エステティシャン
                温法 (部分入浴法)
いわゆる入浴というものが全身浴としたら半身浴があり最近は温泉処に行けば足湯の風情もあり、気持ちよさそうですね。部分入浴といって身体の一部だけをお湯に入れその刺激で身体の不快感を和らげる方法もあります。 代表的な <足湯>は ストレス、脳疲労、眼精疲労、腰痛、腹痛、冷え、生理痛、女性特有の症状、など・・・・・想像以上に効果 は全身に及びます。 他にも腰湯、脚湯、肘湯、手湯、指湯、のように色々なやり方があります。 疲れた時や、特に季節の変わりめにはこの温法(部分入浴法)を上手に活用すると、とても快適な身体で過ごせると思います。ただし身体に良いからといって長過ぎるのはいけません。(5~8分位 を目安に)お家で簡単にできますので、さっそくお試しになり、その気持ち良さを味わって下さい。
☆2月12日(日)に三島市内で行われた「新春開運初午ツアー」 毎年行事の実行委員長として活躍されている志村はじめさんより☆
           地口行灯と初午ツアー
火事と喧嘩は江戸の花と言われますが、稲荷と犬の糞も同じように多かったと伝えられています。稲荷神は字の如く五穀豊穣を願う神ですが、今では商売繁盛・家内安全など万能の神様です。その稲荷神の祭りが初午で、立春を過ぎて最初の午の日を初午と言い、四色の幟を奉納し祝ったものです。もう春が近いという期待の祭りであったことでしょう。 初午の日は、武家屋敷も開放され一般の町民が中に入り、稲荷神と共に飾られた地口行灯を見て大いに楽しんだということです。 さて、地口ですが、地=江戸、口=口合い、即ち江戸の言葉遊びのことです。洒落や語呂合わせと考えてください。江戸時代の地口は、ことわざ・歌舞伎・常磐津・物売りの声・清元等などあらゆるものを題材に地口を創って楽しんでいたことがわかります。 三島の現代地口には元句が書かれていますが、江戸時代は元句が書かれておりません。ですからある程度多くの人が知っている言葉でなければ通 用しません。と言うことは地口を理解し楽しめる江戸庶民の文化・知的レベルは高かったと推察できるわけです。 東京都下には地口行灯を飾る神社や商店街がありますが、何れも江戸時代のものをそのまま書き写 していて、三島のように組織的に創作地口を展開している例はありません。 初午ツアーに参加した明治大学教授によりますと、魅力が薄くなった商店街の地口のため、創作地口に取組む三島を訪れたとのことです。学生にも地口を作らせようと、資料づくりのデジカメ撮影をしていて、来年は学生に参加させると言っていましたし、ご自分が所属するお笑い学会でも地口の話と共に三島の地口行灯を紹介したいと仰っていました。 グローバルのメンバーには、静岡新聞の「大自在」にも取上げられたこの現代地口に関心を持って貰い、三島の新しい文化を盛上げて頂きたいものです。                                              志村 はじめ
               遠くの会員より
山梨に転居してから、近くに住む姉の誘いで近場の温泉巡りを始めた。姉から「温泉へ行こう」と最初に誘われた時は、「エーッ温泉?わたしゃまだそんな年じゃないわよ!」と思ったものの、見渡せば周りは山ばかりでコンビニさえもない場所に引越しして、「退屈だな~」と思っていた矢先だった。とりあえず、風呂の支度をして同行することに。  温泉場に行ってみれば、温度の高い湯からぬ るめの湯と浴槽が設けられ、寝湯に薬湯、露天風呂、サウナ、スチームバスなど等、一ヶ所で何種類もの湯が楽しめる。いくつか気に入りの湯を楽しみ終えると早くも一時間強が経過する。心地良い汗をかいた身体、湯上りに水分補給する。ややぐったり加減、気だるくて心地良く、何とも快感!!内心では気分は2~30才代よ!なんて思いつつ勝手に年を取るのを見送って来たつもりの私。 やっぱりネ~体力年齢は順調に重ねておりました。ハイただ今"楽温泉適齢期"真只中です。    F.S.
               温かいふれ合い
一年半前から二つの市の国際交流協会の一員になって、外国の人達に日本語を教えています。それぞれの市で組織や運営方法は違いますが、言葉で困っている外国の人達が日常の初歩的な日本語をできるだけたくさん覚えられるようにサポートするということと同じです。日本語検定の受検を目指す人、教科書の勉強はいやだけど世間話がしたい人など、いろいろな国の人達と出会います。 先日、一年間の研修を終えて中国へ帰るというTさんのためにみんなでささやかなお別 れ会をしました。とても上手な日本語でTさんが挨拶をしてくれました。お礼と感謝の言葉の後に、中国へ帰ったらいろんな人達に日本のことを教えてあげたい、そして自分は中国と日本の架け橋になりたいと涙ぐみながら話してくれました。私の隣にいた中国のSさんが「日本の人とても親切、嬉しい。」と呟きました。私は、「私達はあなた達と会っていろんな話をするのがとても楽しいんですよ。」と答えて胸が熱くなりました。 小さな地域での小さな活動ですが、近くにいる外国の人達を一人でも多く手助けすることができて一人でも喜んでもらえたら・・・いつもそんな思いで日本語教室に通 っています。                       S.F.
          菓子作りでさまざまな出会い
グローバルの皆様には、日頃から大変お世話になっています。総会をはじめ、グラウンドワークのイベント、フリーマーケットなどの行事に焼き菓子やケーキを出させていただいています。 現在、自宅及び自宅近くのサロンでケーキ教室を開設しています。生徒さんの「こんなに簡単に美味しくお菓子って出来るんですね!目からウロコの思いです」の焼き上がったケーキを前にした歓声に酔い、ハンドドリップのコーヒーと共にいただくひとときは、レシピ作りや計量 準備に追われた事も忘れ、充実した満たされた瞬間です。 お菓子は人の心を柔軟にするようで、教室の雰囲気もいつの間にか情報交換の場になり、先日も今流行の「岩磐浴」の話題で盛り上がりました。 「手軽に」「美味しく」は、家庭で作るお菓子作りのモットーですが、注文に応じて作るお菓子は材料も吟味して、「パリパリとねっとり」「サクサクとふんわり」など食感の違いがわかっていただけるような味わいに心掛けて焼いています。 人の集まる所に、暗中模索で習ったばかりのお菓子をせっせと焼いて食べてもらっていた頃・・・そして自分の好きなこと、やりたい事を「形」にすることができた現在は、お菓子作りとそれを取り巻く環境は宝物です。これからもこの宝物を、もっと磨いていきたいと思っています。                    沼津市 斉藤 紀子

2006年2月

新会員紹介     「心も身体も素顔で活き活き」       
初めまして、昨年12月に入会させて頂きました。野口整体を勉強し、研究し、実践しています。また日本の美容の草分け「山野愛子 どろんこ美容」のエステティシャンです。どちらも癒しのひととき、と喜んで頂けるよう仕事に励んでいます。 私の身体感は「信頼」そのものです。身体は日々の手当てや手入れが大切です。そこから自然な形で自分自身を信じる力が湧いてきます。身体は問いかけに必ず応えてくれる、身体は自分を裏切らない、ということを様々な経験から学んできました。自然治癒力が生かされる日常のお手入れのポイントなど機会があればこの紙面 にも投稿させて頂きたいと思っておりますので、よろしくお願いします。 「心も身体も 素顔で活き活き」 と 三島はそんな雰囲気を感じさせてくれる街です。この街を歩くのがとても気持ち良いです。またこれからは会員の皆様との素敵な出会いを心より楽しみにしています。どうぞよろしくお願い致します。           三島市 宮本 摩知
*宮本さんには、3回シリーズで「身体のお話」を書いていただきます。
《遠くに越された会員さんから》  通訳、翻訳の難しさ
時間が経つのは速いもので、三島を離れてから12年、翻訳、通訳の仕事を始めてから10年余になります。異なる言語を使用する人たちの「言葉」の橋渡しや、翻訳クラスの講師の仕事を通 して、言葉の使い方の難しさに改めて気づくことが多い毎日です。発言者・起草者の言外に込められた思いをきちんと表現するのは難しい反面 、それを表現出来たときはほっとします。自分の言葉を通して「出会いの場」を文章、あるいは話し言葉で演出する仕事は、一つの言葉の使い方次第で、その出会いの場を心地よいものにもし、また重苦しい場所にしてしまいます。また翻訳の場合は特に、第三者として見えない二者間の仲介をしているので、自分の解釈に偏りが無いだろうか、意訳は無いだろうかというのは気にかかる点です。疲れているときなど、その場の状況に合せて柔軟に表現することが難しい時もあり、自分もまだまだだなと感じることが度々です。 よくこの仕事は体力勝負と言われます。本来は運動嫌いで内向的、面倒くさがり、しかも人前に出ることに苦手意識を持っている私は、これだけ長い間この仕事に係わって来られたのを、自分でも不思議に感じています。翻訳、通 訳の仕事を選んだのは、GIAでの出会いがきっかけでした。いつも前向きで、何年か後にはこうありたいと思えるGIAの「素敵な先輩たち」からは学ぶことがとても多く、その時々の出会いが今に繋がっていることに深く感謝しています。 三島を離れてから10年以上経ち、距離的には離れていますが、時折メールを交換したり、お電話でお話ししたりする大切なグローバルの仲間たちと、これからもずっと繋がって行きたいと思っています。そして願わくは先輩たちのように「素敵に」年月を重ねて行きたいと思っています。 名古屋市  R.K
カナダ旅行
カナダ旅行で出会ったトロントのB&Bの女主人 昨秋、観光と友人に会う目的でカナダのトロントに夫と出掛けました。ネットで予約したB&Bは、なんと街のど真中にある高層ビルの中の一軒のマンション。笑顔で迎えてくれたオーナーは、70才の一人暮らしのカナダ人女性でした。 室内装飾や家具什器は言うに及ばず、朝食の見事さ!美味しさ!先客がホテルリッツ以上と書き残してある程でしたが、それより何より4日間の滞在中知った彼女の前向きなライフスタイルに心打たれました。 夫を母を姉をこの10年間に見送り、子供を持たなかった彼女は今やたった一人。二度の癌の手術。体調も万全ではないけれど、こんなことに負けてならじと自宅の2つの寝室のうち一つは自分用、もう一方を各国からの旅行者の宿として活用しているのです。  この事だけでも敬服なのに、宿泊客の私達にかかりきりでなく、早朝より友人に会いに出掛けたり、友達をランチに招待したりと、自身の生活も大いに楽しんでいる様子。 すべてに出来る限り自立して生きようという気持ちがオーラとなって、とても若々しく魅力的。それにお洒落でユーモアたっぷり。こんな方に出会えた幸運を思った旅でした。  三島市 Y.M.
会員の秋山可年子さんより 「小の久」 昔のとうふ屋さん 手作り豆腐・湯葉・料理 清水町に昨年の11月開店 ランチ  :11:00~14:00(30名限定) ディナー :18:00~21:00    ・予約のみの限定料理 定休日:毎週日曜日 営業日:8:00~18:00(売店のみ) TEL : 055-972-1163
英会話Aクラスを紹介します
★ 英会話“Aクラス”は、毎週水曜日の朝9時から始まります。私たちは朝の忙しい時間帯の中、遅れる人もなく皆熱心に、楽しくティム先生のご指導を受けております。先生は日本人よりも上手な日本語を話され、話し声だけでは先生が日本人なのか、それともアメリカ人なのか、時々惑わされてしまうほどです。“Aクラス”は私たちにとって楽しい楽しい50分間です。ただ一つの欠点は生徒がすぐ脱線することです。でも先生がやんわりとリセットしてくださいます。  (H.M.)
★ 英会話を始めたのは数年前。そしてこのクラスに参加させていただいて一年が経ちました。未だ会話のキャッチボールがスムースに出来ません。そのような時、ティム先生はいつも優しく、ユーモアを交えて教えてくださいます。クラスの皆さんは親切な方々で、 いつも和気あいあいとした楽しいクラスです。  (Y.S.)
★ 私は昨年の2月からAクラスに参加しています。授業はティム先生のジョークに笑わされながらも、真剣な質問があり“What’s new?”の先生の問いかけには、毎時間、様々なエピソードが披露され、とても楽しいえす。また授業の後のクラスの先輩方とのコーヒータイムも私の楽しいひと時となっています。是非、皆さんもAクラスに見学に来て見てください。楽しいですよ!
★ This class is make me confortable and Tim’sEnglish can be easy to understand.
★ まだ参加して間もないですが、とてもアットホームな感じが気に入っています。まだまだ皆さんの足を引っ張る状態ですが、頑張っていきたいと思っています。

2006年1月

初めまして 11月に入会させていただきました
きっかけは生涯学習センターでティム先生に出会ったことです実はその少し前に『外国の男性に出会って一緒にお仕事をする』という夢を見ました内心(夢の中の男性はワンレングスのおかっぱ頭だった・・・)と気にもとめていませんでしたが、翌週なんとティム先生は長い髪をバッサリカットされてご登場・・・!あまりに不思議なので見学からそのまま入会することとなりました
私の若い頃の上司や音楽仲間と友人でもある先生の”魅力”もさることながら輝いている女性と出会う場を地元で発見したこの嬉しさはどう言葉で表現してよいかわかりません
ですので、授業中はいつもへらへら笑っておりますが怪しいものではございません
生涯学習講座のヤングプラザでコミュニケーション講座を担当してます
よろしければのぞきにいらしてくださいね!(年齢制限がありますが皆さんお若くみえますので大丈夫です?!)
今後ともどうぞよろしくお願い致します        かめだ
アメリカのいちばん温かいところ
~ターシャ・テューダ-の写真集&絵本~
 最近NHKの番組で紹介され、そのライフスタイルが話題を集めているターシャ・テューダ-。残念ながら番組を見られなかった私は、「ターシャの庭」「ターシャの家」などの写 真集から、バーモント州の山奥の広大な敷地で、自然とともに生きる彼女の姿をうかがうことができました。実際に自然の中で自給自足の生活をする事は並大抵の苦労ではないと思うのですが、彼女の表情はとても穏やかで、元気付けられる気がします。
 彼女が描いた絵本にもその感覚は受け継がれ、「コーギビルの村まつり」では、コーギ犬や猫、やぎなどの動物が、田舎の村まつりを舞台に、ユーモラスなお話を繰り広げています。(写 真集の中に、その主人公のモデルとなった動物を見つけることができますよ。)以前私が住んでいたインディアナ州のとうもろこし畑の真ん中にある町でも、年に一度このようなおまつりがあり、普段あまり遠出をしない町の人たちは、家族や友人と移動遊園地で夜遅くまで楽しんでいました。この絵本のような、やぎのレースはありませんでしたが、家畜の品評会も行われ、賞をもらった豚や牛の柵には記章が輝いていました。ターシャの絵本が広く愛されているのは、アメリカ人の心の中のいちばん温かいところを描いているからなのでしょうね。
 「人を喜ばせ、人の役に立ち、自分もおもしろいと思う生き方をして来られたこと、これからもそのように生きていけそうなことを、嬉しいと思います」。そんな風にいえるように、生きていけたらと思いました。
渡辺靖乃
2005年12月
「新たな生活スタイルを求めて」      Y.H
平成4年、四国・高松でリタイアを迎えました。東京より単身赴任で関係会社の経営にあたり、忙しい日々を送る中にも、忙中閑有りの気持ちで、瀬戸内海の海釣り、八十八カ所巡り、陶芸家との出会いなど有意義な生活を送りました。単身赴任1年目、仕事帰りの赤提灯通 いだけでは能が無いと思っていたところ、家の帰り道にあった陶芸教室で楽しそうに粘土と格闘している風景に出会いました。これがリタイア後の私の生活スタイルを決める契機となったように思います。 埼玉に帰った後も、教室に通ううち、窯炊きで炎と格闘したいとの思いが募り、山、海、温泉という環境を考えて、伊豆韮山に工房兼男の隠れ家を構えました。平成6年の初夏でした。当初、家内は仕事の関係で長女一家と埼玉 の自宅に住み、折りを見て韮山に来たり、私が用事で帰ったりの生活でした。何となくこのパターンが定着し現在に至っております。 山での一人暮らしも単身生活が役立ってか、家事も少々の酒と共に結構楽しんでます。リタイア後の夫婦の関係は「熟年離婚」というTVドラマにもあるように、種々問題がある所ですが、私の場合ある距離を持ち、つかず離れず、お互いの世界を認め合うことで、或る新鮮さを保てているようです。リタイア後10年の60代は修善寺ギャラリーでの個展、ニュージーランドでの3カ月の英語研修等々アクティブに行動してきました。 さすが70代に入った今は、グローバルの英会話クラスで女性のパワーに圧倒されつつ、陶芸、英語、囲碁、散歩を生活の張りとして、伊豆の四季をエンジョイしてます。リタイア後のライフスタイルは人それぞれですが、常に好奇心を持ち、一人でできる趣味と人との交わりのバランスをほどよく保てば、充実できると思うのですが?いかがでしょうか。
がらくたはエネルギーを無駄に消耗させる? 友人から借りて読んだ英国人が書いた風水の本によると、家のなかでがらじゅたと呼ばれる物がたまっていると大事なエネルギーをそこで消耗させるそうだ。もう何年も着ていないのに買う時とても高かったとか、思い出があって捨てられない洋服など。その内整理しようと溜め込んである写 真の数々。ちょっと考えただけでも整理すべきものが何と沢山あることか! もっと居住空間をすっきりと広くしたい!自分自身の生活ももっとゆったり、シンプルにしたい!其の為には自分自身の生活ももっとゆったり、シンプルにしたい!其の為には自分の生き方も含めて見直しが必要となりそうだ。さてどこから取り掛かろうか・・・大変な作業になりそうだけど、やるなら今しか ないと思いながら日々がすぎていく。               長泉町 M.O.
 
 
 
 
 
 

2005年11月

「ガーデニング大好き」とGIAの活動に参加
グレゴリー・フリードマンさん
(三島市在住・アメリカ出身)
この夏、GIAメンバーが「沢地グローバルガーデン」で作業をしている時にヘルメット、サングラスのサイクリング姿で現れたグレッグさん。「ハーイ!この場所は何だろう?っていつも通 るたびに思っていたんです」と、私たちに気軽に声をかけてくれた。ここにあるグラウンドワークのロゴマークを三島市内の他の場所でも見かけたことが気になっていたそうだ。以来時々一緒に草取りや花植え作業に参加している。 「もともとガーデニングが大好き」というアメリカ・カリフォルニア州出身。現在は日大で英語講師を務めるが、来日は2度目だ。サンフランシスコ州立大学を卒業後、「外国に行ってみたい。日本の文化は面 白そう」と1993年に初来日した。広島と神戸で7年間英語を教え、その後再び国へ戻ってサンディエゴ州立大学でマスターを取得。英語、日本語という枠のみならず、専門としての「言語学」を深く学んだ。 「三島の街は水辺がきれい。いろいろな所へ出かけるのが楽しい」と、つねに地図を持って歩いたり、サイクリングしたり、と興味は尽きない。最近始めた和太鼓の練習にも熱が入る。
紹介します!英会話Dクラス(水曜日15:00-16:30)
*リチャード先生へインタビュー*
Q, When did you come to Japan? A. I came to Japan in 1984. Q. What made you come to Japan? A. From a very young age I was fascinated by Asian culture and Japanese culture in particular following a Japanese student's 2-month homestay at my house. I always felt closer to an Asian rather than Western mind. Then as I grew older my interests developed in Japanese arts, culture and philosophy/religion. Q, What are you interested in now? A. Everything interests me. I find endless fascination in the world around me, the interconnected nature of all things. An awareness in daily life and a sense of gratitude for all people and things that make up this world, gives me hope and contentment. Through my work, I am able to connect with many people in a way that is always interesting, meaningful and satisfying. Q. Give a message or advice to D-class members Your enthusiasm for learning English is always an inspiration to me. And each class is a joy for me to experience with all members of the class. Thank you for giving me the opportunity to spend time expanding the limits of your English abilities through stimulating and friendly communication. Q. Give a message or advice to GIA members It is a privilege to be part of GIA and contribute in a small way to your association. I believe that your activities truly help make our community a better place. There is no better cause than to participate in society in a way that is of service to others. GIA is doing that kind of service.

Q、日本へはいつから? A  1984年です。
Q、 なぜ日本に? A 小さい頃から、アジアや日本文化に魅かれていたのですが、我が家に日本人学生が2カ月ホームステイしてから、その気持ちがより強くなりました。 私はいつも西洋よりアジア的“心”を近 くに感じていました。 大きくなるにつれ、日本の芸術、文化、哲学、宗教にも関心を持つようになりました。
Q、今は何に興味がありますか? A 全てです。全てのものが関連しあう自然事象、私の周りの世界に限りない魅力を発見しています。日々の生活への気づき、この世界を作り上げている全ての人々と事物への感謝の気持ちから希望と充足を得ています。この仕事を通 して、興味深く有意義かつ満足いく方法で多くの人と交流できるのです。
Q.. D-クラスのメンバーにメッセージを。 A 皆さんの熱心な勉強態度は、いつも私にインスピレーションを与えてくれます。毎回、メンバーとの共有時間は私の喜びです。 刺激的かつフレンドリィなコミュニケーションを通して、メンバーの英語能力の境界を広げながら過ごす機会を与えてくれることに感謝しています。
Q.. GIAのメンバーにメッセージを。 A 皆さんがGIAの一部になって、少しでもGIAに貢献できるのは、ひとつの特権と言えます。GIAの活動が、私たちのコミュニティをより良くするのに役立つと信じています。他者に対する奉仕という形で社会に参加するのはすばらしいことです。 GIAはそのような活動をしているのです。
Members’ Voices 
(1)名前、イニシャル(2)お住まいは?(3)GIA入会年度(4)Dクラス参加年度(5)動機(6)先生へメッセージ(7)希望
(1)M.E. (2)長泉町 (3)(4)1985年 21年目 (5) 熱心で素敵なリチャード先生のもと、Dクラスは活発で楽しいです。みな話題が豊富で仲間から教わることもたくさんあって嬉しいです。 (6)リチャード先生が出版された”Different Options”を また読んでみました。いい本ですね。(私たちもちょっぴりお手伝いしたものですから) 英語を勉強する方にお薦めしたいです。 (7)英語で日本のことを話すとき、自分の知識のあいまいさにがっかりします。これからは外国のことと同時に日本のこともしっかり勉強したいと思います。 (1)M.K(2)清水町 (3)(4)2005年 0.6年目 (5)シュクリシュナさんの紹介で。今話題のニュースについて、先生と皆さんの様々な意見が聞けることが楽しくて勉強になります。(6)環境についてとても詳しくて、用意して下さる教材は興味深く、楽しいです! (7)語彙を増やすことと、リスニング力をあげること。ついつい字幕、二重音声の日本語ボタンに手が。
(1)I. M. (2)三島市 (3)1985年21年目 (4)(5)(6) 個性的なメンバーの多いこのクラスは、活発な意見が飛びかう。話題も豊富で中味も濃い。不勉強な私には良い刺激となっている。 (1)K.Serizawa (2)沼津市 (3)1999年(4)2000年 (5)水曜午後の仕事がなくなったので、午前も午後も受講しています。
(1)N.Y. (2)函南町 (3)(4)1990年16年目 (5)他の方の紹介で (6)私の拙い英語をいつも辛抱強く聞いてくださり感謝しています。ここまで続けてこられたのも先生のおかげです。 (7)BBC、CNNが聞き取れるようになりたい。 (1)Sachiko. M (2)三島市 (3)(4)1991年 15年目 (5)Classmates are friendly, textbooks are interesting, Richard sensei stimulates us much! I’d like to learn English as long as possible. Come to join us.
(1)Yumin(2)三島市 (3)(4)1992 年14年目 (5)わが子からの英語の質問に、スラスラ答えられるようになりたくて+海外旅行で英語を使いたい。 (6)博識で、誠実で、真摯な紳士。尊敬しています。 (7)課題はいっぱいで、ジレンマはありますが、学ぶこと自体を楽しみたい。 (1)Y.H.(2)伊豆の国市 (3)(4)2003年3年目 (5)昼間の英会話クラスを探していたのでこのクラスに。 (6)テキスト以外、種々の教材を使い、大変ですが楽しいです。 (7)海外でネイティブと十分コミュニケートできること。特にリスニング強化。
(1)H.O.(2)三島市 (3)(4)2002年  4年目  (5)友人に誘われて。最初は話題・語彙、共にレベルが高すぎてやめようと思ったことも。でも、あきらめなくてよかった。 (6)政治・経済から文化まで、何でも語れる先生ってスゴイ。たまに見せるおちゃめな一面 もナイスですよ! (7)自分の意見を的確に言えるようにすること。プラス、リチャード先生を英語で論破する。(ムリかな?) (1)T.H (2)三島市 (3)(4) 2004年3年目 (5) ListeningやReadingと違って、英会話は1人では勉強出来ないので、サークルがないだろうかと探していた時に、このクラスに出会いました。今は、人生の先輩方のパワーに、ただただ圧倒される日々です。 (6)色々ありますが、まずは、思っている事をスムーズに英語で伝えられるようになる事。

2005年10月

          お薦めの本
ピーター・タウンゼント著、間庭恭人訳「ナガサキの郵便配達」(早川書房1985年) この本は絶版となっていました。図書館などにあるそうですが、地下の書架に眠っていることが多いそうです。国語の教科書に抜粋の文が18ページほど掲載されており、高校生の間でも源本を読んでみたいとの希望があったそうです。 私はある奇縁で「『ナガサキの郵便配達』を復刊する会」を知り、幾許かの寄付をさせていただきました。今年の8月復刊本ができあがり手許にとどきました。折しも戦後そして長崎に原爆が投下されて60年の年でもあるため、各メディアであらゆる角度からの報道が飛びかっていたさなか、夢中で読み上げました。 著者ピーター・タウンゼントは英国空軍大佐で退役後ジャーナリストとして綿密な調査と取材を重ねて書き上げました。原爆投下が人類最大の過ちであることを強く訴える作品です。 小説仕立てのノン・フィクションです。主人公の少年は、被爆時16歳で郵便配達の途中で被爆しました。背中一面 焼けただれうつぶせのまま1年6ヶ月余、生死の間をさまよい、奇跡的に一命をとりとめました。その後、闘病生活を送りながら反核運動に身を投じ現在も核廃絶、世界平和を願い活動されているそうです。 この本を読みながら私が高校生の時に読んだ3册の本のことを思い出しました。早速インターネットで検索したところ嬉しいことに3册とも再発行されていました。永井博士は原爆で妻をなくされ病床の身でありながら如己堂と名ずけた2.5帖一間の家で2人の子供を育てられました。その本を紹介します。私ももう一度機会があれば読み返してみたい3册です。 「この子を残して」2005年8月発行「長崎の鐘」 1994年03月発行「ロザリオの鎖」(2003年07月発行「永井隆全集3」の中に) 永井隆博士については「書籍 永井隆」で検索かhttp://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/nabomb/nagai/nagae01.html に詳しく紹介されています。                          福井善徳
   伊藤久弘 ≪6月に入会されました≫
グローバル文化交流協会のみなさま、はじめまして。私は三重県の田舎で高校まで過ごし、大学時代は名古屋で 高分子物理を専攻していました。2003年4月に就職し、 昨年1月に三島へ越してきました。今は三嶋大社近くのアパートから富士市内の会社へ勤務しています。 私は留学や海外生活などの経験は全くありませんが無類の英語好きで、中学で英語の授業が始まってから今に至るまで、英語とはいろんな形で常に接し続けています。がんばって英語を勉強していると、外国から来た人と英語で話す機会がふいに訪れたりしたときでも結構楽しむことができて、それでますます味をしめて英語の勉強にもっと身が入る、という良い循環に入り込むことができます。グローバルを通 して三島での国際交流に参加し、いろんな方々との出会いを通して楽しみながら英語を使う機会が得られればと思い、この度グローバルに入会させて頂きました。自分の好きな英語を使って人の役に立てたら素敵だろうなぁとも思っています。もし私が力になれるような機会があれば是非お手伝いしたいです。 これから何卒よろしくお願い致します。
このカードを作ったときのエピソード あなたのゴミもの「も」の部分です。みなさんご自分のダイエットには、関心があるようですが、ゴミもダイエットしてスリム(減量 )にしてね。というメッセージが込められています。 外国の女性にこのカードを読んでもらうと、いつも「まったくそうだ!」。という感想をいただきます。 Saito Ayako
       軽くなった我が家のゴミ
生ゴミを簡単に堆肥に変えるボカシ(EM菌)の事を知ってはや十数年。以来、ふたつきポリバケツ2個とボカシで我が家の生ゴミはすべて堆肥に変えてきた。作り方は簡単、生ゴミをポリバケツに入れ、その上にボカシをかける。それを繰り返しバケツが一杯になったら、土に埋める。しばらくして花壇やプランターに使用。豊かな土は美しい花を咲かせてくれる。夫との二人三脚が効をなしている。お陰で我が家のゴミは軽くなったが・・・ 2人のダイエットは・・・??そううまくいかない。 水野幾子
ボカシ購入法 三島市社会福祉会館2階 1袋200円
         英会話サロンのA-2クラスをご紹介致します。
すばらしいティム先生を囲んで、9人の平均精神年齢35才の熟女ばかりのクラスです。
授業の始めに free talking をしますが外国旅行をする人が多いので旅行
をした事についての話、質問などで話が弾むことが多く、行った事がある場所、ない所、
経験した事のない話を聞いたり、写真を見せて頂いたりする事は大変楽しい物です。そのあと先生が用意して下さったプリントで会話、アクセント、文法の勉強等をします。先生の冗談を交えての解かりやすい、とても楽しい授業で、一時間はあっという間に過ぎてしまうのです。授業後の時間もまた楽しいもので雑学、情報交換などでマタマタ盛り上がります。それぞれの人が忙しい日々を送っていますが食事会、美術観賞、音楽会、日本の古典芸能観賞等の話になりますとまとまりが早くすぐに実行に及んでいきます。趣味を沢山持っている人が多いので、それを他の人にもその情報を教えあいながら皆で楽しく、『継続はちからなり』でゆったりやっています。   K.Y.

英会話サロン(水曜日13:00~13:55)メンバーのコメント
英会話を始めた動機は?もちろん外国の方々と会話を楽しみたいと思ったこと、それから 友達が欲しいと思ったことが大きな理由でした。レッスンは毎時間変化に富んで たいへん楽しいのですが、記憶力と努力が足りなくて 英会話は未だに足踏み状態です。けれども、見事に! 頼りになる素敵な友人たちに恵まれました。そして優秀でやさしい先生にも恵まれました。心豊かな方々との出会いは私の元気の素、大切な財産です。継続が力となって 英会話も身に付くと良いのですが? 
   K.I .

私は、今年の3月英会話サロン初級コースに入門しました。学生の時の、英語の勉強以来ぜんぜん縁が無い生活でしたが、勤めも終わり自由な時間が出来たので前から英会話を勉強し、兄弟と姪の眠るイギリスに行く事と、外人に会っても横を向かない為にと でもこの年齢で始めるのは 皆さんベテラン揃い会話もスラスラ、話題も豊富、私ときたら全然口から会話が飛び出さず、ただ解かった様な顔をしてにこにこ、でもやさしく素敵なティム先生や暖かく親切な方達、その内に皆さんの会話の中に入っていける事を楽しみに、頑張ろうと思っています。     M.A,

クラスのメンバーに参加させて頂いて何年か経ちましたが元来不勉強ですので、なかなか英会話と言うには程遠い・・・・・  でもマイペースで楽しく出席しています。
素敵なティム先生に教えて頂き、素敵な友に出会いアフタークラス?も授業以上にエンジョイし英会話と共に他の事も学ばせて頂いています。    N.S.

★なごやかでとっても楽しいクラスです。
★ 毎週 What‘s new? の話題に事欠かないクラスです。
★熱心でいつもやさしい心遣いをして下さるティム先生と生徒の奏でるハーモニーが素晴らしいクラスです。    K.N.

A-2クラスの魅力は何といっても和気あいあいとした雰囲気ではないでしょうか。気さくな先生を中心に毎回笑いがたえません。英会話の上達は・・・・・???ですが、楽しく続ける事が何よりだと思っています。「継続は力なり」をしんじて・・・    M.M.

ティム先生のほほえましいジョークを交えてwarming-upされ・・・・・こんな感じで午後の授業はスタートします。 リラックスした雰囲気の中でレッスンはまじめそのもの、ティム先生のジョークには思わず大口を開けて笑ってしまう事がある。又、クラスメートの方々が海外旅行や日本各地への旅の出来事、経験など What‘tnew? でよき思い出話(もちろんin English)を発表される。これらを聴かせて頂くことも楽しみのひとつです。クラス全体が とっても明るく まとまっており 皆で助け合っている・・・そんな感じがします。レディーの皆様の笑顔がステキ かがやいています。水曜日の午後のひとときを英会話で充実感を・・・・・。   K.S.

2005年9月

山田功(かつ)江(え)さん 駿東郡清水町出身
(裏千家茶道教師・山田宗功)
◆茶道を始められたのは・・・高校生の頃から「和」の文化に興味をもち、生け花、書道、茶道などを習っていました。卒業後、就職してからもお稽古は続けておりました。結婚し熱海に住んでいた間は、華道教師として、昭和53年(1978)に三島市に転居してきてからは、茶道教師として週3回教えています。茶道は日本文化の衣食住(茶室、着物、生け花、書道、料理、礼儀作法など)がすべて入っていると思いますのでとても奥深いです。
◆今後の茶道は・・・是非とも若い方に興味を持ってもらいたいです。今、裏千家の方針で、お茶に親しんでもらうために、三島市内の全部の幼稚園、小・中学校へ各先生方がお茶に親しんでもらうために出前稽古としてボランティアで出かけています。
◆学ぶ上で大切なことは・・・楽しく学びながらも基本はしっかり身につけること。基本が入っていれば精神的に余裕ができるので、考えなくても自然に体が動くようになります。
◆今とてもお忙しそうですが・・・10月7、8日(金・土)に三島市で開催される(三島市民文化会館ほか)(社)茶道裏千家淡交会 第38回関東地区大会の事務局・総務担当として、参加者の 方々の集計などを担当しています。関東地区というのは8県で16支部あり、各支部持ち回りです。今年は東静支部が担当し16年に1度の大事業ですが、それが三島市で開催されるのです。1年以上前から準備を進めてきましたが、いよいよ間近になってきました。全国から1800名以上の参加者と、お手伝いの人も580名に上ります。坐忘斎千宗室(ざぼうさいせんそうしつ)16代裏千家お家元様はじめ、全国からいらっしゃる皆様に、静岡県のよいところを、観て、感じていただけるよう心からのおもてなしをするつもりです。

Come estan senoras y senores ?
GIA 「スペイン語クラス」紹介
10数年前のこと、韮山でスペイン語講座をやっていると言うニュースに即反応。興味津々、見学に行ったのがこのクラスを始めるきっかけとなった。10名ほどの中高年男女が動作を交えてスペイン語を話している授業は、大変新鮮で楽しそうに見えた。GIAもこれから益々いろいろな人々と交流を持つためには、英語以外の言語を学ぶ必要があると言う結論に達し、早速、講師のナタリー福岡さんにお願いしてスペイン語講座を開くことにした。
最初は比較的簡単な会話から入ったが、学べば学ぶほど奥が深く文法も複雑。人称や時制による動詞の変化の多様性には閉口した。英語の文法がひどく易しく思えた。最初10名ほどのメンバーもさまざまな理由から減り、現在では非常に勤勉な男性2名と底抜けに明るい女性3名で定着している。自由に発言できる授業は明るく楽しい。継続は力なり、会話はなかなかスムーズにはいかないが、読むほうは辞書を片手に読めるようになった。
現在の授業内容は、簡単な日常会話、文法、それにスペイン語の新聞や雑誌から取った記事の読解である。スペインに侵略されたペルーの歴史、滋養強壮剤として日本人が開発しているペルーのコカの話、日本特有の招き猫の由来、地球温暖化、快眠のためのさまざまなグッズの話など、内容は多岐にわたり興味深い。しかし、一般に文章が長く、複雑な構文を分析するのに苦労している。
勿論、語学を学びながらペルーの文化も学んできた。忘れられない思い出は、GIA10周年記念の時に挑戦したペルーのダンスである。一見簡単そうに見えたダンスの足の運び、かかとからすり足で前進するのであるが、それに体と手の振りをつけて進むのは至難の技であった。本番は豪華な衣装で何とかごまかせたが、今となっては懐かしい思い出である。また、日本でもポピュラーになっているラテン音楽やスペイン語劇にも挑戦してきた。これからも時には厳しく、時には楽しく学びながら、多くの人との相互理解を深めるのに役立てればと思っている。
なお、参加者は常時募集しています。現在のクラスを希望される方、また、数名集まれば、初心者クラスを設ける事も可能ですので、興味のある方はお問い合わせください。
問い合わせ先 水野幾子
講師紹介
ナタリー福岡さんは、ペルー出身。リマで小学校の先生をしていたが、日本人男性と結婚し来日、18年になる。以後スペイン語を教えながらペルーの文化をいろいろな所で紹介してきた。数年前から函南のさくら保育園に保母として勤務。
保育園児にも遊びのなかで日常スペイン語会話や歌など教えている。
メンバーの感想あれこれ
私とスペイン語との出会いは極めて簡単である。深く考えた理由もなく、ある時グローバルのバス旅行に誘われ、ついその話に乗ってしまったのである。女性に誘われると弱いんだなあー。以来今日まで良く続いていると思う。その理由はスペイン語サロンの雰囲気がとても良いことである。明るく開放的で笑いが絶えない。それと女性の魔力のせいかもしれない。暇に任せて勉強しているのであるが、今では生涯学習の紛れもない糧となっている。少人数なので個人教授のようなもので、実力のつくこと間違いなし?ニューフェイス大歓迎。先生からいつも言われるのは「Hable, hable en espanol」である。いつの日かアンデスの麓へ!コンドルは待っている。(Oishi Takashi )

ブエノスアイレス在住の友人の息子が、父親の代わって私に手紙をくれるようになった。当初は英語でのやり取りであったが、スペイン語で書きたくなり、スペイン語講座に入門したのが6年前のことである。今はe-mailで近況を知らせているが、辞書を引きながらでは長い文章にならず、彼から見れば子どもの文章のようだろう。それでも彼の文章を読むのが楽しみだし、ボキャブラリイを増やそうと苦労するのが、ボケ防止に繋がると思い頑張っている昨今である。(Nanba Keisuke)

「スペイン語クラス始めるので入らない?」と誘われたのはもう10年以上も前のことである。スペイン語の響きが好きで、その昔ラテン音楽を聞いていた私は、即座にOKした。英語関係の仕事をしていて英語には食傷気味だったし、何か他のことをしたいと思っていたことが引き金となった。最初の頃、片言のスペイン語ながら和気藹々と笑いの絶えない楽しいクラスだった。その後多少スペイン語の分かるフランス人のパランパラさんなども参加し、ややハイレベルになったかに見えた時期もあった。また、若い人達の参加で生気溢れた賑やかな時もあった。そして、数年前とても熱心な男性2人の登場でクラスは ややアカデミック(?)になった。今、スペイン語の新聞や雑誌の面白そうな記事を読んいる。毎回ややこしい表現に「ああでもない、こうでもない」とワイワイガヤガヤ・・・・・飛び交う日本語に先生は目を丸くして「スペイン語でどうぞ!」この一言にシーンとなるこの頃の授業風景である。(Kimura Hiroko)

スペイン語の音が好きで、かれこれ10年以上も前からTVのスペイン語会話を見ていた。縁あってこのクラスに参加してもう5~6年になる。ナタリー先生は少し日本語が苦手のようで、私たちは訳もわからず辞書を頼りにスペイン語の新聞や雑誌を読み進む。そして、少しスペイン語をまぶした程度の日本語でおしゃべりを楽しんでいる。おしゃべりにつれて、思いがけない文化の違いに気付いたり、面白い言い回しを教えてもらったり。遊び半分のクラスが私には丁度良いようだ。(Hirasa Nanae )

 
 
 

2005年8月

グローバル文化交流協会20周年記念事業 TOPICS
2005.6.28
多くの方のご協力で大盛況!ありがとうございました。
★講演会講師の枝廣淳子さんから翌日事務局に届いたメールです。
昨日は本当にありがとうございました。会の節目となる貴重なときにお招きいただき、感謝しています。温かい雰囲気で、楽しく過ごさせていただきました。どうぞみなさまにもよろしくお伝え下さい。
またお目にかかれる機会を楽しみにしています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
★枝廣さんのブログ、ダイアリーより。
28日の三島は、グローバル文化交流協会の20周年の会だった。とても温かくて素敵な笑顔がいっぱいで楽しかった。
さて、今日は7月1日である。今年の折り返し地点ということで、今朝は、半年のレビューをおこなった。・・・中略
というわけで、後半の「勉強するための戦略」を立てた。今度はどうだろう? 
「でも、そのまえに、部屋を片づければ~」とハムスターのプチが言う。でも机の上はきれいなのである。三島でもらった花かごのなかで、ハーブや紫陽花が涼しげでしょ。
というわけで、後半の「勉強するための戦略」を立てた。今度はどうだろう? 
●アンケートより
「バイリンガル環境かるた」で○○○を送受信 あなたならどんな言葉を入れますか?
もったいない/「できることを少しずつ」という思い/地球への愛/環境に対する意識
地球をいたわる心/子供たちの際限ない夢/人類の知恵の見せ所/大事なこと/地球の大切さ/未来の地球からのメッセージ/世界が変わる/4R/感動/地球にやさしい/愛/身のまわりからエコ/いのちを想う(慈しむ)あたたかさ/普段を見直す気持ち/行動力
/気配り/ガレージセール/環境は皆の心で変わるもの など
当日アンケートより
講演会、シンポジウムともに、ほとんどの人が「良かった」の項目に○をしてくださいました。講演会では「よく伝わり、考えさせられた」、シンポジウムでは「いろいろな意見が聞けて良かった」などの感想が多く、以下一部をご紹介します。
1 講演 枝廣淳子さん
「なりたい自分」になるために~エコから学ぶ「自分マネジメント術」~について
・とても刺激的な話で、今の自分にとても参考になりました。私もこれからビジョンを描いて進んでいきたいと思います。なにか目がさめた気がします。(50代女性)
・納得のいくお話ばかりでした。今後の生き方を考えさせられました。(50代女性)
・自分の中に「しめきり」を作ることの大切さを学びました。(20代女性)
・すぐにあきらめないで目標を定めて英語をやってみようと思います。(60代女性)
・ 好き×得意×大事=天職この言葉は今後の自分の将来につながると思いました。「目的と手段を間違わない」現在の自分にも言えることだと思いました。(20代女性)
・今自分が何をすることができるのか、考えるきっかけになりました。(10代女性)
・ 濃い時間を増やすこと、私にとってやりたいことをじっくり考えたい(40代女性)
・ 枝廣さんのお話を聞きたくて参加したので、とても満足です。(30代女性)
2 シンポジウム「バイリンガル環境かるた」で○○○を送受信 について
パネリスト 小池政臣(三島市長)、ロバート・イエリン(陶芸評論家)茅野 剛(日本大学大学院) 水野幾子(GIA)
アドバイザー 枝廣淳子     
コーディネーター 大野多恵子(GIA)
・「もったいない」をキーワードにパネリストの想いがいろんな形で伝わって、しっかり心に残りました。(40代女性)
・ 短いがパネリストの思いのこもった発言で、聞き手はいろいろ考えさせられた。啓蒙的な効果をねらっているのでこれでもかなり良い結果をもたらしていると思うが、会場の参加者の声も取り上げるゆとりがあったら、なお良かった。 (60代女性)
・ かるたの内容からそれぞれ掘り下げての話を聞けて良かったです。中学生の方の意見はとてもすばらしく、同感しました。(20代女性)
・ 各人の年齢や経歴が異なってそれが面白かった。時間が少ないと思った。(40代女性)
・身近なものを大切に活用することに気づかせていただきました。(50代男性)
・ 「もったいない」はこれから心にきざんで生活したいです。(10代女性)
・皆さんの意見を聞いて、環境に対する意識が高まりました。(50代女性)
・ 日大の学生もパネリストというのがよかった。「もったいない」が印象的(40代男性)
3「バイリンガル環境かるた」についての意見、感想
・言いたかったこと、表せなかったことが調子よく、小気味よく表現されていてすっきりしました。(60代女性)
・絵もフレーズもとてもなじみやすくて良い(50代女性)
・遊びを手段として、強いメッセージを発信していると思います。(50代女性)
・実演ができて良かった。楽しかった。子供にもやらせたい。 (30代女性)
・手作りのていねいな絵がとても好感が持てます。初版のままでなく、改訂しながら世の中の状況に合わせて変えていくのは素晴らしい努力だと思います。(50代女性)
・楽しみながら記憶できるところが良い(50代男性)
4食事&交流会についての意見、感想
・おいしかったです。皆さんの意見や考えが飛び交い、笑いのある交流会。(20代女性)
・ピラフは作ってみたいと思いました。ケーキ、ジュースも美味(40代女性)
・私の一番好きな標語が「袋の味よりおふくろの味」なので、グローバルさんらしい食事会だと思いました。(20代女性)
・おいしい、うれしい。地場産品をすすめていきたいですね。(40代男性)
・地場産のメニューが最高!まさにグローバルの主張がつまったお食事に感激。
***GIA梅ジュース***
交流会での乾杯用に、会員が手作りした梅ジュースからいろいろな話が広がりました。
作ってくださった方々、砂糖を寄付してくださった方、ボトルを心配してくださった方
ありがとうございました。酸性の飲みものとして、夏に汗をかいた時にいい、冬、風邪をひきにくくするなどの利点があります。
(作り方) 梅1Kg、砂糖850g~1Kg
1 梅を洗い、水分を取ってヘタを楊枝で取り、表面になどでキズを付ける。
2 消毒済みの容器に、砂糖1/3を入れ、次に梅1/3を入れる。
32を繰り返し、水が上がってくるのを待つ。全体がなじむように容器をゆする。
41週間ほどで梅が浮くほどになるので、水分がからむように時々容器をゆする。
52週間を目やすに、ジュースの出来上がり。3~4倍に薄める。
その後の拾い話
・ジュースを作る時、酢を1000ccほど入れると体にも良く、カビや発酵を少なくする。
・ジュースを作った後の梅は捨てずに、お茶うけに。煮ればジャムに。また細かく刻んでパウンドケーキなどに入れると、砂糖のしみ込んだ梅の香りがする。
                          (GIA事務局 青木峯子)

2005年5月

我が家ではこの春から、息子に続いて娘も地元を離れて学ぶため、主人と私の二人だけの生活が始りました。とにかく久しぶりのことなので、「どうなるのかなぁ。」と心細く
思ったりもしましたが、先日のある集まりで、長泉町国際交流協会の中村会長からいただいたコピーにうなずきました。
 「楽しい新婚生活は何時も奥さんに優しく・愛してるよ・きれいだよ・美味しいものを食べに行こう・手伝おうか・ごめんよ・の五つの簡単な言葉をかけるだけでできますよ。」
 シンプルに書かれた人生の先輩の言葉に、「新婚じゃぁないけれど、夫でもないけれど、トライしてみようかな、お互いの幸せのために。」そう思ったりしているこのごろです。
                             長泉町 M.Y.
金魚とカブトムシとザリガニより大きな小動物を初めてて飼った。
ミニウサギのトム。昼間ベランダで遊ばせている。
5月ごろ抜け毛がものすごく下の階の奥さんに飛んでくるからなんとかしてと言われた。楽寿園か小学校に頼めばとも言われた。トムの生きる道はこうするしかないと、100円の雨ガッパを着てぎゅっとかかえて散髪用のハサミで丸刈りにした。おとなしく動かないでいてくれ かわいそうで涙がでた。
かわいい薄茶色のピーターラッビットが 白い子ブタになってしまった。
あれから二ヶ月、もとにもどりつつあるが 白と茶と黒のブチ猫になった。
                             三島市 M.I.
2005年4月号
昨年の6月より毎号楽しくLINKリンクを読ませて頂いております。他の方々の達筆な文章を読むにつけ、「自分の番が回って来たらどうしよう…」と、いつも恐れおののいておりました。典型的な、やまとなでしこ(!?)で自己表現が苦手な私ですが、英語を通じて色々な人との出会いに恵まれ、良い刺激を受けながら、日々精進しております。これからもよろしくお願い致します。
                             三島市 T.H.
新聞より新書が好き。新しい見聞より新しい知識が手軽に得られる書が好き。そんな新書を2冊読んだ。齋藤孝著『座右の諭吉』『座右のゲーテ』面白くて、楽しくて、感心。心動いて、身が軽くなった感動。著者の齋藤さん世に出るまで福澤諭吉に親しみ、ゲーテに学んできた、だから今が在ると言う。私はこの書を通して福澤諭吉を知り、ゲーテに驚いた。この2書、人生に右往左往したときの良き相談役になりそう。名付けて「左右の書」。ゲーテの実は制御された情熱、諭吉の行動規範、齋藤さんの情報力に感謝。
                              三島市 T.W.
次女は今、2才3ヶ月で、本や歌が大好きです。特に今気に入っている曲はバッハのメヌエットです。この曲は私が子どもの頃、弾いたことのあるきょくなのですが、妊娠8ヶ月頃からよく弾いていました。出産後忙しくてピアノを弾くこともなかったのですが、次女が2才になる少し前から、長女がその曲を練習するようになりました。だんだN上達するにつれ、次女は一生懸命聴くようになり「好き」と言ったり「あの曲を弾いて」とお願いしたり、自分で「タンタラタラタタタン‥‥」と歌いながら弾くまねをすることもあります。胎教の話を聞いたことはありますが、意識してバッハを弾いたのではありません。でも今の次女が、あんなにこの曲を気に入っているというのはおなかの中にいた時から聞いていたんだと確信しています。     三島市 T.T.

2005年3月号

昨年11月よりメンバーに加えていただくことになりました。結婚・出産を機に勤めていた会社を退職しましたが、突然社会とのつながりがなくなってしまうのもつまらなく、興味のある英語関係の団体に参加したいと思い入会いたしました。
娘は2歳半になり、赤ちゃんの頃に比べると随分手もかからなくなりました。少しずつ自分の時間もとれるようになってきたので、これから行事にも参加できたらと思っています。毎月のお便りもとても楽しみにしております。どうぞよろしくお願いいたします。         沼津市 A.I.